魅了スキル持ちの平民の娘が貴族の婚約破棄に巻き込まれて怖い思いをするお話
「私は真実の愛を見つけた! 君との婚約は破棄させてもらう!」
夜会。唐突にその声が響いた。
声を発したのは、この国の第二王子フォーレル。
金髪碧眼に整った顔立ち。引き締まった身体にすらりとした長身の美男子だった。
その言葉を受けるのは、公爵令嬢アクスィオール。
きらめくような金髪に大粒の瞳。整った顔立ちに、白磁の肌。怜悧にも見えるその表情は、まるで稀代の芸術家がつくり上げた彫像を思わせた。
華美にして上品な紅のドレスもまた、彼女の美しさをより一層際立たせていた。
王子の傍らに立つのは少女の名はミリオース。
よく手入れされた髪は美しいが、その色は薄めのブラウン。これは貴族より平民に多く見られる髪であり、事実彼女は平民出身だった。
白を基調としたドレスも、作りこそ良いが、周りの貴族令嬢たちのものほど上質なものではなかった。
清楚で可憐、しかしどこか控えめで地味。それがミリオースと言う少女の印象だった。
ミリオースは今日、こんな場所で婚約破棄の宣言をするだなんて聞いていなかった。
彼女は驚きに目を見開いていた。
しかしこの突然かつ衝撃的な事態に対して、その心は平静を保っていた。
愛情によって暴走する人間を、何度も見たことがあったのだ。
なぜなら彼女は、生まれながらに『魅了スキル』を持っていたからである。
まだ何も知らない幼いころ。ミリオースは、世界はやさしさで満ちていると思っていた。
ミリオースは中流の商家の娘だった。生活に不自由はなく、両親は優しかった。周りの大人も子供も、彼女が笑いかければ微笑みを返してくれた。話をすればきちんと聞いてくれた。親切をすれば親切を返してくれた。
彼女の暮らしているのは、そんな穏やかで暖かな世界だった。
ミリオースの優しい世界は、しかし、ある日を境に激変した。
ある日のこと。町の子供たちと遊んだ帰りに、彼女は誘拐された。
連れ去られた先は、久しく使われていない倉庫街の一角。薄汚れた石畳の上に木箱の破片が散らばる、寒々とした場所だった。
柱の一つにぐるぐるに縛られて、ミリオースは身動き取れない状態にされていた。
ミリオースをさらったのは、近所のパン屋の主人だった。50近くの男だ。町の人々からも穏やかで気の優しいパン屋と評判だった。
しかし、今の彼は違った。パン屋の主人はナイフをちらつかせて、おびえるミリオースの様子を楽しんだ。普段の優しい顔からは想像もできない、異常な性癖を持っていたのだった。
やがてナイフをちらつかせるだけではなく、少しずつミリオースに傷をつけるようになってきた。痛みに震えるミリオースの姿に、パン屋の主人はますます興奮した。
そんな時、救いがやってきた。
さびれた倉庫に、たくさんの人がやってきた。
何人もの大人が入ってきた。子供たちもいた。ミリオースの知った顔ばかりだった。
しかし今、誰もが今まで見せたことのない恐ろしい顔をしていた。
パン屋の主人はあっという間に取り押さえられ、ミリオースの束縛も解かれた。
助けに来てくれた人たちを前に、しかし、ミリオースはほっとすることもできなかった。彼女を心配をする人々の隙間から、恐ろしいものが見えたからだ。
何人もの人間が罵声と共に、パン屋の主人に暴力をふるっていた。
殴って蹴って、踏みつけていた。誰も止める者のいない、あまりにも無慈悲かつ執拗な暴力だった。
その恐ろしい光景を目にし、ミリオースは気を失った。
気がつくと、ミリオースは町の診療所のベッドの上にいた。
もともと傷口はどれも小さなものだったので、傷跡すら残さず彼女は回復した。
その治療の過程で、彼女はあるスキルを持っていたことが発覚した。
魅了スキル。
強制的に人の好意を引き出し、スキル所有者を愛させるスキルだった。
これまで、自分に与えられてきたやさしさがこのスキルによるものだと知った。
彼女がさらわれたのも、助けに来た人たちが暴走したのも、このスキルが原因だと知った。
本当は、彼女も少しずつ感づいていた。いつもいっしょに遊ぶ男の子たちは、妙に生傷が多かった。ちょっとした擦り傷や打ち身なら、幼い男の子にとって珍しいことではない。
ミリオースはやがてその理由に思い至った。
男の子たちは、ミリオースの目の届かないところで、彼女を取り合って喧嘩をしていたのである。
