苦くて硬い彼女の話 The “Canelé” talk
知様主催の『ぺこりんグルメ祭』参加作品です。
現実恋愛ですが、舞台はフィクションです。海外ドラマやトレンディドラマ風に想像していただけると幸いです。
アラサー女子2人のカフェトークをどうぞお楽しみください。
①表紙風イラスト
メアリーがメニューを開くのは、ほとんど儀礼的なものだ。何度もめくってきたから、どのページに食事・デザート・飲み物が載っているか分かっている。不定期で差し替わる1ページ目の期間限定メニューだけをパラッと確認し、彼女はスタッフに「カヌレセット、カプチーノで」と伝えた。
向かいに座るシェルズも、慌てて「同じものを」と伝えた。2人は仕事終わりに急遽カフェ・タンドレスで会うことになった。用件は明確だ。シェルズがここ最近良い感じに付き合っていた男に、恋人がいたことが判明したのだ。
「どうして私は幸せな恋愛が出来ないの?
いつも不幸な結末ばかり」
②シェルズ
空っぽの机に向かって、シェルズは愚痴をこぼす。
色落ちした茶髪はパサついている。ベージュ色の混麻のジャケットはフェミニンなデザインではあるが、アイロンがけをサボっているのが丸わかりのシワシワだ。手首見せでめくった袖裏は、デスクワークで擦り付けているせいで黒い筋がついている。
「原因は分かっている?」
自分の耳飾りに触れながらメアリーは尋ねた。
カラーストーンを大胆にカットしたデザインの耳飾り。ラメをふんだんに使ったアイシャドウ。ピンクローズのグロスが唇の上で艶めいている。
メイクが強い分、服装はベーシックカラーでまとめているが、ボディラインが分かる黒のノースリーブ姿は、彼女がいかにしなやかでメリハリある身体の持ち主かを教えてくれる。後頭部がふんわりしたショートカットの毛先や二の腕や爪先は、日々のケアを怠っていない証拠としてツヤツヤに光っていた。
③メアリー
「彼が恋人の存在を隠していたことよ」
シェルズは即答した。
フゥーと、メアリーは天井目掛けて息を吐いた。丁度その時、2人が頼んだカヌレとカプチーノが机上に置かれた。
「それは違うわ、シェルズ」
メアリーは、小さなカヌレが4個並べられた皿から1つつまみ上げる。彼女の親指と人差し指で支えられた小ぶりなカヌレ。ムラのない焦げ茶色のプレーン味を、彼女は上から半分位まで齧る。
カリッとした表面を噛むとすぐに、柔らかさと弾力が絶妙な食感に変わる。ほろ苦さと甘さを舌の上で堪能しながら、「今日も合格」と彼女は心の中で呟いた。クリーム色の断面と、均一に並ぶ溝を視認してから、残りを口に放り込んだ。
「貴女が彼と付き合う前に、恋人の有無を確認しなかったからよ」
カプチーノを一口流し入れた後にメアリーは言った。
「だって、聞きにくかったし。でも会話の感じとか女がいる気配なかったし、私が水族館に行きたいって言ったら『良いよ』って言ってくれたし」
メアリーは再び、今度はハァーと天を仰いで息を吐いた。
「シェルズ、貴女は深層心理捜査官のつもり? 或いは水族館の入場資格は恋人同士限定なんて思ってるわけ?
