第67話 それぞれの思惑
新章です。
お師匠様の生まれた国で冒険を繰り広げますが、魔法使いに対して辛辣な国なので、基本的に隠密行動。
この国の人と親しくなることは無いのですが、その中でも新たな仲間も得て、フロリア自身も成長していきます。
ヴァルターランド歴556年、神聖帝国歴1106年の8月27日。
フロリアとトパーズは、ヴァルターランド王国とアリステア神聖帝国の国境にほど近い町で、フロリアの冒険者ギルド口座より預金を出金しようとして失敗。
彼女は自分に被せられた濡れ衣が晴れず、今も預金凍結された上、指名手配されていると判断したのだった。
冤罪を被せられてたのが前月の26日であったので、ちょうど一ヶ月。ビルネンベルクの窓口係のソフィーと冒険者エッカルトの会話だと、すぐに冤罪は晴れるし、晴れれば口座凍結も解除されるということであったので、フロリアはそれなりに期待していたのだが、一ヶ月経過しても解除されないということは、この先も変わることは無いだろう、と判断したのだ。
商業ギルドのイザベルも、少し経てば状況が変わる、と言っていたがどうやら外れたみたいだ。
「冒険者証も失くしちゃったし、もう諦めましょう。うまく別な身分を作れるのなら良いけど、そうでないのなら、この国ではまともにお金も稼げないし、とても暮らせないよね。
あまり魔法使いに優しくないみたいだけど、アリステア神聖帝国に行きましょう。そこも良くなかったら、……多分良くないだろうけど、用事が終わったら、国を抜けて、今度はまたどこか他の国に行こうよ」
フロリアには別の身分をでっち上げる方法など思いつけなかった。その気になれば、フロリアの魔力があれば、身分証明に使う程度の鑑定水晶程度はいくらでもごまかせる。別の身分も簡単につくれたのだが、そのことを知らなかったのだ。
そういえば、ニアデスヴァルト町の時にはギルドの窓口係に騙されそうになったので、魔法とスキルを駆使して、逆に窓口係の不正を暴いて証拠を揃えてから出ていったのだった。
今回もあれをやって、代官が罪に落ちれば、自分が助かったのかも。でも、新代官のことなど何も知らないし、調べても罪など出てこなかったかもしれない、とその後の経緯を知らないフロリアは思った。
「ま、過ぎたことを考えても仕方ないよね。それより、トパーズ。アリステア神聖帝国ってあなたの故郷でしょ」
「なぜ、そう思う?」
「お師匠様とそこで出会ったって言ってたじゃない」
トパーズは呆れたような声で、
「たまたま私がこのあたりに滞在していた時に、アシュレイが通りかかったというだけだ。別にここで生まれ育った訳ではない」
「そうなの?」
「そもそも考えても見ろ。冬場になれば一面真っ白になるこのあたりで、真っ黒な私が生まれる訳も無いだろ。目立って仕方がない。大人になって、たとえ目立っても狩りに支障が無いほどの腕になったから、居られたというだけだ」
トパーズは、果たして本当に寿命があるのかどうかも分からないぐらい長生きの聖獣であるだけに、時間の感覚がかなり曖昧で、アシュレイと出会った時までに、この冬場になると狩りのやりにくい土地に数百年も暮らしていたそうだ(愉しみ以外に別に狩りをする必要も無かったのだが)。
あの場所は、別に故郷でもないし、飽きるまでなんとなく居着いていただけで特に愛着がある訳でもないのだという。そんなところに数百年も居着いているというのは、ちょっと人間には理解しがたい心情ではある。
そのトパーズの感慨を聞いて、フロリアはちょっと安堵する。
密かにトパーズがアリステア神聖帝国の土地に愛着が残っていて、ずっとそこで暮らすと言い出すのではないか、と怖れていたのだ。
トパーズとは従魔契約は結んでいない。何処にいきたい、別れたいと言われてもフロリアには止める方法も権利もない。
この世界でのフロリアの家族といえば、行商人の父もすでに亡くアシュレイ師匠も居ない今となっては、トパーズだけ。
様々な精霊を呼び出せるが、彼女たちとは家族のようには付き合えない。
***
ヴァルターランド王国には2つの諜報機関があった。
1つは、軍が統括している憲兵隊にスパイ組織があった。
この組織の詳しい内容は固く秘密にされていたが、組織の存在そのものは明らかにされていて、他国や腹に一物を持つ貴族への牽制になっているのであった。
そしてもう1つ。
国王直属の密偵組織である"暗部"がある。
公式に国王直属の組織といえば、王立の調査組織である通称仮面官と、近衛騎士団、王宮の内部を取り仕切る近侍達家臣団があるのだが、それとは別に存在自体を国民に厳重に秘匿された組織"暗部"があり、その長は代々ハンゾーと名乗り、組織内では御頭と呼ばれている。
フロリアやアシュレイのような転生人ががそのことを知れば、初代の御頭は絶対に転生人なのだと看破したことだろう。
そのハンゾーを久しぶりにアダルヘルム王は呼び出し、フロリアの発見と伝言を命じたのであった。
「伝言でよろしいので? 捕縛して連行はされないのですか?」
「フロリアは余にとっては大事な客人だ。捕縛など試みるな。あくまで、穏便に話をして納得してもらえ」
アダルヘルム王はフロリアに関して判っている事実を余すところなく伝えた上で、私の名前を出せば、フロリアに付き従っている黒豹が私のことを保証する筈だと付け加えた。