あの事件の後、パン屋の主人は帰ってこなかった。彼は世間的には「行方不明」となった。ミリオースの誘拐事件について、王国の騎士たちが捜査することもなかった。ミリオースの救出にやってきた者たちは、口裏を合わせて、真実を闇の中に葬ってしまったのだ。
今まで自分の周りにあったやさしさが、魅了スキルによって生み出された偽りのものだと知った。
パン屋の主人の異常な誘拐も、助けに来ただけはなく、苛烈な暴力に訴えた町の人たちも、ミリオースに魅了されていたのだ。
ミリオースは恐ろしくなった。両親に引っ越すよう頼み込んだ。
両親は今回の事件を重くとらえており、遠くの町へ引っ越すことになった。
引っ越しの道中、ミリオースは思い悩んだ。
幼いミリオースにとって、魅了スキルはあまりにも大きすぎる力だった。そのもたらした結果は恐ろしいものだった。
しかしおびえるばかりではなかった。彼女は賢く、意思も強かった。一度は逃げることを選んだが、そのままではダメだと思った。このまま一生、逃げ続けるわけにはいかない。この力を遠ざけるのではなく、なんとか使いなそうと心に決めたのだった。
引っ越ししてからは、魅了スキルを積極的に試すことにした。
常日頃から意識することで、魅了スキルの発動を自覚することができた。また、かわいらしい仕草や甘えた声と共に魅了スキルを強く発動させると、より効果が増すことが分かった。
魅了スキルは効果が蓄積するようだった。スキルを押さえた状態を維持していたとしても、長時間いっしょにいれば相手は魅了された。
魅了スキルがどこまでの強さなのか確かめるために、こんな実験をしたことがある。
普段行かない遠くの町に足を延ばし、物乞いに扮装して魅了スキルを使ってみたのだ。
そして、上等な服を着た金持ちらしき男の子に魅了スキルを強めに使ってみた。
「そんな恰好でも君のかわいらしさは隠せないよ! お金のあるなし人の価値は決まらないと思う! それに、君の心が綺麗なことは見ただけでわかるさ!」
男の子は、ひきつった笑顔で、それでも精一杯好意的にミリオースのことを褒めようとした。金持ちの子供だ。普段は物乞いなど視界に入れるのも嫌だろう。それに、会ったばかりで心が綺麗など分かるはずがない。
歪だった。魅了されたという意識が先にあり、それを自分の中で正当化しようと、自分の中の常識や感覚を捻じ曲げようとしていた。
魅了スキルで無理に好感度を上げると、どうやら歪みが生じるようだった。
そこでパン屋の主人のことを思い出した。彼はミリオースの近くに住んでいた。時間を経て、魅了スキルの効果が蓄積し、おそらく完全に魅了されてしまった。
年配の男が、幼い少女に深く魅了されてしまえば……それはもう歪んでしまうのだろう。
色々と試すうちに、ミリオースは魅了スキルを使いこなせるようになった。それでもスキルの強弱は制御できても、完全に止めることはできないようだった。
いっしょに生活する両親はもはや手遅れだった。ミリオースがねだればどんなことでも全力でかなえようとする。どんなわがままを言っても従ってしまう。もはや、どこまでが本当の愛情で、どこまでが魅了スキルの効果なのかわからなくなっていた。
ミリオースはなるべく、普段は人との付き合いを浅くするようにした。相手に好意を示さず、最低限の受け答えだけで済ますようになった。魅了スキルの効果をなるべく小さくなるよう努めた。それでも彼女は多くの人を惹きつけた。
一時は人のいない場所に隠れ住むことも考えた。しかし、知らない間にどこかで魅了してしまった異常者がやってくる可能性を考えると、それも危険に思えた。
魅了スキルを実際に試す一方、ミリオースはスキルについての知識も集めた。魅了スキルを活用すれば、資料の収集も容易だった。
求めたのはスキルの使い方よりスキルの封じ方だった。例えば魅了スキルを封じる魔道具があれば、彼女の悩みはほとんど解決するのだ。
そこで分かったことは、特定のスキルを封じるようなアイテムなど、市場に出回っていないという事実だった。
スキルを封じる道具で比較的入手できそうなものと言えば、奴隷用の拘束具くらいだった。奴隷用の拘束具は、およそ大抵のスキルを封じる。だがこれは、スキルだけでなく魔法の使用までも封じてしまう。そのうえ、首輪だったり手錠だったりして、とても一般人が普段から身に着けられるようなものではなかった。
