第6話 レソト村にて1
途中のお昼休みは簡単なパンと水だけの食事にして、瓦礫の後片付けを続ける。力仕事はリキシくんにやらせたのに、夕方になるとフロリアは疲れ果ててしまった。
なので、その日はそのまま、ここで休むことにした。
トパーズは、珍しくフロリアに付いて亜空間に入ろうとはせずに
「私は今日は、アシュレイの近くで眠る。フロリアは気にせずにゆっくりと休むと良い」
と言うのみであった。
それでフロリアは1人で、亜空間に入り、いつも通りにお風呂に入ると、もう何もする気になれず、夕食も作り置きして収納に入れてあったパンを食べ、スープを飲んだだけですぐに寝てしまうことにした。
ベッドを置いたテントに入る。自分のベッドと並んで置かれた、アシュレイのベッドが目に入る。もう使われることのないベッド。
フロリアは自分のベッドに腰掛けたまま、しばらく静かに泣いた。
フロリアがアシュレイに出会ったのは、彼女が多分5歳の時だった。
フロリアの最初の記憶は今では顔立ちをぼんやりとしか覚えていない父と2人で行商の旅をしていたことだった。痩せ馬に牽かせた小さな馬車1つで、村から村、町から町を巡って、行商をして歩くのが父の仕事であった。
フロリアは、その行商人の父と一緒に馬車の端に腰掛けて、旅を続けていた。
母親などこにいてなんという名前なのか、どんな人だったのか、フロリアは知らない。父親に質問したことがあるのだろうか? その時、父親はなんと答えたのだろうか?
父のことはいつも「お父さん」と呼んでいたので、名前も良く覚えていない。確か、他人にはヤコブとかエイコブとか呼ばれていたような気がする。
ある時、荷馬車が魔狼の群れに襲われた。
父はフロリアに荷物の隅に隠れていろと命じると、必死に痩せ馬を鞭打って逃げたのだった。フロリアはガタガタというすごい音と、魔狼の吠え声を良く覚えている。やがて、馬車の車輪が外れたのかなにかしたらしい、急にフワっと浮いたかと思うと、次の瞬間、地面に強烈に叩きつけられて、フロリアも体が跳ねて、地面に投げ出された。
ガウッ、ガウッ!! という魔狼の吠え声、父のなにかを叫ぶ声。フロリアは恐怖と痛みで体が動かず、震えていた。きっと怖い狼に食べられてしまうのだ、そう思って目を閉じて体を固くしていたのだが、いつまで経っても、魔狼はフロリアに遅いかかろうとはしなかった。
なにかと戦っているのか、激しい吠え声に足音に、キャン、キャンという悲鳴ににた鳴き声。
やがて、そうした音も静かになって、優しい女性の声がフロリアに掛けられた。
「もう大丈夫ですよ。魔狼は全部、やっつけましたよ」
フロリアは恐る恐る目を開けると、黒くて怖い顔をした大きな猫のような獣と、優しげな表情の女の人がいた。
「お父さんは?」
「残念ですが、間に合いませんでした。でもあなただけでも助かって良かったです。お名前は?」
その後、フロリアはその女性――アシュレイを師匠にして、一緒に森の中で暮らし始めた。アシュレイは前世の記憶を持った、いわゆる転生人と呼ばれる人であった。
この世界に時々、転生人は生まれ、人並み外れた様々な力――巨大な魔力や稀有なスキルを持っていて、世界に大きな影響を与えることがあるのだ、とアシュレイは語った。
「そして、多分あなたも転生人なのですよ」
アシュレイは不思議なことを言いだした。
彼女があの時にあの場所に現れたのは、魔法の力でフロリアがあの場所で危難に遭うという予知があったからなのだ、という。
「特殊スキルの中で、時間系と呼ばれるものに、幻視や予言があるのです。私はあまり得意では無いのですが、今回はとても大きな事件なので、私にも使えたのでしょうね」
「事件?」
「あなたと出会うことが、ですよ。お父さんは残念ですが、あなたが無事に生き延びたと知れば、きっと喜ぶことでしょう。あなたは、お父さんの分まで生きて、転生人の力で幸せになるのですよ」
