まずは離縁の手続き
「こうしてお目にかかるのは初めてだな、アンドリュー子爵殿。」
「はい、殿下のお顔は夜会などで存じ上げておりましたが初めてご挨拶させて頂きます。」
後ろで頭を下げている娘は落ち着かない様子が見て取れるが父親のアンドリュー子爵は薄ら笑顔さえ浮かべている。心臓が強いのかはたまた鈍いだけなのかこれから始まる重大な話を想像すらしていない様に見えた。
「夜会前で皆仕事が忙しい、こちらから質問する形になるが良いだろうか。その前に確認をしておきたい。アンドリュー子爵殿の家族は妻であるダイアナ夫人と娘と3人で間違いはないな?その娘の母と死別したので再婚をしたと。」
「はい、間違いございません。」
「では其方の仕事は?」
「はい、アンドリューの領地を引き継いだ兄と一緒に領地経営に携わっております。」
「ふむ。では夫人は?」
「ダイアナは亡き侯爵様の仕事を引き継いでおります。ヴィヴィアン様は姓を変えておりませんので一緒に暮らして娘同様に思っておりますが戸籍上は関係はございません。」
ラインハルトは手元の資料と事実を擦り合わせるように質問を繰り返す。
娘は昨日の事を言われるかとビクビクしていたのだが今回は自分ではなく父親が呼ばれたのだと思っていた。
この部屋にいるのは第二王子とお付きの人が数人、あとは自分と父親だけだ。
心の中でこれなら何とでもなりそうだと考えていた。
「ヴィヴィアン嬢と同じ学園に娘を転入させたな、学園であまり良い噂を聞かなかったが家では誰が教育をしていたのだ。」
「・・・私は仕事で日中は屋敷におりませんでしたので妻、若しくは世話係がやっていたかと思います。」
「ほう、世話係がいたのか。教育係は居なかったのか。」
「侯爵家住まいでしたのでマナーなどは自然に身につくと思い教育係はつけた事はございません。世話係に一任しておりました。」
ラインハルトは資料に目を落とす。
資料によれば屋敷で働く者は全てグリフィス侯爵家に従事する者しかいない。
彼らは名義上ヴィヴィアンが雇っている。
「婚姻の際の誓約書に目を通したか?今日ここに持って来るよう伝えたがその手にあるものがそうか?当時の報告によればお前達親子がグリフィス邸に越す際に誰も付けずに2人だけで来たとある。なぜだ?名ばかりの夫婦である事は互いに承知済みなのだろう?回りくどい事は言わぬ。お前たちは侯爵の屋敷でタダ飯を喰らいのうのうと生活をして来た。侍女もメイドもグリフィス専属だ。よく読んでみろ。お前たち2人の世話をする者を連れてくるのも条件に入っている。」
「も、申し訳ございません。ダイアナとは夫婦同然だと思い考えておりませんでした。」
「ふん、まあ良い。問い詰めたい事は色々あるがどの道無駄だからな。この誓約書を読んでサインをしてくれ。」
ラインハルトから渡された用紙には婚姻後からの娘の学費やヴィヴィアンの部屋から持ち出した衣装や宝石の請求額を速やかに払うようにと書いてあった。
「な、なんなのでしょうこれは。」
「お前の娘がヴィヴィアンの持ち物を盗んでいたのだ。尚、それらは全て俺からの贈り物だ。全額纏めて弁償してもらおう。あぁ、品物を返さなくても良いぞ。お前の娘が袖を通した物など見たくもないからな。それと大事なのは次だ、早く読んでくれ。」
子爵が震える手で次の用紙に目を通す。
彼は静かにゆっくりと顔をあげた。
終わったなという表情と安堵が入り混じり複雑な気持ちだった。
「納得したならサインをするだけだ。」
「ダイアナはこの事を知っているのですか?」
「勿論だ、でなければこの婚姻に誓約書など存在しないだろう?感謝するんだな。飯代は請求してないからな。」
「では私の妻が生きていて娼婦なのもご存知なのですね。ひとつだけ間違いがございます。妻と死別した事にしてダイアナ様と再婚する様に仕組んだのは彼女の実の父親のファーガス様でございます。」
「正式な妻ではないだろう?身請けをしようとしていたと聞いた。」
「はい。身請けをすればファーガス様はもう妻には会えません。ですからダイアナ様との縁談を強引に纏めたのです。ダイアナ様はそれを知っていて私を邸に住まわせて下さったのだと思います。私の稼ぎは妻を身請けするために貯めておりました故。」
「それと娘の事は別だ。親なら娘のした事の責任を負うべきだろう?教育を放棄したのだから当然の報いだ。そこまで愛する妻がいるのならその娘も愛しい筈だが、違うのか?」
娘が取り乱し反論するが護衛に嗜められている。
この期に及んで何を言うのか聞いてやろうではないか。
「ドレスも宝石も借りただけです。実際私にもよく似合っていましたし姉妹なのですから貸し借りは問題ないのではないでしょうか。ですがそれらのドレスを着ているところを見た事はございませんので殿下からの好意を無下にしていると心を痛めておりました。殿下、私ではお相手になりませんか?ずっとお慕いしておりましたの。妹がお仕事でお支えするなら私は殿下のお側で癒しをーー
「いらぬ。やはり黙ってくれぬか。部屋の隅に下がらせろ。」
ラインハルトは不機嫌さを隠す事もなく手で追い払いその父親に視線を向けた。
「子爵よ、やはり教育は大切だな。親が育てねば誰が面倒を見てくれるのだ?今ならまだ教育し直せば間に合うかもしれん。早急に離縁し娘を連れてアンドリューの領地へ帰るがいい。もう身請け金は貯まっただろう。ダイアナ様の父上から邪魔される心配はない。だが今後あの娘が王都に足を踏み入れたら命はないと肝に銘じろ。」
マリスも立場を漸く理解したのか大人しくなっている。
ラインハルトを誘惑したかったのか胸の大きく開いたドレスは昼間に着るのも季節的にも王宮にも相応しくない下品なものだった。
安物のイミテーションのドレスを売ったお金で買ってきたのだろう。今にも胸の先端が見えそうだ。
父親は娘に自分のジャケットをかけると立ち上がらせラインハルトや護衛にまで深く頭を下げた。
「このまま領地に向かいます。ダイアナ様とお嬢様にはお詫びの手紙を送るとお伝え願えますでしょうか。受け取ってくださると幸いですと。」
あっけなく終わった。
もっと言い訳がましい男だと思っていたからだ。
娘はまだ納得出来ていない筈だ。
夜会に乗り込んで来るかも知れんなと思った。