売られていないものなら、作るしかない。ミリオースは魅了スキルを活用して魔道具作りの職人を紹介してもらった。その職人を魅了して、魅了スキルを封じる魔道具の制作を依頼した。
だがこれは失敗に終わった。
魔道具が完成した時。ミリオースは職人の目を盗み、その魔道具を自分ではなく職人につけた。効果は魔法の使用不可、そして魔道具をつけた人間への絶対服従だった。魅了された職人は、魅了されたがゆえに、ミリオースの独占を画策していたのだ。
この厄介な魅了スキルを封じるには、自分で魔道具を作るしかなかった。
ミリオースは知性に恵まれていた。スキルの情報を収集する過程においても、学べば学ぶだけ理解が深まり見識は広がっていた。しかし、魔道具の作成となると容易にはならない。専門的な知識と様々な器具が必要となる。独学ではいずれ行き詰まることが予想された。
魔道具の職人に指示を仰ぐことも考えたが、長時間を共に過ごすことになれば、魅了しすぎてしまう可能性が高い。
魔道具の作り方を学ぶのにいちばんよさそうなのは、魔法学校に入学することだった。そこでは魔道具にも精通した教師がいて、魔法に関する資料も豊富で、魔道具作りや実験に使用する器具もそろっている。また、魔法学校の生徒は魔法を扱えるため、魅了スキルに多少の耐性がありそうなのも望ましいことだった。
幸運なことにミリオースには魔法を扱う才能があった。魅了スキルも発動には魔力を要する。彼女は生来、並以上の魔力があった。そして、魅了スキルの探究の過程で、体内の魔力も精密な操作が可能となっていた。
しかし、魔法学校の生徒は原則として貴族の通うもので、平民が入るには狭き門だった。入学には試験で上位の成績を取らねばならなかった。
両親に頼めば家庭教師をつけてもらえるだろう。だが、部屋の中で二人きりで長期間にわたって勉強を教えてもらう、という状況がまずかった。男女を問わず、家庭教師はまず確実に危険なレベルまで魅了されてしまうことだろう。
学校に入るまでの勉強だけは独学でやるしかなかった。
ミリオースは必死で励んだ。入学には今後の人生がかかっている。魅了スキルのせいで心穏やかになれない生活が一生続くなど、耐えられなかった。
強い意欲と不断の努力でミリオースはめきめきと学力を上げていった。そして無事、成績トップで魔法学校への入学を果たしたのだった。
「やあ、君が首席で入学したミリオースだね? 私は二年生のフォーレルだ。平民の出でこの魔法学校を学ぼうとはすばらしい。ぜひ話を聞かせてもらいたい」
入学した途端、国の第二王子フォーレルから声をかけられた。王族は有能な人物の獲得にどん欲と事前に知っていたので、こうした接触は予想していた。
第二王子は、ミリオースにとって有用であると同時に、危険な人物でもあった。
王族がそばにいれば、少々魅了された程度の生徒は寄ってこないだろう。王族相手に事を構えるにはかなりの覚悟と地位が必要だ。
だが、まかり間違って第二王子が本気で魅了してしまってはまずいことになる。まず結婚が決まる前に身辺を調べられるだろう。そうすれば魅了スキルはたやすく発覚するに違いない。魅了スキルで王族をたぶらかしたとなれば、ただではすまないだろう。
ミリオースはひとまず距離を置こうと考えたが、フォーレル王子は積極的に接してきた。現時点では、ミリオースの目から見て、純粋な善意だと思えた。魅了スキルに深刻に侵された兆候は見られなかった。王族の誘いを無理に固辞するのはそれはそれで危険なことだった。
ミリオースは王子と交友することを決めた。だがそのためには、対応しなくてはならない問題があった。
「初めまして、ミリオースさん。あなたからお誘いいただけるとは嬉しいわ」
「来ていただけて光栄です。アクスィオール様」
フォーレル王子との接触を受け入れた後、ミリオースはその婚約者である、公爵令嬢アクスィオールとの面談を申し込んだ。
ミリオースは事前に、学校に申請して談話室を貸りておいた。談話室とは10人程度が机を囲んで話し合いができるようになっている部屋だ。魔法実験の事前の打ち合わせや小規模な討論などを行うため、学校が設置したものだ。学校内に10部屋ほど用意されている。
勉強よりむしろ、紅茶を楽しむ場として生徒たちに活用されていた。