恋人がいるかいないかは、イエスかノーしかないの。私は前に言ったわよね。『そいつに恋人はいるのか、ちゃんと確認しなさい』って。貴女は『多分大丈夫よ』としか言わなかったけど」
シェルズの目線は自分の手元とカヌレが乗った皿を何度も行ったり来たりしている。
「私が、悪いのね……。恋人の有無を確認せずに彼とデートしたから」
「貴女が悪いわね。
私は『そんなことないっ、可哀想なシェルズゥ』なんて、言わないわ」
メアリーは2個目のカヌレを手に取った。上の窪みに抹茶クリームが埋め込まれた抹茶カヌレだ。
齧ると、ほろ苦さと一緒に抹茶の風味が広がる。
メアリーがゆっくり口を動かしながら、カヌレを味わっていると、シェルズのすすり泣く音が聞こえてきた。
「次は頑張って、良いなって思う人がいたら、ちゃんと恋人がいるか聞くようにするわ……」
シェルズは小さく鼻をすする音を立て、誤魔化すようにカプチーノのカップを口付けた。
「貴女の良いところは素直に私の話を聞くところね。あの男に自分から声をかけなさいって言ったのも私だもんね。
ねぇ、シェルズ。これが私からの最後のアドバイスよ。しっかり聞いてね」
■■■■■
本場本店ではローズティーが有名らしいカフェ・タンドレス。スタッフ達が軽快に雑談しながら、カウンターで淹れるコーヒーの香りが、フワッと彼女達の席までやって来る。
「質問よ、シェルズ。貴女は一体何がしたいの?」
アドバイスすると言ってもらい、少し嬉しそうに背筋を伸ばしていたシェルズは、小さな目を最大限に広げた。
「何がしたいって……。
そりゃあ、もうすぐ29歳だし、ちゃんと恋愛とかして結婚とか考えないとさ……」
「貴女は恋愛と結婚がしたいの? どうして?」
「だからあと1〜2年で30歳になるからよ。
30歳にもなって、恋人無し未婚なんて、みっともないじゃない」
シェルズが少し苛ついた様子で言った。
それを聞いたメアリーは、ハァ〜と首を振りながら息を吐いた。
「苛つきたいのは私の方よ。貴女はさっきから私の質問に答えていないわ。
29歳だから30歳になるから、貴女は恋愛や結婚をするの? 恋愛や結婚はティンダースクールの学年別カリキュラム?
もう一度聞くわ。貴女は本当に恋愛結婚がしたいの? それが貴女のやりたいことなの?」
シェルズの顔が固まった。
それが溶けるのを待つかのように、メアリーは3つ目のカヌレをつまんだ。芳醇なチョコレートとラム酒の香りが食べる前から彼女の鼻をくすぐる。カフェ・タンドレスで2番目に人気のチョコカヌレだ。
「……面倒臭くて仕方が無いわ。でも、周りの友人や同僚が結婚して子どもを産んでいってるのを見てると、このままじゃ駄目だと思えてくるの。
ママから『次は貴女の番よね』と言われる回数が増えてきているし、職場の飲み会では上司に『恋人は出来たかい?』て毎回聞かれるし。もう笑って誤魔化していられる年齢じゃなくなってきたのよ。だから困っているのよ」
「なるほどね、気にしなきゃ良いのに」
メアリーはチョコレートの余韻にカプチーノを加えた。
「簡単に言わないでよ。私が貴女みたいに好き勝手に生きようとしたって無理なのよ。メアリーみたいに美人でもない私は周りが普通で良いと思っていることをしないと……」
「貴女は私が簡単に生きられていると思っているわけ? 私がこれまで積み重ねてきた選択や努力や実績を軽んじる発言ね」
急に声色を変えてきたメアリーに、シェルズは肩を小さく震わせた。すぐに首を振った。
「ごめんなさい。
でも、そんなつもりはなかったとも言えないわ。だって貴女はいつも自由に華やかに過ごしているように見えるから」
「本当に素直ね」とメアリーはフフッと笑った。
シェルズは安心したように口元を緩ました。
「シェルズには嫌な魔法がかかっているみたいだわ。
親のお小言は、ある程度聞き流すのが成人した子どものスキルよ。訓練するに限るわ。
上司が何度も恋人の有無を確認するのはハラスメントよ。対策を検討しましょう。
次に仮定を踏まえて話するわよ。
今言った2つの項目が消え去ったら、貴女は何がしたいと答えられるかしら?」
メアリーはくっきり上げた睫毛を披露するかのように、シェルズを見つめる。
シェルズは瞬きを小刻みに繰り返した後、斜め下に目線を落とした。まるでレーザーで探索してるかのように眼を動かし、4個並んだカヌレで止まる。思い出したかのように、彼女はプレーンを一口で食べた。
口の中がしっかり動いている様子が見て分かり、メアリーは黙ったまま微笑んだ。
「とても美味しいわ」とシェルズ。
「良い店でしょ。最近毎日通っているの」
シェルズはあっという間に抹茶とチョコのカヌレも食べた。ズズズと冷めたカプチーノを飲む。
「メアリー、笑わないで聴いてくれる?」
「今まで私が、貴女の話を馬鹿にしたことがあった?」
クスッとシェルズは笑った後、姿勢を真っ直ぐにした。
■■■■■
「私は小説を書きたいわ」
「小説? 何か応募でもするの?」
メアリーは尋ねた。少々予想外だったらしく、声がやや上ずってしまった。
「いいえ。コンクールなど関係なく、個人がネット上に小説を投稿出来るの。そのサイトをアクセスすれば、誰でも無料で小説を読めるのよ」
「へぇ。でも素人の小説を読む人なんているの?」
「いるわよ! そのサイトに小説を投稿して、人気が出て商業デビューした作家も沢山いるのよ!
