第92話 やり残した仕事
イルダは、この眼の前の娘にとても凌辱云々の話は出来なかった。
だが、サンドルがこの町を後にした事情は話しておいた方が良さそうであった。
「あんたは、「死んでなきゃ治る」ポーションって知ってるかい?」
「はい。巡礼者に化けて、この町に来る時に理由にしました。そのポーションを探しているということにしたのです」
「ああ、そうだね。そういやあ、結構未だに探している連中が居るねえ。もう残ってなんかいないのにねえ」
イルダはため息をついた。
「あのポーションはね、全部サンドルが作っていたのさ。寝る時間を惜しんで、体を削るようにしながらね。全部、工房の親方や、教会の連中の肥やしにしかならないのに、それでも少しでもこのポーションが安く流通すれば、助かる人が居るからってね。
だけど、ポーションはサンドルが望んだみたいに貧しくて困っている人のところに届くことは無かったのさ。軍が全部買い占めたからね」
そして、イルダは当時の軍の行動を説明した。
その頃、アリステア神聖帝国は特に対外戦争は行っておらず、軍の主な仕事といえば、大量に出没していた魔物の討伐であった。
他の国なら冒険者が適当に間引きするので、極端に増えることは少ないのだが、この帝国では冒険者ギルドはない。教会が時々、集中狩猟をしているが、効果は薄い。
そこで、軍が魔物討伐もしているのだが、その兵士たちにポーションを使うことで、非常に効率的な兵士の運用が可能だと、将軍たちは気がついたのだった。
激しい戦闘で兵士が傷ついても、ポーションを飲めば大抵は治って、翌日にはまた戦場に立てるのだ。廃兵がたくさん出ることを怖れなくても良くなる。戦死すればさすがにポーションでは治らないのだが、逆に言えば戦死すれば後腐れが無い。
廃兵に掛かる費用も不要になるし、いわゆる野戦病院を設置する必要すらなくなる。
ただたんに足りなくなった分だけ、新たに徴兵してくれば良いだけなのだ。
たとえ兵士の半分が負傷しても、翌日には治っていてまた戦えるのだから、少々無茶な作戦を実行しても大丈夫、という訳だ。
しかし、徴兵された兵士達はたまったものではない。いくら後で治ると言われても、魔物の爪や牙で切り裂かれる痛みが無くなる訳ではない。
それよりも、これまではある程度の怪我をすれば、廃兵となって除隊出来たのが、ポーションを使うようになってから、戦死する以外に除隊する方法が無くなってしまったのだ。
もちろん、徴兵期間が満了すれば除隊になるが、始終、大怪我前提の作戦に投入され続ければ、なかなかそこまで生き残れるものではない。
だから、「死んでなきゃ治る」ポーションが広まった僅かな期間の間に、農民出身の兵士たちの間では「死ぬまで治る」ポーションと言われるようになっていた。
支配者側から見れば、徴兵される農民の総数自体は減っているので農業生産力にダメージは少ないし、後々までコストが掛かり続ける廃兵の世話も不要、と良い事ずくめだが、徴兵された兵士にとっては、その時点で二度と故郷に帰れる見込みがなくなるということであった。
さらに新型ゴーレムが従来のように戦闘時の盾役だけではなく攻撃も可能となり、野戦陣地の構築や軍用道路の設置など工兵部隊の代替も出来……と万能兵器でもあることが軍首脳部に認識されるようになってくると……。
魔物討伐で精一杯だった軍隊が、100年以上ぶりに対外侵略を作戦立案するようになっていったのだ。
「馬鹿な話さね。戦力が整って勝てそうだから戦争やりたがるなんてね。それで得をするのは貴族や軍のお偉方しかいないのに。だけど、具合の悪いことにこの国には正統アリステア教を大陸中に布教するっていう大義名分があるからね。戦争を始める理由には事欠かないのさ」
「でも、そんな作戦はお師匠様1人に依存し過ぎて居るように思います」
「そうさ。あとで考えれば穴だらけの作戦だよ。サンドルがエンセオジェンに耐性が出来ているって思わなかったから、逃げ出すことなんか想定せずに、こんな不安定な作戦を遂行しようとしていたんだね。
だけど、たとえサンドルが逃げなくたって、病気になったり、怪我をして働けなくなる可能性を考えないのかねえ」
実際のところ、上層部では確かにサンドルの技術力が図抜けているだろうが、工作道具も設計図も資材も全て揃っているのだから、他の職人でもなんとかなると思っていたのだ。残りの職人だって、当時の一流であることには変わりは無いのだから。
ところがサンドル逃亡後に、これまでと同等品を作れくなって、コッポラ親方は責任を取らされることとなった。
それでもゴーレムは類似品は形になったが、ポーションの方にいたっては、レベルの落ちた低級品すら作れず、幻の治療薬になってしまったのだ。