そこにアクスィオールを招き、二人きりで話す場を作ったのだった。
「ミリオースさん。本日はどんな用件でお誘いくださったのかしら?」
「フォーレル王子の事です。王子はわたしに目をかけてくださっています。それは平民でありながら入学試験で高い成績で入学して、悪目立ちするわたしを守ろうという善意からです。それ以上のものではないことを、ご承知おきいただきたいのです」
ミリオースの言葉に、アクスィオールは眉をひそめた。
「あら? 私があなたに嫉妬するとでも思っているのかしら? だとしたら心外だわ。私、そこまで器の小さい人間ではありませんわ」
「それはわかっています。でも……仮に王子との仲が進んでも、貴女はおそらく、嫉妬をしないでしょう。それが問題なのです」
「……どういう意味かしら?」
「貴女は平民ごときであるわたしの誘いに来てくれました。そこに異常を感じていません。おそらく、平民の願いを聞き届けるというご認識なのでしょう。でもそれなら、『わたしに呼ばれる』のではなく、『わたしを呼びつける』べきだったのです」
「……言われてみれば確かに私らしくはありませんでしたわね。でも……それがいったいなんだというのです? 貴女は何が言いたのですか?」
「わたしは魅了スキルを持っています。貴女は既に、その影響下にあります」
「なっ!?」
驚くアクスィオールに対し、ミリオースは懐から何かを取り出した。
アクスィオールはぎょっとした。それは奴隷用の首輪だったのだ。
「今から、魅了スキルを無効化します」
ミリオースは躊躇わずに首輪をつけた。
すると、アクスィオールは不快そうに眉をひそめた。
「……驚いたわ。ずいぶん印象が変わるものね。確かに、自分の婚約者に近づく平民に呼びつけられ、ノコノコやってきた自分に腹が立ってきましたわ」
「その反応が本来のものだと思います」
「でもわかりません。なぜそのことを明かすのですか? 黙って魅了しておいた方が、貴女にとっては都合がよかったのではありませんか?」
「こうして自ら明かしたのは、あなたを敵にしたくないからです」
魅了スキルを持ったミリオースにとって、人間関係は重要だ。だから入学前から、学校内の主要な人物の情報は集めていた。
公爵令嬢アクスィオールは調べた中でも最も注意すべき人物だった。
王族の婚約者に選ばれたのは、彼女の家柄だけでなく、その能力によるものが大きい。
彼女は現在、二年生だ。二年間を通して、学校では高い成績を保っている。社交界では積極的に有力貴族との交友を図り、その才知によって着実に人脈を築いている。学生の身でありながら、すでに国を支える一人になるのが確実と評されるほどの才女だった。
現在のところ、魅了スキルのおかげでアクスィオールは友好的だ。だが、ミリオースと王子との仲が意図せず進んでしまった場合、嫉妬が抑えきれるとは限らない。また、アクスィオールほどの才女なら、自力でミリオースの魅了スキルに気づく可能性も高かった。
彼女との敵対は避けるべきだった。いかに魅了スキルを活用しようと、彼女の地位と能力を考えれば、ほとんど勝ち目はないとミリオースは見込んでいた。
「わたしはただ、魅了スキルを封じる魔道具を作りたいだけなのです。王子がそばについてくだされば、魅了スキルで余計な男が寄ってくることも少なくなるでしょう。それ以上のことは求めません。どうかご協力いただけないでしょうか?」
「ご自分の目的のために、私の婚約者を虫よけの盾になさるおつもり? 随分と虫のいい話ですわね」
魅了スキルを無効化したためか、アクスィオールの言葉はとげとげしい。
だが、ミリオースにとってはその方が心地よかった。滅多に向けられることのない厳しい態度は、本気で話しているという実感があった。
それだけに、ここは引けなかった。
「わたしの方を虫よけと考えてください。王子によりつく女がいたとしても、わたしが魅了スキルとともに諭せば聞き入れます。それに、魔道具を作る過程で得た研究結果は、全てアクスィオール様に提供するとお約束いたします。わたしのことはどうぞ都合よく使ってください」
「ふん、ずいぶんと殊勝なことですね。でも、スキルを封じる魔道具? それならその、奴隷用の首輪で間に合っているのではありませんこと?」
「これはダメです。仕様上、外すには壊すしかありません。だからこれも、予め簡単に破壊できるようにしてあります」
