4、浮浪者
茂みから現れた背の低い老人の姿は、はっきりと言えば浮浪者のそれだ。ぼさぼさの髪に、ボロボロの衣服はとても登山をする人物の装備ではないし、かと言って、山の整備をする人間の物でもなかった。靴を履いているのだろうが、それ以外にもビニール袋を履いて防寒性を高めているのだった。
汗臭いつんとしたものがあたりに漂う。
ギャアギャアと鳥が山のどこかで鳴いているのが聞こえてくるほどの静けさがあった。
「あんたら、なんだ」
老人はまずそう問いかけてきた。
誰も口を開けなかった。なぜなら、老人の手には土塗れで錆塗れの鎌があったからだ。
農作業で芝刈りというか、草刈りで使うような鎌。もっと言えば、手作業で稲を刈り取る鎌。
しかし、それも農家が手にしていればで、浮浪者が持っている今は凶器にしか見えない。
「喋れないんか?」
「私の名前は、高橋です。こっちののっぽが五条、で、カメラを持ってるのが堀江」
少し苛立ったような声をだす老人を刺激しないように高橋ディレクターが口を開いた。
「私たちはここに祠があるって聞いて、調べに来たんです」
「祠ならそこにあるはずだろ」
老人はそう言うと、高橋ディレクターの背中の方を鎌で示す。ちょうど、高橋ディレクターや五条アシスタントが立っているからか、老人の立ち位置からは祠の台座が見えないのだろう。だから、あると思っているのだ。
高橋ディレクターと五条アシスタントは互いに顔を見合わせ、すっとどいた。
すると、祠の台座が老人に見え、途端に老人の顔から血の気が引く。そして、何かをわめきながら台座へとよたよたっと近づいていき、台座の周りを探し、それから、膝から崩れ落ちた。何かを呟いているので、近付くと、
「もう終わりだ。何もかも終わりだ」
と、ひたすらに呟いていた。
それからぎょろっと目線をこちらへと向ける。
緊張が走る。老人の手には錆びついたとは言え凶器が握られているのだ。
「お前ら、祠、壊したんか」
「壊したとしたらどうするんですか」
「どうにもならん。警察にいうもあるけど、どうせ、どうにもならん。死ぬ。決まっとる」
「なんで死ぬんですか」
高橋ディレクターが一歩、老人へと近寄る。
枝葉が擦れ合う音に、高橋ディレクターが落ちている枝を踏む音が混じった。
その目はきまっていた。きついアルコールを飲んだようにすっと目が据わっている。
「言ってもわからん」
浮浪者は膝を地面に着いたままに、じっと地面を、土を見て言った。
が、その襟首を掴み、ぐいと高橋ディレクターは引き上げる。
そして、顔を自らに向けて、もう一度聞いた。
「なんで死ぬんですか」
「言ってもわから」
「教えろって言ってんだよ」
少しばかり乱暴に首をさらにぐいと掴むと、そのままに、祠の台座まで引きずる。
「何が祀ってあった? 何を祀ってたんだ、この祠は」
「何か!」
浮浪者が叫ぶように言った。
それを聞いて、高橋ディレクターが手に込めていた力を緩め、解放する。すると、浮浪者は再び、膝を地面について、今度は両手もまた地面に着いた。深く息を吐き出して、再び、大きく息を吸い込むと、じっと祠の台座を見た。
「何かだ。わからない。由来も何もない。ただ、ずっとここには何かがいた。インターネットで聞いたことがないか? 祠を壊して、背の高い八尺ほどの女がやってくる、蛇の下半身をもつ女がやってくる、そんな話だ。似たような話だ。同じだよ。壊した人はそれにやれられる。何だっていいんだ」
「おっさん、なんであんたはその話を知っているんだ?」
「昔、友人が壊した」
「その人、どうなったんですか?」
五条アシスタントの陰に隠れるようにして見ていた平尾が、少し顔を覗かせて聞く。
老人は平尾の顔を見ると、目を細め、それから、首を横に振った。
