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煙は消えた

作者: 砂道ルク

 その日、彼はいなかった。


 世間の為に働き、日々成長し、充実した毎日を送る。道徳の教科書及び会社の経営者が喜びそうな言葉だが、実現させるのはそう簡単でない。

自分の望んだ仕事につけるのはごく僅かで、色々と妥協した仕事につき、あっちから文句を言われ、こっちから指導という名の暴言をぶつけられ、何事も起こらないことを願いながら事を荒立てずに敢えてそのままの言葉を使ってしまえば「空虚」な毎日を送る奴が大半だ。

 別に俺はこれに対してケチをつける気はない。俺だってその一人だし冷静に考えたらそれでも働く連中によってこの社会は成り立っている。

世の娯楽作品の中には夢に生きることを賛美し諦めた連中を悪く言って悦に入っているものがあるが、実際のところ皆が仕事を放り投げ夢という名の現実逃避をしてしまえば最後、そこには社会崩壊という名の悲しい現実が待っているだけだ。

 だから俺は別に毎日に文句をつけたい訳ではない。だが学生時代、必要と思いつつ単語帳をめくる中で疲れや飽きを感じるように、実際の野球の試合に参加しないままただバットを振るだけの日々で友人に愚痴をこぼすように、ほんの少し良くない言葉をこぼしながら休憩をしたくなることぐらいある。

 酒と煙草、モテる奴は女。これらは男にとってはストレス発散の代名詞と言っていいくらいメジャーなところだろう。(LGBTsという語句が使われるようになった現在、「女」は別の語句に言い換えた方が良いのかもしれないが) なので大勢でストレス発散、となるとそれ「専用」のお店にいくが、そこまでいかなくてもコンビニで品を買い揃えて誰かの家で嗜むのが大抵の連中が好む方法だ。(これもコミュニケーションに対する考え方が様々で、各々を認めるべきとされる現在においては言い方を変えるべきなのかもしれないが)

俺もこの方法が嫌いな訳ではないし、普通に行っている。ただ普段コーヒーを飲んでいてもたまには紅茶を頼むように、普段いつもと同じでですます散髪屋で少し刈り込んでくださいと頼むように、いつもと違いことを、変化を求めることは当然ある。


全面禁煙です、ととても分かりやすく、大きくドアに張り付けてあるその店に入ったのは何となくだった。照明が少なく暗めで、曲名や作者には皆目面等つかないが何ともおしゃれに気取った楽曲が流れる室内はバーらしさの演出に成功していた。

カウンター席の右端が空いていたのでそこに座り注文する。メニューを待ちながら俺は右ひじをたてて人差し指と中指を揺らした。煙草を吸えない時の癖だ。これが喫煙者全体に共通なのか俺特有なのかは分からないが、煙草を握っていない右手は落ち着かないらしい。

何となく店内を見回していると、反対側、カウンター席の左端に座っている男に目がいった。彼も俺と同じように、右ひじを立てて人差し指と中指を揺らしている。彼も俺と同じ喫煙者であろうということが、何となく分かった。年齢も同年代だ。おそらく彼も俺と同じく、満たしてくれる何かを求めて何となくこの店に入ってきたに違いない。

そのまま眺めていると目があい、向こうもこちらに気づいた。軽い会釈はしたが、声をかけたりはしなかった。せっかくの時間を邪魔する訳にはいかない。彼からも声をかけては来なかった。

しばらくして何となく同じ店に行った。店を気に入ったのではなく、あの男性にもう一度会いたかったという訳でもない。ただ何となく同じ店に同じくらいの時間に出向き、彼が同じように左端の席にいるのを見つけた。俺は前と同じく右端に座り、同じ注文をした。

 そのまま気まぐれで同じ曜日の同じ時間に同じ注文をすることを繰り返していた。最初は単なるきまぐれでも、続けていけばそれは習慣になる。彼がいることを確認し、右端に座り、右ひじをついて人差し指と中指を揺らす。それが俺の生活サイクルだった。

 だが生活サイクルというのは置かれている状況が変わらないことを前提としている。気まぐれ社長の一声で全員にモヒカンを強制した翌日リーゼントといってくる会社が普通だったり、地球が気分で自転及び公転速度を変える世界では成り立たないものだ。


 いつもと同じ曜日の同じ時間に同じ店に行った。だがその日、彼はいなかった。いやその日だけでない。それから数回通い続けたのだがカウンター左側の席に彼が現れることはなかった。

 俺の習慣は、くずれてしまったのだ。

 それを認識した時、俺は目をまわしたようなバランスを失う不思議な感覚を失った。どうやらこの生活サイクルは、俺の中ではかなり大きいものになっていたらしい。

 今日もカウンター右端の席に座ったが落ち着かない。他の客が少ないことを確認した俺は何となく、ポケットから煙草を出しながら店主に問いかけた。

「すみません、煙草を吸って良いでしょうか」

 店主は少し驚いた顔を見せたが紳士に答えてくれた。

「いけませんよ、ウチは禁煙です。入口にも書いてあったでしょう」

 そうでしたたね、と頷きながら煙草をしまう。また右ひじをついて、いつもより早く人差し指と中指を揺らす。

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