そう言いながら、ミリオースは身に着けた首輪の一部をつかむと、ぐっと捻った。すると、首輪は欠け、外せるようになった。
外した首輪をつまみ上げなら、ミリオースは目を伏せた。
「それに……奴隷用の首輪なんて、年頃の娘がつけるのには似合わないでしょう? かわいくありません」
「ふふっ、公爵令嬢であるこのわたしを前にしてそのふてぶてしさ。信用を得るためにあえて自分の弱みをあえて見せる大胆さ。気に入ったわ。いいでしょう。貴女が有能であることを示す限り、協力して差し上げますわ!」
こうして、ミリオースは公爵令嬢アクスィオールの協力を取り付けたのだった。
それからは順調だった。
フォーレル王子との関係はおおむね問題はなかった。
子供のころからの技術の研鑽により、自分がどの程度魅了できるかはわかっていた。
それでも、現時点でどこまで魅了の効果が蓄積されているか、正確にはわからない。それは相手の仕草や言葉遣いなどから察するしかなかった。
ミリオースは慎重に油断せず、フォーレル王子との関係を継続した。
アクスィオールとは週に1回程度、談話室で情報交換をした。協力時に示した条件のように、ミリオースが研究で得た結果を細々と報告した。スキルについての研究は子供のころからやっていた。その蓄積があり、設備の整った学校に入学したことで加速し、研究は順調に進んでいた。
また、談話室は周囲へのアピールの意味もあった。ミリオースが横恋慕しているわけではなく、フォーレル王子と公爵令嬢アクスィオールと友人として仲良く接していると、周囲に知らしめるためでもあったのだ。
もともと、魅了スキルの効果もあり、周囲もミリオースのことを好意的にとらえてくれる。特に問題はなかった。
すべては順調だった。順調だと思っていた。
しかし、事態は急変してしまう。
アクスィオールとの協力を受けてから三か月ほど過ぎたころのことだった。
ミリオースは王子から、夜会には同伴して入場するよう頼まれた。この時点で異常を感じた。婚約者を差し置いて、友人であるはずの自分と同伴するなんておかしなことだった。
アクスィオールとの間でちょっとした喧嘩があったなどの可能性もあった。夜会の直前だったため、アクスィオールに連絡を取って確認することはできなかった。
そして、夜会に入場するなり、王子は婚約破棄を宣言してしまったのである。
ミリオースにとって、この婚約破棄は予想外の事ではあった。前日までのフォーレル王子との距離感は、せいぜい「仲のいい友人程度」であったはずだった。魅了スキルの与える効果は慎重に調整していた。ここまで急変する理由が思いつかなかった。
だが、ミリオースは慌てない。彼女は子供のころから魅了スキルについて試してきた。自分への好意が急変することは、これまでも経験したことがあった。予想外ではあったけれど、想定内の出来事ではあった。
こうした事態への対応については、事前にアクスィオールとも相談済みだ。
まずは有力な貴族令息に対し、全力で魅了スキルを仕掛ける。その貴族令息が本命であり、王子とはそういうつもりではなかったと、王子との付き合いを否定するのだ。
もちろん、王族の求婚を断るなど、平民ができるようなことではない。しかし、そこは篭絡した貴族令息にかばってもらい、更にはアクスィオールがうまくフォローすることになっていた。
候補に挙げていた貴族令息のうち、数名が夜会の会場内にいるのは確認済みだ。
アクスィオールに対し、目線を送る。だが、アクスィオールは首を横に振った。実行を待て、ということらしい。何か考えがあるようだった。ミリオースはひとまず、様子を見守ることにした。
アクスィオールは祈るように手を合わせ、フォーレル王子に対して語りかけた。
「フォーレル王子! どうか思いとどまってください!」
「すまないとは思う。だが、私は……」
「私の目を見てください!」
大粒のアクスィオールの瞳が輝いていた。まるで夜空の星を全て集めたみたいに、きらきらと輝いていた。
「覚えていますか? あの夜。星空の下で二人の将来を語り合いました」
「……ああ、そうだった。あの星空は美しかった……」
「あの時、私達は将来について語り合いました。」
「……ああ、そうだった。あの夜は、いつまでも語りたいと思った……」
「あの星空の輝きが尽きるまで、私を愛してくださると、あなたはおっしゃってくださいました。
