第9話 次の町へ
フロリアは、食糧を貰うのは諦めて、トパーズの化けの皮が剥がれないうちに退却することにした。
もし化けの皮が剥がれたら、大変なことになる。
トパーズによって、村は全滅してしまうかも。
村長宅を出て、村の門をくぐる迄の間、フロリアと連れ立って、早足で歩くアシュレイ姿のトパーズの姿は複数の村人に目撃された。
もちろん、アシュレイの生前の顔を見知っているので、やはり死霊が出たのかと思って、魂を抜かれたような顔をしてへたり込んでいる。
以前から居て、気心もある程度知れている、と思っていた村人たちも、ベンがフロリアを取り込もうとしているのに気がついていながら、警告1つしてくれなかった。
フロリアはそのことには腹が立っていたが、流石に全滅させるほどのことでもないとも思っていた。
最後にまた家の前に置かれた椅子に座ったおばあさんの横を通る。
「おやおや、なんか怖い人と一緒に居るねえ。あんたはアシュレイさんと居なきゃ駄目じゃないかね。
そうじゃないと、あんたをお嫁にしようと悪い人がたくさんやってくるんだよ」
「おばあさん、ありがとう。でももう大丈夫だよ」
フロリアは足を止めずに村の門を出る。
その頃になって、やっと回復したベン村長派の男が追いかけてきて、誰か、その娘を止めろ、などと叫ぶが村人は誰も手出しできない。
そればかりかベン派の男たちも、ベンの命令で追いかけては来たものの、怒鳴るばかりで2人にうっかり追いつかないようにしているようだった。
門を出たフロリアとアシュレイ(仮)を追って、男たちも続いて門を出たが、2人の姿はかき消したように消えていた。
「脇道も隠れるところもねえのに、やっぱりあいつらは……」
男たちもちろん、本気で探そうとはせずに、互いに目配せしあって、「き、消えちまったもんは仕方ねえ」「ああ、探しようがねえよなあ」などと言って、そそくさと村の中に戻っていった。
フロリアたちは、もちろん門を出てひと目が途切れた瞬間を狙い、亜空間に潜りこんだだけである。
「まったく、私にまかせておけば、こんな風に逃げる必要など無いというのに。何なら、村からたっぷりフロリアのための食い物も見つけてやったのだぞ」
「そんなの駄目だよ、トパーズ。お師匠様も大事にしていた人たちなのに、傷つけたり、殺しちゃったりしたら、お師匠様が悲しむよ」
あの新村長派だけなら、悲しまなかったかも知れないが、それでもトパーズがそこまでやってしまったら、フロリアが殺人犯として追われかねない。
この世界では、隅々まで司法が行き届いているという訳では無いし、もちろん警察もない。せいぜい、大きな町なら治安維持のための衛士が少し居る程度。
それに、いわゆる正当防衛の範囲がざっくりと広く取られていて、他人に害を与えようとする者に対しては、被害者側は相当に遠慮のない自衛行為や報復を為すことが許されている。
それでも、新村長派は別にアシュレイを殺した訳でも無いのはアシュレイ自身の精霊シルフィードの証言で明らかだし(少なくともフロリアにとっては)、家が燃えたことについてはちょっとあの男たちに嘘がありそうな気がするのだが、仮にそうだとしても報復で数人殺してみせるのはさすがにやりすぎだろう。
そして、トパーズに任せた場合、数人だけでは収まらない可能性がけっこう高いのだ。
ちょっと物足りないが、アシュレイの姿に腰を抜かしたことぐらいで満足して、堪えなきゃ……、フロリアはそう考えた。
――フロリアは後々まで気が付かなかったことなのだが、彼女は実に手痛い報復をこの村に与えていた。
レソト村はアシュレイの精霊の祝福を受けて成り立っている村なのである。
そのアシュレイが死去したとなれば、祝福はこれでお終い。今度はフロリアが自分の精霊に村に祝福を与えるように頼まなくてはならなかったのだ。
しかし、フロリアはそんなこと聞いては居なかった。アシュレイの遺書に記されていたのだが、その遺書も読んでいない。
ベン村長の側も前任のカール村長は急死だったので、精霊の祝福については知らされて居なかった。