「とにかくひょんなことから自分が寿命を削るようにして作っているものが皆を幸せどころか逆に不幸にしている、そして戦争なんか起きたらもっと大きな不幸が起こる、そう思ったサンドルは忙しい合間にも少しずつ進めていた研究も放り出して、亡命することにしたのさ。
状況がわかった以上、これ以上、みんなを苦しめることは出来ないって言ってね。
あの時は、気心の知れたヴィーゴという商人が迎えに来る筈だったから、一緒にシュタイン大公国に逃げたものだとばかり思っていたよ」
「それにしても、世間に広まることはなかったのかも知れないけど、もう一度、ゴーレム製造もポーションも手掛けるようになったんだねえ」
そして、「あんなに好きだったものねえ」とつぶやいた。
「あ、そうだ。あんたと一緒にゴーレムを作っていて、魔晶石の製造はあんたの役目だって言っていたね。ゴーレムは見られないとしても、魔晶石はストックを持っていないかね?」
フロリアは、ビルネンベルクを襲ったオーガやオーガキングの魔石を暇にあかせて魔晶石に結晶化していたのだが、その中の1つを単結晶にしていた。フロリアはその単結晶を含めていくつかの魔晶石を出した。
イルダは急に真剣な表情になって、鑑定スキルはもちろん、大きな天眼鏡を出してきたり、光に当てて反射の具合を調べたりしていた。
そして、10分ほど経ってから、この魔晶石作りの職人は、一つの魔晶石を取り上げて、「驚いたよ。ホントにあんたがこれを作ったのかい。これはあの時にサンドルが一生かけても作りたいって言っていた、単結晶の魔晶石じゃないか。……そうかい、実現出来たんだねえ」
イルダはフロリアを待たせておいて、奥に引っ込んだと思うと、しばらくして、手提げの箱を持って出てきた。
「これは最後にサンドルから預かったものだよ。ゴーレムのアイディアを詰め込んだものや、さっきちょっと話した研究テーマをまとめたものもある。中身は全部、精霊文字だけど、あんたはサンドルのお弟子だというのなら、精霊文字を読めるんじゃないかと思ってね」
「はい。私は精霊召喚も出来るので、読んで貰います」
「そうかい。それじゃあ、その箱ごと持っていきな。サンドルはいつか、この国に戻れることがあったら、箱を受け取りに来るから、それまで預かって欲しいと言っていたけど、結局それは出来なかったね。
それはあんたが持ってお行きよ」
「良いのですか?」
「良いさ。この工房も実は借り物でね、私が死んだ後は教会に返されるのさ。その時に、どうせ金目のモノを探して徹底的に家捜しさせるだろうし。
たとえ、読めなくとも、何か重要なものだと思われたら、教会の手に渡って碌な結果にはならないだろうね。
あんたが持っていた方が良いのさ」
こうして、フロリアは予期せず、アシュレイが遺書で残した「やり残した仕事」の資料を手に入れる事になったのだった。
話は尽きなかったが、何時までもイルダの工房に居て、誰かに発見されると迷惑が掛かる。
フロリアはいきなりの訪問を詫びて、退去する旨を報告すると、イルダは、いつかシュタイン大公国を訪れる機会があったら、首都のキーフルにヴィーゴという商人が居て、サンドルと親しかったので、訪ねてみて欲しいと言った。
「その商人もサンドルと親しかったんだよ。キーフルにお店を構えてから、この国に来ることが無くなってね。彼とももう20年も音信が無いから、今でも元気かどうかは判らないんだけど、もし元気だったらきっとサンドルの話を聞けば喜ぶと思うんだ。……あ、だけど、家族が出来ていたら、……いや、きっと家族は居るだろうけど、特におかみさんにはサンドルの係累だと言わない方が良いかもね」
フロリアも、前世の女子高生時代には友達との色恋沙汰の話は好きであったし、なんなら恋愛脳じみたところもあった程なので、イルダが何を言っているのかは敏感に察知し、「誰にも判らないように、そのヴィーゴさんだけに接触するようにします」と約束した。昔の恋人の係累が訪ねてきて家庭不和の元になることは無い。
「それと、最後にもう一度、サンドルの姿を見せてくれないかね」
黒豹に戻って、フロリアの足元に寝そべっていたトパーズは静かにサンドルの姿に変化した。
イルダはそのトパーズに抱きつくと、しばらく動かなかった。
「本当によく来てくれたね。だけどこの国はまともなところじゃないから、あんた達は出来るだけ早く出ていった方が良い。ノートの研究は、この近くの遺跡を研究したもんだけど、今、ここに残って、その調査の続きなんかやることはない。
今は、幽霊ゴーレムのせいで、あちこちでその持ち主を探しているからね。とにかく早く出ていって、何年も後に十分に準備してからやり直しても良いんだよ」
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