そのことを忘れてしまったのですか?」
「ああ! 覚えている! ああなんということだ! 私が間違っていた!」
フォーレル王子はアクスィオールのもとに駆け寄ると、熱烈に彼女のことを抱きしめた。
「ああ! ああ! 私はなにを見誤っていたのだ! 君との間にある者こそ、真実の愛の愛だった! 愚かな私を許してほしい……愛している! 君のことを愛している!」
「ええ、許します。赦しますわ。だって私は、あなたのことを愛しているのですから……」
二人はお互いを確かめあるかのように、ぎゅっと抱きしめ合った。
はたから見れば婚約破棄を宣言した途端に、よりを戻したのだ。奇妙極まりない状況だった。
しかし王族と公爵令嬢が仲睦まじくしているのだ。貴族である生徒たちには、祝福する以外の選択肢などなかった。
周囲は戸惑いつつも、二人に拍手を送った。
そんなうつろな祝福の中、ミリオースだけが、戦慄に震えていた。
「アクスィオール様。あなたは昨夜、魅了の魔法を使ったのですね?」
翌日、ミリオースは談話室に呼び出された。出迎えてくれたアクスィオールに対し、先日の夜会の出来事について、すぐさま問いかけた。
あの夜会。フォーレル王子は間違いなくミリオースの魅了スキルの効果に侵されていた。婚約破棄を言い出すほどに深刻なレベルで魅了されていた。
それが一転してアクスィオールとの愛に目覚めた。それはあまりに唐突過ぎて、不自然だった。あの変わりっぷりをミリオースは理解している。あれは魅了によって認識を曲げられた人の姿だった。
「あら、私が魔法を使ったように見えまして?」
アクスィオールはしれっとミリオースに問い返した。
そう言われるとミリオースは言葉に詰まる。
フォーレル王子の態度からして、アクスィオールに魅了されたのは間違いない。
魅了スキルについては物心ついたときからの付き合いだ。仮にアクスィオールが魅了スキルを使えるようになったとしたら、それを感知できる自信はあった。しかし、その兆候を感じたことすらなかった。
そうでなければやはり、魔法しか考えられない。だが、ミリオースも魔法学校の生徒だ。あそこまで強力な魅力の魔法を使ったのなら、それもまた感知できるはずだった。
しかしあの時、スキルの発動も、魔法の使用も、感じられなかった。
ただ、アクスィオールの瞳が星をちりばめたように輝いて……。
そこで、ミリオースは気づいた。アクスィオールの瞳は澄んだ美しい蒼だ。それが夜会の場で、あそこまで燦然と輝くのは不自然だった。
ミリオースの懐疑の視線を、アクスィオールは微笑みで受け止めた。
「あら? やっぱり気づきましたのね。そうです。瞳です。私は会場に入る前から自分の瞳に魔法をかけていたのです。常駐型の疑似的な魅了の魔眼。魔法を仕掛ける際にには大きな魔力を要しますが、維持にはそれほど魔力を要しません。夜会の場で、私が魔法を使っていたと気づいた者はいないはずですわ」
「そ、そんな! ありえません! あんな強力な魔眼を使い続けたら、会場がパニックになっていたはずです!」
ミリオースは魅了の恐ろしさは良く知っている。
婚約破棄を決意するほどまでに魅了された人間の意思を、捻じ曲げてしまうほどの魅了の魔眼。そんなものを使用し続けたまま夜会に出席すれば、次から次へと結婚を申し込まれていたはずだ。夜会は混乱し、暴動に発展してもおかしくなかった。
「あの魔眼は、フォーレル様専用の魔眼でしたの」
頬を染め、目を輝かせ、まるで夢見るように。アクスィオールは語りだした。
「夜会でもお話したように、フォーレル様とは星空の下で愛を誓い合いましたの。素敵な思い出。私は魔法で、瞳の中にあの時の夜空を再現しましたの。発動対象の条件は、あの星空の下での思い出を共有していること。効果発動のキーワードは、『あの夜。星空の下』。条件が厳しい代わりに、強力でありながら維持に魔力を要さない。まさにフォーレル様専用の魔眼ですのよ」
誇らしげなアクスィオールを前に、ミリオースは圧倒された。
アクスィオールが優れた能力をもっていることは知っていた。学業で優秀な成績を見せ、その才覚で人脈も着々と気付いている優秀な才女であることも知っていた。
しかしまさかわずか三か月足らずで、特定の人間のみを対象とした、あんなにも強力な魔眼を開発するとは思いもよらなかった。