「死んだ。行方不明になって、それから、見つかった。わけのわからない死に方だった」
老人の言葉に平尾が息をのむのが聞こえる。
しかし、分かった事がある。今、平尾の身に起きている事と合致する。何かが家に来ているという事。そして、行方不明になってしまうという事だ。もっと言うと、このまま、放っておくと死ぬという事がわかった。
ギャアギャアと木々の向こうで、激しく鳥が鳴く。
「あの、何かやばくないですか?」
堀江は震えながらに言う。
明らかにおかしい。山が騒がしすぎるのだ。当然に動植物がいるので元来として静かなはずではない。しかし、鳥の鳴き声であったり、枝葉の擦れあう音であったりとした音が、山にあまりなじみのない堀江でも感じ取れるほどに騒々しいのだ。
バキバキと木が折れるような音がした。
「逃げたほうが良くないです?」
と、堀江が言うよりも先に、高橋ディレクターが一目散に逃げだしていた。それにワンテンポ遅れて、五条アシスタントが平尾を抱えあげて走り出していた。それを認めた後に、堀江が走り出す。
堀江は数歩進んだ時、老人がついてきていないことに気がついた。
ぱっと振り返った時、祠の台座の前で老人が座り込んだままにいるのが見える。
「何やってんだ、おっさん! 堀江も逃げろ!」
高橋ディレクターがそう叫ぶのが堀江にも聞こえる。
誰もがその老人を見ていた。それがいけなかった。
老人の向こう側、祠を挟んで向かい側の木々の隙間から、ぬうっと長く細い腕が伸びてきていたのが見えた。
もう、それが見えては、逃げざるを得ない。
堀江も高橋ディレクターも、五条アシスタントもまた、逃げ出していた。気が付くと、山の麓の公道、大通りに出てきており、バンバンとトラックが走っていくのが見える。道行く人は、肩で息をする堀江や高橋ディレクターを見ては怪訝な顔をしていく。
電信柱に寄りかかり、高橋ディレクターは深く息を吐き出す。
皆、肩で息をしていた。
「なんなんだよ、アレ」
「何か、ですよ。高橋さん。あのお爺さんが言っていた何かです」
「わけわかんねーな。おい」
「どっちみち、私、どうなるんですか」
高橋ディレクターと五条アシスタントが互いにそう言い合うのを横目に、平尾が呟く。
老人の言葉を信じるならば、平尾は死ぬ。
そして、家原知子も、貫井陽子も死ぬ。
「まぁ、あのおっさんの言うのが正しければ、な。あのおっさんこそどうなったんだよ」
「わかりません」
堀江が答える。
あくまで見たのは、木々の中から何かが現れるくらいまでで、それ以降にどうなったのかは見届けたわけではない。
「なら、もしかするとなんて事もないかもな」
なんてのんきな事を高橋ディレクターが口にした。それはおおむね、自分に対して、言い聞かせているような言い方でもあった。だが、実際の所、高橋ディレクターの言うようになんてことなく、老人はふらりとどこかに行って無事なのかもしれない。
皆の息が整い始めたころ、焦げた臭いがした。
つんと肉の焼ける焦げる臭いだ。
近くに焼き肉屋でもあるのかと堀江は思った。
カラン、と落ちてくる音が聞こえた。
皆がその音の方向へと顔を向ける。
鎌が落ちていた。
真っ赤な血がついた鎌だ。
それはちょうど草刈りに使うような鎌で、稲刈りに使うような鎌だった。
どこから落ちてきたのか。
上を見上げて、誰もが息をのんだ。
「おっさん」
高橋ディレクターが口からそう漏らす。
電信柱の上、電線の上に、死体がぶら下がっていた。それは、いや、本当に死体なのだろうかというのすら疑問に残ってしまっていた。あまりにも、人の形をしていなかったのだ。ただ、かろうじてあの老人であると認識できたのは、服装だ。
ビニール袋を足に靴替わりに履いた老人の死体が電柱にぶら下げてあった。