「私は魔法、使えないよ。生まれる前のことなんて覚えてないし」
「今はそうでしょう。でも、私が教えるから大丈夫。色々と思い出せるし、魔法もきっとうまく使えるようになりますよ」
そして、アシュレイの言葉通り、フロリアは8歳になる前には前世を思い出し、それと同時に溢れんばかりの魔法とスキルを獲得したのであった……。
――翌朝。
フロリアは、起きるとすぐに亜空間を出て、外で朝食をとった。
トパーズは一晩中、アシュレイの墓の前から動かなかったようだった。
「トパーズ。あのね、とりあえず、レソト村に行ってみようと思うの」
フロリアは"一緒に来る?" と聞くのが怖かった。トパーズはアシュレイの従魔。フロリアと共に居たのは、アシュレイがそう命じたからだ。ここでお別れになっても何の不思議も無い。
だが、トパーズは「うむ」とうなずくと、立ち上がってフロリアに付いてあるき始めたのだった。
***
レソト村では、噂が流れていた。
新村長のベンは、猟師にとりあえずアシュレイの死と、フロリアの行方不明は口止めしており、わずかに自分が呼び寄せた昔の仲間にのみ話していたのだが(ババアは死んだが、かなり金になりそうな小娘がまだどこかにいる筈だ)、それが古くからの村人達の間に漏れていた。
古くからの村人はアシュレイが住んでいると思しきあたりには敬意を表して近づかないようにしているが、それでも夜間にかなりの火の手が上がれば、色々と勘ぐるし、勘ぐれば新村長の仲間の新規の入植者達が怪しげな動きをしていることにも気がつく。広い村では無いのだから。
そして、前のカール村長派とも言うべき老人たちの中の代表が、村の広場でベン村長を問い詰めるという小事件が発生した。
彼は、カールが急死したときには、そのカールが連れてきたということで、ベンを次期村長に推した人物でもあったが、早くもそれを後悔し始めていた。
ベンはその老人の問詰に、確かにアシュレイは死んでいたと認めた。
その上で、現在はアシュレイが連れていた娘を探しているのだ、と。
村人が、何を勘ぐっているのかぐらいはベンにも想像できたので、「自分の力でアシュレイのような魔法使いをどうにかできる訳がない、彼女は自然死であったのだ」と主張し、それは確かにそうかも知れないと古くからの村人達も思った。
「それでアシュレイ様のお弟子さんを探して、どうする積りなのかね」
「決まってるじゃないですか。無事だったら見つけ出して保護して、この村のために働いてもらうのですよ」
「……」
村人達が不信の目でベン村長を見る。
「まさか、あなた達はあんな子供を1人で放り出す積りなんですか。これまでアシュレイさんが色々と助けてくれたのなら、今度はこの村であの娘の世話をするのが当然です」
「村長のところで預かるのかね」
「もちろん。ちょうど女手が欲しかったところだから都合が良かったです」
「そりゃあ、良くないことだ。アシュレイ様の恩義に逆らうようなものだ」
「じゃあ、どうしろと? まさか、森の中に1人で住まわせておけとでも?」
「きっとアシュレイ様がどうしたら良いのか、言い残しておられる筈だ。そのとおりにすりゃ良い」
「それじゃあ、どこか遠くの町の知り合いの元へでも行け、という指示ならそうさせる積りですか? この村はもう治癒魔法もポーションも手に入らなくなる、ということだけどそれがお分かりですか?
治癒魔法だけじゃない。この前は、村の柵が壊れた時、あの娘は魔法で新しい丸太を調達して、あっという間に修理してくれたじゃないですか。あれを私達だけでやるとなると、村の若い衆が総出で何日もかかるんですよ。
これは、なにもあの娘さんにとって悪い話じゃないんですよ。この村で一人前に育って、村人のどこかの家に嫁に行って、末永く村のために働いてもらえば、村にとっても、娘にとっても幸せなことでしょう」