第89話 イルダ工房
フロリアがイルダの工房を尋ねたのは、翌日の事であった。
トパーズとあらかじめ相談の上、他の市民に見られないように相当に気を使うことになった。
フロリアが例のゴーレム暴走事故の謎のゴーレムの持ち主であることがどれだけの人間にバレているだろうか。
フロリア側で把握しているのはペッピーノとパレルモ工房のロドリゴだけだ。ロドリゴは当分再起不能だろうが、ペッピーノはすぐに活動開始するだろう。
彼らがフロリアの存在を他者に話さないとも限らない。とにかくイルダに迷惑を掛ける訳にはいかない。
「そう言えば、ペッピーノさんて最後に私を誰かに会わせたいって言ってたっけ。その人はどれだけのことを知っているのかも判らないし……」
「ふむ。だから、あやつらも息の根を止めて、二度と余計なことを話せないようにしてしまえば良かったのだ。
あまりにフロリアが嫌がるからあの時には言わなかったがな」
「それはそうよ。簡単に殺しちゃダメ。それで本格的に調べられたら、給仕の男の子は私のことを話すだろうし、レーリオさんだって、殺人が絡んだら黙っていてくれるとは限らない。この国でも指名手配になっちゃうじゃない」
ともあれ、フロリアは自分を探す者がどれだけ居るのか判らない、という前提で、自分がイルダの工房を訪れるのを他者に見られないように気をつける必要を感じていた。
師匠のアシュレイの友人であった人物に迷惑を掛けられない。
フロリアは一旦、町の外に出て、亜空間に入って一晩過ごすが、その時にゆっくり考えて、翌日は朝から、ケットシーを呼び出す。
そして、またアルティフェクスに入り直すと、探知魔法で尾行に十分に注意しながら、昨日レーリオに教えられたイルダ工房の場所を探し当て、しかし近づかないように遠くから場所の確認だけをすると、人気のない場所に移動して、ケットシーに命令を下す。
「早速だけど、また調べて欲しいことがあるの」
フロリアは先程、一緒に確認したイルダ工房の周囲を調べるように命じた。
「中の様子は調べなくて良いわ。中の人は魔法使いだから、もしかしてあなたを察知する能力があるかも知れないの。その人とは仲良くしたいのであって、喧嘩したいわけじゃ無いから、探りを入れていると思われて不快感を持たれたら困るの」
「わかったにゃー」
そして、日暮れと同時に戻るように命じると、フロリアは外に見張りの蔓草を出すと、亜空間に入ったのだった。
アルティフェクスはある意味魔法使いの町なのだが、基本的に自身で魔法を駆使するタイプの魔法使いはほとんど居らず、魔道具とゴーレムを作る錬金術師の町であった。
フロリアが警戒すべきと感じるほどの魔法使いは、町中でもパレルモ工房でも出逢っていない。
それで、町の外まで出ずに亜空間を使用したのだった。
***
オズヴァルドがデブのオラツィオの娼館を訪れ、「いや、今日は女は良いんだ。ペッピーノを呼んでくれ。え、ああ、もちろん、部屋を借りるから料金はちゃんと払う」と交渉して、一室にペッピーノを呼び寄せた。
オラツィオの娼館は、安上がりに情欲を吐き出すだけの小部屋が並んだ庶民向けの棟もあるが、一室が8畳程度の食事をするための部屋と、軽く汗を流すシャワールーム、そして巨大なベッドが置かれた部屋という構成で、中で長時間滞在してゆっくりと食事と女を楽しむ金持ち向けの棟もあった。ここで供される食事はアルジェントビルでは第一級のもので、出てくる女も若くて美人なのはもちろん、頭の回転も良く、会話でも客を楽しませる術を心得ていた。
パレルモ工房のロドリゴが流連けたのはこちらの豪華版の方なのは言うまでもない。
そこにペッピーノを呼び出したオズヴァルドは、以前に依頼したフロリアの捜索について、どうなっているのかを改めて問うたのであった。
