第62話 仮面官
仮面官。
ヴァルターランド王国では、国王直属の調査官を通称、仮面官と呼ぶ。
その通称通りに仮面を被っている。のっぺりと表情の無い仮面で横にスリットが入っているだけの目が逆に不気味である。
この国事に関することを調査する権限をもった役人は代々の国王に直属している。国王の直接の命令で動き、国王に直に調査結果を報告する。
建国当初から謀反の動きや他国との内通者を調べ上げるなど、ヴァルターランド王国の治安の維持に大きな役割を果たしてきた調査官であるが、数代前の国王の治世の時にその調査官が他国の貴族に抱き込まれ、故意に誤った報告を上げるという失態を犯した。
そこで、当時の国王は、調査官に仮面を被せるという決断を下したのだった。
その仮面は王国でも一流の魔道具工房で作られていて、強力な隠蔽魔法が掛けられていて、認識阻害能力がある。
つまり、仮面官と会った人間が後で仮面官の人となりを聞かれても、どんな性格であったのか、体格や喋り方の癖などを答えることが出来ないのだった。
他国に抱き込まれた仮面官は、身元を調べられ娘の身の安全を脅かされていた、という調査結果を重視して、仮面官が何処の誰なのか、調べられないようにしたのだ。
仮面に付与された魔法はそれだけではない。
大貴族が使う鑑定水晶を超える鑑定能力も付与され、仮面官の捜査を嘘で逃れることは出来ないと言われる。
さらに、仮面官自身も国王と国家に対して強い忠誠心を持ち、職務に精励するように幾重もの契約魔法で縛られているのだった。
仮面官は、国事に関する事件であり、国王が必要と認めれば、半独立国とも言える領地貴族の領地内でも自由に捜査する権限を持つ。
魔剣や魔法付与された武具に身を包んだ近衛騎士10人の護衛に守られて移動し、その制服には王家の紋章が胸に大きく刺繍されているのであった。
その仮面官が、ビルネンベルクを訪れたのは8月12日のことであった。
7月28日にガリオンが手紙を出し、国王の手元に届いたのが8月6日。それから6日で仮面官はビルネンベルクを訪れていた。
すでに別の仮面官が領都の方を訪れて、調査を始めている。
領都の仮面官は、新伯爵の襲爵に不審があるとの匿名の密告の真偽を調査するのが目的であった。
今回のように前当主が急死した場合は、便宜的に跡継ぎを新当主として扱う場合もあるが、それでもただちに王都まで出向いて叙爵の儀を受ける申請をしなければならない。貴族を任命する権限を持つのは王国では王唯一人でありそれは爵位継承であっても変わりはない。
ところが、新伯爵は戦時でもないのに、ここまで王都に登っていない。領内が落ち着かないので、離れられなかったのだが、その点の申し開きも仮面官は要求していた。
一方、ビルネンベルクを担当する仮面官はスタンピード調査という名目であった。
通常は、平民の見習い冒険者1人のために国王直属の仮面官が動くことなどあり得ない。だが、王国の制度が良く分かっていない(というか、権力欲だけは人一倍あるが、その権力を裏付ける王国の制度をまともに調べて学ぶ意欲など持ち合わせていない)エドヴァルドは、安易にフロリアの容疑を"スタンピードを誘発させた疑いがある"としてしまったのだが、これが仮面官を動かす大義名分になっていたのだ。
そもそもスタンピードは王国に多大な損害を与える可能性があり、その発生を企んだ時点で、国家転覆を謀った国家反逆罪に相当するのである。
スタンピードで襲われたのが、王国の直轄市ではなく領地貴族の領地内であっても関係無い。スタンピードが1つの町や村だけで収まるという保証は無いのだから。
国家反逆罪を罪状として、領地貴族の代官から告発された少女がいる、となれば、それは仮面官が詳しい経緯を調査するために赴く理由としては十分なのであった。
大門から仰々しく入城した仮面官は、代官所に直行して、代官はじめ、各ギルドマスター、関係者を呼び出す。
当初、エドヴァルドは偉そうな格好だけの役人が来た、程度の認識であったが、仮面官の官服の王家の紋章と近衛騎士の物々しい雰囲気にすっかり毒気を抜かれてしまったのだった。
仮面官はまず、エドヴァルド自身が少女を国家反逆罪で告発したことを受けて詳しい根拠と状況説明を求めたが、思いつきで告発したことなので、まともに答えることなど出来ない。
そこで仮面官は、ギルドマスター達に「詳しい経緯を説明するように」と命じると、ガリオンやイザベルが証言をして、追加で主だった冒険者や衛士が次々に捕捉説明を加えた。
決定的であったのは、衛士隊で匿っていた、盗賊の親玉という人物もでてきて、仮面官の尋問を受けたことだった。彼は領都のならず者の1人で高額の報酬に惹かれて、この町の交易隊を襲えという依頼を受けたのだが、依頼主は知らない。だが、つなぎ役の顔は覚えていると証言した。
「そのつなぎ役は、ここに居るか?」との問いには、エドヴァルドの脇にいる取り巻きの1人を指さしたのだった。
それ以外の町の市民たちも、誰もがフロリアの名誉回復に非常に協力的で、仮面官は密かに常にこのぐらい協力的なら仕事も楽なのに、と感じたほどであった。
さらに、牢獄に囚われたままであった前代官のファルケと衛士隊のアロイス隊長を解放させると、一休みさせてから翌日に彼らからも事情聴取を行った。