状況が飲み込めると、ある疑問が湧いてきた。
「あの魔眼は夜会に入る前から準備したとおっしゃいましたよね? それではまるで、あの夜会で婚約破棄されるのがわかっていたみたいではないですか」
問いかけながら、ミリオースは他の可能性も考えていた。アクスィオールの言葉通りなら、あの魔眼は少ない魔力で維持できる。あるいは、今まで気づかなかっただけで、夜会のたびに使っていたのかもしれない。
だが、アクスィオールの答えはそんな予想を覆すものだった。
「ええ、婚約破棄されるのはわかっていましたわ」
「え……?」
「貴女から魅了スキルのことを聞いて以来、私は毎日、何度もフォーレル様に鑑定の魔法を使いました。そうすることで、魅了スキルが彼の身体の中で、どのように作用するか解明しましたの。フォーレル王子専用の魅了の魔眼の開発も、その成果のひとつですわ」
「なるほど、そういうことでしたか……」
魔眼の開発といい、入念なフォーレル王子の鑑定といい、アクスィオールの才能と執念には驚かされるものがあった。だが、それでおおよその事情が分かった。
談話室にはお茶が用意してあった。
ミリオースはこれまで、話に夢中で紅茶の存在すら忘れていた。
ひとまず落ち着こうとティーカップに口をつけた。
「それで、夜会の前に、魔力操作でフォーレル様の魅了の効果を大幅に増加させましたの。そして、あの夜会で婚約破棄宣言するように誘導したのですわ」
ミリオースは思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「な、な、なんでそんなことを!?」
「貴女との関係は良好でしたが、それでもやはり、王子と貴女の間柄を疑う生徒はいなくなりませんでしたの。あなたの魅了スキルの影響が王子の体内に残り続けるのも、正直不愉快なものがありました。それらを解決するために、あの舞台を作り上げたのですわ」
アクスィオールはさも当たり前のことのように、淡々と語った。
確かに婚約破棄を夜会と言う衆人環視の前で頓挫させれば、王子とミリオースの仲を疑う者などいなくなるだろう。
それにしても、その行いはあまりに大胆すぎた。
「……アクスィオール様の魅了の魔眼は確かに見事なものでした。でも実際に使うのは初めてだったのでしょう? もし失敗したらどうするおつもりだったのですか?」
「あの魔法は王子への愛で作り上げたものです。それが通じないというのであれば、私の愛が届かないということ。それなら私は生きていけいません。王子のことを生かしておくこともできません。失敗したなら、王子と共に死ぬつもりでしたわ」
冗談だと思った。愛想笑いのひとつも浮かべるべきだっと思った。だが、ミリオースは笑えなかった。
しかし、アクスィオールは穏やかに微笑んでいながら、目はまったく笑っていなかったのだ。
恐ろしくなり目をそらした。話題をそらそうと、ミリオースはとにかく思いつくままに口を開いた。
「そ、そもそも! なんで事前に教えてくれなかったんですか。わたし本当に驚いたんですよ」
自然とそんな不満が漏れた。
あの婚約破棄の一幕は、全てアクスィオールの手のひらの上だった。だが、彼女とは協力関係を結んでいたのだ。こんなことをするなら、事前に知らせておいてほしかったのがミリオースの本音だった。
「理由は二つありますわ」
アクスィオールから、すっと笑顔が消えた。
ミリオースは寒気を感じた。まるで部屋の温度が下がったように思った。
「ひとつ目の理由は意趣返しですわ」
「意趣返し?」
「不意打ちの魅了スキルで、私とフォーレル様との間にもぐりこんできた、あなたに対する意趣返しですわ。魅了スキルで奪われた殿方を、魅了の魔法で取り返す。実に正当なやり方でしょう?」
ミリオースはビクリと身体を震わせた。
アクスィオールは淡々と語っていた。その言葉の裏に潜む、ぐつぐつとした怒りが見えた。
声を荒げないのが、逆に恐ろしかった。
「もうひとつの理由は……あなたを戒めるためですわ」
「い、戒める……?」
「貴女、意図的に報告を怠っていましたわね?」
アクスィオールは見せつけるように右手を掲げた。その右手には魔術文字の刻まれた銀の腕輪がつけられていた。
その腕輪は、ミリオースも良く知る物だった。