こうした訳で村に与えられる祝福は止まってしまったのだった。
フロリア達は亜空間内で、一休みする。どうせならこのまま、夜が更けるまでとどまることにした。
「ところで、トパーズ。いったいいつの間にお師匠様に化けられるようになったの。びっくりした」
「昔からだ。ここ20年ほどは化ける必要が無かったからな。アシュレイが冒険者の頃には危険があると、私が化けて身代わりになったものだ」
「そうだったんだ! でもあんなに威圧感を出したら、すぐにバレたんじゃ」
「威圧感など自在に調整できるわ。そうでなければ、狩りの時に獲物に逃げられるだろうが。ま、折角そっくりに変化してやったのに、アシュレイは何故か他の人間に近づくなと言っていたな。他人と近くで話しをするな、とな」
「ふうん。あ、それで服装も今とはちょっと違ったんだ」
「ああ、これか。そうだ。これは確かにその頃にアシュレイに貰ったものだ。首輪に収納がついてからは、その中に突っ込んでおけるようになったが、そうなる前はいちいちアシュレイに出してもらわねばならなかったから割りと面倒ではあった」
「それにしても、普段は影に潜めて、本体は黒豹だけどその気になれば、不定形になって何でも化けられるって……。もしかしてロ○ムとか言われたこと無い?」
父が持っていた古いマンガ文庫にあった超能力少年が活躍する漫画に登場する3つのしもべの1つにパクリと言われても仕方ないぐらい設定が似ている。
「なんだ、それは? 私はトパーズだ」
「あ、もしかして私の姿にも成れる?」
「造作もない事だ」
トパーズはそう言うと、黒豹の体が崩れたかと思うと、またたく間にフロリアそっくりに変化した。
「どうだ。見分けがつかないだろう」
「ト、トパーズ!! なんで全裸なの?!」
「全裸ではない。ほれ、首輪をしているのが判らぬか?」
「首輪をしているから、余計に危ないよ。まるで……」
フロリアは前世で兄がベッドの下に隠して持っていた薄い本を密かに探し出して読んだときのことを思い出して赤面する。あの本に出てきたネコミミの美少女も奴隷に落とされ、全裸に首輪をして縄で繋がれるというマニアックな格好であった。
フロリアは両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまう。
「お願いだから、服をちゃんと着てよ」
「フロリアも、よく似たような格好をしておるではないか」
たしかにフロリアは亜空間で風呂上がりに良く際どい格好をしていた。
「私は良いの。なんで服着ないのよぉ」
「持っておらぬからだ。アシュレイにはずっと以前に服を一着貰っておるから、変化する時にはそれを着ることにしておったのだ」
「それじゃあ、私も一着あげるわ」
フロリアは収納から普段着一式を出して、トパーズに着せる。
確かにトパーズの変化は完璧で、どこから見てもフロリアそのものに見える。
だが……。
「う~ん。お師匠様に化けたトパーズに、お師匠様が人の近くに寄ってはいけない、と言った意味がなんとなくわかった」
「どういうことだ?」
「前世のお兄ちゃんが、……ええと"不気味の谷"という言葉を教えて呉れたことがあったのだけど、それと一緒みたい。凄く人間に似ていて見分けもつかないぐらいだから、ちょっとした違和感がとても不気味に感じるんだと思う。なんていうか、普通の人と同じに話して動くアンデッドみたい」
「ふむ。難しいことを言う。感じると言われても人間の感覚など私に判る訳がなかろう」
「やっぱり、その目かな。やっぱり人間の目じゃないんだもん。それに全体的に作り物っぽさもあるし」
トパーズに自分の格好をしてもらう時はやはり他人からは遠目に見られる時だけにしておこう、そう思ったフロリアだった。
――日が落ちてから、2人は亜空間の外に出て、村から離れる道を歩き出す。
「これからどこに行くのだ?」
「うん、ニアデスヴァルト町に行こうと思ってる」
これで第1章は終わりです。
全体のプロローグ的な部分になります。これ以降、1人と1匹であちこち旅をしていくことになるのです。