2年前に社会現象にもなった『転生悪役令嬢のざまぁ婚約破棄で俺モフモフチートスローライフ』略して『ざまはき』位は聞いたことがあるでしょう」
「確かにネットニュースを見ていたら、しょっちゅう広告が出てきて、嫌でも文が目に貼り付いてウザかった記憶があるわ……。
シェルズもざきはきみたいな物語を書きたいの?」
メアリーは自分が逃げるように、椅子の背もたれに深く背をくっつけていることに気付いた。一方シェルズは両肘を机上に乗せ、こちらへ前のめりになっている。
「ファンタジージャンルを書きたいとは思ってないわ。
私が書きたいのは『現実恋愛作品』よ」
『現実』ではない恋愛作品とは……?
と、メアリーは声に出す寸前で止めた。会話の幅を広げたくなかったからだ。
「だから自分も、小説やコミックを読むばかりじゃなくて、ちゃんと恋愛を経験しなきゃと思ったのよ」
「それで私に合コンや出会いの相談をしてたのね」
「うん、でも、楽しくなかったわ。やり取りした人達皆、悪い人じゃないのよ。でも上っ面だけの笑顔で振舞うのが耐えられなかった。相手も楽しんでいるとは思えなかったし」
「それに気付けて良かったじゃない。モヤモヤしたものを無視して、無理矢理結婚してたら、お互い不幸だったわ」
メアリーの言葉に、シェルズは「そうね」と微笑んだ。
「では取材はここまでにして、次は執筆活動に専念したら?
私は知っているわ。固い殻に閉ざされた中にある本当の貴女は、弾むように魅力溢れる貴女だって。
そう、まるでこのカヌレみたいにね」
メアリーは最後の1つであるカヌレをつまみ、低い位置で掲げた。
「貴女の幸運と、素晴らしい作品が生まれることを願って」
シェルズもカヌレを持ち、同様に掲げた。
「願って」
2人はパクッとカヌレを口に入れた。深みのある紅茶のアロマが口全体に広がり、鼻腔をくすぐった。店人気ナンバーワンのアールグレイのカヌレだ。
④カヌレ
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カフェを出てすぐ、メアリーは腕を上げて伸びをした。
「フゥー、食べ足りないわね。
近くに美味しいオレンジワインが飲めるバルを見つけたの。ディナーはそこでどうかしら?」
「良いわね」とシェルズは言った。
「メアリーの方は最近どうなの?
カメラマンの弟子とは上手くいってるの?」
「ああ、アイツ? 2週間前に別れたわよ。
同棲したいって言い出して、うるさかったから」
「ええ?! 凄く良い人みたいだったのに?
別れの言葉は、いつものバーで済ませたの?」
シェルズは目を煌めかせながら尋ねる。
「ちょーっとゴタついてね……。
詳しくはバルで話すわ。
ついでに一昨日遊んだ現役消防士の話も」
横切る店1軒1軒から、賑わう声が漏れてくる。
長くて熱い夜が、この街を包んでいく。
シェルズは横並びで歩いているメアリーの耳飾りをほんの少し見上げる。カツカツカツとヒールの音が心地良い。
「私、貴女の恋愛事情を聴くのが好きなの。貴女の話は貴女視点だけでしょう。聴きながら、相手の男性やライバルの女性達はどう考えているのか想像すると楽しいの」
「素晴らしい趣味ね。貴重な話題を提供するんだから、面白い小説を書きなさいよ」
「うん、頑張るわ。書けたら読んでくれる?」
「何事も経験だからね。素人の小説がいかほどか試してみるわ」
オレンジ色に灯るランプが目印の店前に止まり、2人は笑いながら木製ドアを開けた。