「貴女の平常時の魅了スキルは、この腕輪のような一般的な『状態異常耐性アクセサリ』で防げる。まさか知らなかったとは言いませんわよね?」
ミリオースは返す言葉を失った。確かに彼女は、そのことを隠していたのだ。
彼女が普段発動している魅了スキルは、一般的な状態異常耐性アクセサリで防ぐことができてしまう。魅了スキルの出力を上げれば突破も可能だが、継続的に影響力を維持するのは困難となる。
彼女の周りの人間にこうしたアクセサリを配れば魅了スキルの弊害はおおむね防げるだろう。だがそれは現実的ではない。そうしたアクセサリは、平民にとっては高価なものだった。冒険者でも、メンバー全員に装備させられるのは中堅以上のパーティーになる。
だからこそ、魅了スキルを無効化する魔道具を求めたのだ。
王子が魅了スキルの影響下にあるからこそ、その庇護を受けることができた。アクスィオールからの協力も得られた。状態異常耐性のアクセサリについて話してしまえば、その関係が破綻する可能性があった。
それでも、いずれはアクスィオールには気づかれると思っていた。その前に、自分から時期を見て打ち明けるつもりではあった。
まさかこのタイミングで、こんな形でアクスィオールの方から言い出されるとは思わなかった。
ミリオースの身体中から嫌な汗が噴き出た。それなのに凍えるみたいに背筋が寒かった。
アクスィオールは、そんなミリオースのことをじっと見つめていた。
やがて、ふっとアクスィオールは再び笑顔を浮かべた。
ピンと張りつめていた空気が弛緩した。
ミリオースは大きく息を吐いた。そこで、自分が今まで、息もろくにできないほど緊張していたことに気づいた。
「ごめんなさい。少し怖がらせてしまったみたいね。でも勘違いしないで欲しいください。そういう小賢しいところも含めて、貴女のことは気に入っていますの。
魅了の魔眼を作り出せたのは、貴女の研究の成果のおかげでもあります。今回の経験は、精神操作魔法への対策の勉強になりました。将来、王子を支えていくのに、この経験はきっと役立つことでしょう。貴女は自らの有能を示してくださいました。これからも、仲良くしましょうね?」
アクスィオールは握手を求めて手を差し出してきた。
あれほどのことを仕掛けておいて、ミリオースの底意も知りながら、それでも手を差し伸べてくる。そこには恐怖しかなかった。
それでも、その手を取る以外、今のミリオースにできることはなかった。
談話室での話の後。
ミリオースは学園寮の自室に戻り、ベッドの上でうつぶせに寝ころんでいた。
ひどく疲れていた。起き上がる気力がなかった。
悔しかった。
魅了スキルで身の回りの状況をコントロールしているつもりだった。
だが、全てはアクスィオールの掌の上だった。特殊なスキルもなしに、その磨き上げた才覚によって、すべてをコントロールしていたのだ。そのことが悔しくてたまらなかった。
そして恐ろしかった。
フォーレル王子に対する愛情の深さと、あの独自に作り上げた魅了の魔眼が恐ろしかった。
あの女は、よりにもよって愛する者との思い出を利用して魅了の魔法をかけたのだ。
それは魅了の恐ろしさをよく知るミリオースにとって、受け入れがたいことだった。
しかもそれを愛だと言い切った。そのことを微塵も疑っていない。それが何より恐ろしかった。
でも、悔しさよりも恐怖よりも、彼女の中で大きく占める感情があった。
「うらやましい……!」
思わず思いが口からこぼれ出た。
魅了スキルのせいで、ミリオースはまともな恋愛を経験したことがない。両親すらも魅了してしまったがゆえに、親子の愛を感じることすらできなくなった。
だからこそ愛に飢えていた。誰かを愛したいと願っていた。誰かに偽りなく愛してもらうことを求めていた。
そんな彼女にとって、アクスィオールはまぶしく見えた。
彼女は語った。星空の下で王子との愛を誓ったと。
その時の想いを胸に、魅了の魔法を作り上げた。夜会での婚約破棄という舞台を整えて、決死の覚悟で臨み、自らの愛を貫いて勝利した。
異常だ。狂っている。まともではない。
でもそれは、魅了の魔法では決して至れない、深く激しく狂おしく人を愛した、尊くて美しい姿だった。その在り方を、ミリオースはどうしようもなく、羨んでしまうのだ。
終わり
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