「あの、先日のゴーレム暴走事故だが、その時の幽霊ゴーレムのことが気になる。もう一度、町の中を早急に探して呉れ」
「それに関してなんですがね、ちょいと事情がありましてねえ」
ペッピーノはもったいぶる。
フロリアを一度は確保したが、より金払いの良さそうなロドリゴに先に売ったなどと言うと、ぶち壊しである。
ペッピーノは、偶然その事故現場に居て、フロリアらしき少女を見つけた、と言ったのだった。
「何だと! 何故すぐに私に知らせないのだ? それでフロリアはどこに居るのだ?」
「それがですね、ちょいと先に話を付けて、旦那のところにお連れしようとしたんですが、何しろ警戒心の強い娘でね。逃げられちまったんですよ」
「バカな!! そんなことまで頼んでいないだろ!」
「まあ、そんなに怒らないで下さいな。とにかく、神出鬼没な娘だし、一度逃すと中々見つけ出すのは骨でしてね。それでまずは声を掛けて安心させようとしたんですよ」
「その結果がこれか? どうしてくれるのだ」
「なに、ちょいと人手が必要になりますが、もう一回探し出しますよ。だけど、人手を揃えるにゃあ、物入りですねえ」
「金か? 一度は失敗しておきながら」
「へへ。まあ、あっしが信用できなきゃこれでお払い箱で結構ですぜ。他に町をうろつくハグレモンの宛てがあればの話ですがね。ともあれ、あの娘は大した玉ですぜ。例の幽霊ゴーレムですが、あの娘が収納から出し入れして、自分で操っていたんでさあ。一体、何者なんですか、あれは?」
「それはお前が知らなくても良いことだ」
オズヴァルド自身、詳しくはランベルトから聞かされていなかったが、そんなことをペッピーノに言う必要は無い。
ともあれペッピーノは無事に、オズヴァルドからそれなりの追加料金をせしめるのに成功したのだった。
ペッピーノが下がり、オズヴァルドが早々に娼館を後にした後。
彼らが密談した部屋の隣にはペッピーノも知らない小部屋があったのだが、そこに潜んで彼らの会話を盗み聞きした乾分がオラツィオに会話の中身を報告した。
「ほお、あのとんでもゴーレムの持ち主かい? そりゃあまた金になりそうな話だわい。デニーロの旦那だけに儲けさせる手はねえなあ」
オラツィオは、オズヴァルドを調べるように依頼したジュリアーニ商会の番頭フアン・デニーロには詳しいことは教えず、町中で人探しをしている、ということのみ伝えたのだった。
***
フロリアが亜空間から顔をのぞかせると、すでにケットシーが戻ってきていたので、一旦招き入れて、亜空間の中で報告を受ける。
小さな工房兼住居の周囲には誰もこの建物を探ったりする者は居らず、また周囲には魔法使いの気配は多いが特に探知魔法の存在は感じなかったということであった。
見張りを始めた時点では工房内は無人で、夕方近くになって、50歳を超えるぐらいの女性がやってきて、工房内に入るとすぐに中で明かりが灯ったという。
それまでは工房内には人の気配もなく、恐らくはこの女性が1人で暮らしているものと思われる……、そうケットシーは報告した。
「これから、別の人が帰ってくるかもしれにゃいけど、それはわからないにゃ」
「そう。ありがとう」
フロリアはケットシーをねぎらって、ヤギのミルクを飲ませると、送還した。
「さあ、行きましょう」
亜空間から慎重に出ると、イルダ工房を目指して歩き出す。
探知魔法を使っているのは言うまでもない。
無事に工房の前に着くが、ここからはノープランである。
まさかいきなり通報されたり、ということは無いと思うが緊張する。
ドアをノックしようとしたところで向こうからドアが開く。
「さっきから何かこちらを伺ってたのはあんたかい? いや、少し感じが違うね。あんたの従魔だね」
イルダはアシュレイと同年代ぐらいの女性であった。
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