その結果を元に、すでに拘束していたエドヴァルドを今一度、尋問する。
この時の尋問は仮面に付与した威圧や真偽を鑑定する魔法を存分に発揮させた極めて厳しいものであった。エドヴァルドやその部下たちに、仮面官の厳しい尋問に抗する術は無かった。
この日までには、領都の方でも御前の不当な当主就任の経緯が暴かれて、本来の当主になるべきであった前伯爵の長男も登場して、事態は急速に収拾していくのだった。
仮面官の報告が王都に到着したのが18日。
国王は、今回の領都のクーデター劇の首謀者達の措置については新当主に任せる旨を裁断したが、ビルネンベルクの新代官エドヴァルド一味に対しては王都に連行して王国政府自らが裁くことを命じた。スタンピード誘発が国家反逆罪になるのと同じく、スタンピード誘発という虚偽の名目で無実の人間を告発したこともまた国家反逆罪になるのだった。これが単なる殺人とか強盗ならば、やはり裁断は領主に任されたであろうが……。
さらに国王は冒険者ギルドの王都支部ギルドマスターを呼び出し、フロリアの冤罪が晴れたと宣言した。
ギルドマスターは支部に戻り次第、フロリアの口座の凍結を解除した。
口座の凍結はどこのギルド支部でも出来るのだが、凍結解除は王国の王都支部でのみ可能という一見不可解なルールがあるので、これだけの時間が掛かったのだった。
凍結解除は古代の魔法技術が応用されていて、即日、王国全土のギルド支部で反映される。つまりフロリアはビルネンベルクはもちろん、どこの支部であっても、口座から現金を引き出せるようになったのである。
そして、スタンピードの時にフロリアが倒したオーガやオークなどの魔物の素材の代金、スタンピードを防ぐにあたり大きな功績があったことへの報奨金、その前の盗賊捕縛の報奨金(犯罪奴隷として売却した代金も入るはずであったが、エドヴァルドが町の外に連れ出して、暗殺していたのでそれはキャンセルされた)、何回か使った治癒魔法の代金等が入金されて、相当に大きな金額になっていた。
これまで、レソト村のような小さな村で治癒魔法と引き換えに僅かな食料を貰う程度であったフロリアにしてみれば目も眩むような金額に膨れ上がっていた。
***
ところがフロリアは、仮面官が到着する前にビルネンベルクの近くを離れていた。
その前日までにこのあたりの森はだいたい踏破して、採取できる薬草もほぼ採取しきり、ゴーレムの整備も完了。そろそろ別の地方にいって別の薬草を探そうという気分になっていたのだった。
そこで、久しぶりにニャン丸を町に派遣したのだが、今回の主な目的は情報収集ではない。
ニャン丸は、まず商業ギルドに行くと、ギルマスの執務室に忍び込み、フロリアに渡されたハオマ草の若芽を植えた鉢植えと、紙片を事務机の上に置いて退出した。
イザベルが仕事を終えて、帰る前に執務室に寄ると、机の上に見慣れない鉢植えが置いてある。
用心しながら近づいてみると、絶滅したと思われていたハオマ草である。
「ずいぶん久しぶりに見るけど、一体誰がこれを?」
イザベルがその脇に置かれた紙片を開いてみると、森の奥のハオマ草の自生地に辿り着くための詳細な地図であった。
「フロリア……なんだろうね。こんなことが出来るのは。
ともかくこれは今はあの若造が暴れているから表には出せないねえ。
しばらく隠しておいて、落ち着いたらガリオンに相談しようか。
もう一回、この町がかつてのように栄える姿が見られそうだよ。……当分死ねなくなったねえ」
そう言ってイザベルは笑みをこぼすのであった。フロリアが戻ってきたら、地図だけではなく、改めて詳しい道案内を頼もう。もちろん報酬はうんと弾まないと。
さすがのイザベルでも、他にフロリアに親しかった人々もそれぞれ贈り物を貰っていることなど知らなかったもので、これが別れの置き土産だと、気がつくまで時間が掛かったのだった。
渡り鳥亭のリタがようやく仕事を終えて、寝るために自室に戻ると、机の上に見たこともない装身具があった。美しい銀色と青色のブローチ。一緒に置かれた紙片には「いつも身につけていて下さい。幸運が訪れますように」と書かれていた。その筆跡は、宿帳に書かれたフロリアの名前のものと一緒であった。後でクリフ爺さんを通してハンスが持つ鑑定の魔道具で調べたところ、強力な状態異常に対する耐性を付与された魔道具で、ハンスは思わず「これは凄い! 言い値で買うので売って欲しい」と言ったほどであった。
そのハンスの部屋にはいつの間にか、小さなポーチが置かれていた。鑑定すると、魔力が無い人間でも扱える収納スキルを付与してあって、ごく小さなポーチなのに、荷馬車一台分程度の荷物が収納可能なのであった。
冒険者ギルドのギルドマスターのガリオンの部屋にはかなり強力なポーションが数本、いつの間にか、置かれていた。
「野獣の牙」のエッカルトの部屋にはオーガと戦って失った剣よりも遥かに良い品質の剣が置かれていた。
「剣のきらめき」のジャックとパウルには火を熾す魔道具、イルゼとエマには浄水を一日に数リットル出すことが出来る魔道具が贈られていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。