トパーズを伴って王都まで来れば、取り戻したアシュレイの遺言を読ませれば良い。
精霊の言葉で書くなどアシュレイも面倒なことをするものだ、と思ったが、こうなってみればその事自体が遺言の真正性を証明する証拠になる。
もちろん、古いパーティメンバーの希望を叶えるためにその弟子を保護するというのは、名目だけではない。彼の気持ちの中には本当にフロリアを大事に守りたいという思いもあったのだ。
だが、同時に彼女を、彼女が持つ力を、野放しにはできないという事情もあった。何しろ、一個人がオーガキング率いるレギオンのスタンピードを一掃する力を保有しているのだ。
そして、ハンゾーには言わなかったが、相手にはあのトパーズが付き従っているのだ。迂闊に捕縛など試みてもとても成功するとは思えない。あの黒豹を怒らせるだけの結果になりそうであるし、よほど汚い手を使って成功したとして、今度はそんな風に連行された娘が心を開いてくれる筈もない。
「かしこまりました。それでは早速にアリステア神聖帝国に"渡り"を忍ばせて、その娘の捜索を致します」
ヴェスターランド王国にかぎらず、この大陸の大抵の国の法では、国民の国外移住は明確に違法とも言い切れない。貴族や軍人、政府の役人は国王の命じる場所に居住する義務があるが、それ以外の国民の権利義務に関する近代法など無きに等しく、土地に縛られる農民はともかく、冒険者や商人、職人は自分の都合に合わせて、国を変えることはそれほど珍しいものではなかった。
領地貴族が税金の源泉である、自領の領民に対して移動の禁止を言い渡すことなどは普通にあるのだが、それも法的根拠に基づくというよりも、領地内では絶対権力者である領主の自儘な命令にすぎなかったのだ。
***
ヴァルターランド王国の王都でそれと知られたクラウス工房は、本来はゴーレム工房でありながら、魔剣も魔道具も製造出来る、王国屈指の錬金術工房で王室御用達の栄誉も賜っていた。
親方のクラウスはもとより、多くの錬金術師や職人、魔法使い、魔力持ちを抱えていて、それぞれの分野で仕事をしている。
この規模の工房となると、もはや工房というよりも工場、企業体と呼んだほうが正確なのかも知れない。
魔法は遺伝しない、という特徴があり、それはこの社会の成り立ちに大きな影響を与えているのだが、クラウス工房のような大規模工房もその影響から逃れられない。
小さな工房では一代親方で、その魔法使いが死ぬか引退すると、血縁の無い弟子が受け継ぐか工房を閉じるか。
だが、多くの人の生活がかかり、多数の顧客を抱える大工房ともなると、簡単に閉じることなどできない。
しかし錬金術に長け、同時に大勢の人間を働かせる経営者としての才覚にも恵まれた後継者など簡単には見つからない。大抵の場合は、親方職は弟子の中で有望株が継ぐのだが、実際の経営は外部の非錬金術師が実務を行うようになっていくのだ。
それが進行すると、非錬金術師の経営者が工房を私物化し、所属する錬金術師の不満が溜まり……というお家騒動を巻き起こすことが多いのだ。
それを防ぐのも実は錬金術ギルドの大きな役目の1つであったりする。
クラウス工房も、親方のクラウスは先代クラウスの弟子で養子に入り名前を継いだ人物である。優れた錬金術師ではあったが、技術バカで経営にはまったく興味はなかった。
そのため、工房は経営の才のある外部の非錬金術師が経営していて、特に魔道具作成の周辺技術を担う職人の間に不満が溜まっていた。この商人上がりの経営者は、計数には長けていたが、ヒット商品を作り上げて利益を伸ばすというよりも、無駄な経費を削減して利益を確保するという経営方針を取っていた(単純にどんな商品がヒットするのか分からないという、実務に疎い人間にありがちな欠点があった)。
それで、直接に商品製造に繋がらない錬金術師以外は不要だと言い出したのだ。必要な素材や部品は業者から購入したほうが安上がりであると。
召喚術師のランベルトも、その不要論に自らの首が危うくなっている1人であった。優れた召喚術のスキルを持ち、コボルトを召喚して、ただの金属を魔法金属のコバルトに変換することが出来るのだ。彼のコボルトはあいにくミスリルやアダマンタイトなどの高品位の魔法金属を生み出すほどの能力がある個体ではなかったが、これでも王国では貴重な存在なのだ。
故に、現在の扱いにはかなりの不満を抱いていた。
そこへ、とんでもない秘密が舞い込んできたのだ。
国王からの直の依頼で、精霊文字の翻訳。
精霊に命じた文字を書かせるだけの力のある召喚術師が無名というのも驚きだが、その内容にはもっと驚かされた。
国王の側仕えからは秘密厳守を誓わされ、たっぷりと口止め料も貰ったが、文中に出てくる、弟子だという娘が書かれている通りの力があれば、そしてそれを我が物にできれば、ランベルト工房を立ち上げることも夢ではない。
幸い、アリステア神聖帝国のコッポラ工房のある町の近くにはクラウス工房と取引のある商会もあり、素材担当のランベルトはその商会に派遣したクラウス工房の代理人に伝手があるのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。




