第51話 嵐の前の
フロリアはエッカルトに、「気にしなくても良い、どちらにしても町の人達に知られるのが早いか遅いかの違いだけなのだとギルドマスターも言っていた」と返答した。
実際、これだけのことがあって、魔法が使えることが知れ渡ったので、もうカイ云々は関係なくなっていた。
それにこの町であまりに暮らしにくくなったら、他の町に移るのだけである、何なら町に住まないで、森の奥に暮らしても魔法があれば問題ない。時々、町に薬草を売りに行くだけという暮らしも悪くない……亜空間のことを念頭に起きながら、フロリアは朝方、ぼんやりと考えていたことを思い出した。
そのことをエッカルトに話して、だから気にしなくても良い、と言ったところ、「森の奥に独居するだと!」と叫んだ。
「そんなことは絶対にさせねえ! 今度こそ俺が守るから、この町で暮らせるようにするから、大丈夫だ」
エッカルトは涙を浮かべて、そんなことを力説し始め、フロリアはどうやら返答を間違えたらしい、と気づいた。
***
エドヴァルド・ハイネは焦っていた。
ビルネンベルクの代官を陥れるための盗賊団はいきなりほぼ全員が捕縛されてしまい、下手なことを囀られると、エドヴァルドにとって致命傷になりかねない。
御前がクーデターを起こして、今の伯爵から家の実権を奪い取るにはもう少しかかりそうである。
そこで、奥の手――実際には使う予定の無かった魔法のフルートを使うことを決断した。
どこかの遺跡から掘り出されたご禁制品で、これを発動すると魔物の暴走――スタンピードを巻き起こすことが出来る。
それでビルネンベルクに被害を与えて、代官の統治能力不足を言い立てるのだ。かなり無理筋の理屈であるが、構うものか。
ハイネの一族の長は、現在の伯爵によって、ビルネンベルクの代官の地位を追われて、その余波で一族が没落したために閉塞している。
その一族の老人から預かったもので、魔法使いではなくとも、魔力持ちがこのフルートを吹けば、魔物をおびき寄せることが出来るという触れ込みである。
ハイネ達は、領都を出て、ビルネンベルクに入ることもできず、荒野の目立たない場所でもう10日以上も野営している。
一端の冒険者ならばその程度の野営で音を上げたりはしない。
ましてや毎日移動するので、碌に屋根のあるテントも用意できないような交易隊の護衛に比べると、きっちりと厚手の防水布でできた大型テントで暮らし、食料も水もそれなりに持参しているというのに、町の歓楽街で遊興に更ける生活をしていたハイネ達にとっては、そろそろ限界が近かった。部下たちの不満をそらして、これ以上野営を続けさせられるようなリーダーシップはハイネには無かった。
それやこれやで、フルートの使用を決断したのだ。
スタンピードを起こして、ビルネンベルクに多少なりと被害が出てさえいれば、領都でのクーデターが成功したという知らせと同時に町に入城して、代官を拘束して職を奪う。
冷静に考えれば先走ったやり方であったが、エドヴァルドはその冷静さを野営の苦しさで失っていたのだった。
「せいぜい、オーガが数頭程度、おびき寄せられる程度」と、このフルートを渡した老人は言った。
実際にはその老人もフルートを使ったことがなく、この台詞はフルートを数十年前に借金のかたに取り上げた際に、前の持ち主の言葉を繰り返したに過ぎなかった。
本来の盗賊計画の保険程度の扱いであったので、エドヴァルドはその言葉をしっかりと検証などしていなかったのも災いした。
実際にはフルートはずっと本格的な魔物引き寄せの能力を持つ代物であったし、さらに言えば、たまたまビルネンベルクのチカモリの奥でオーガの群れを率いるオーガキングがもっと奥の山の中腹から降りてきたところであったのだ。
オーガは、人類の最大の脅威と言えるものだった。単なる戦闘力ならもっと遥かに強いトロールや龍種がいるが、そうした超大物はそもそも人間の生息域に出現した記録はごく僅か。こちらからわざわざ出かけていってちょっかいを掛けない限り、関わりが生まれない相手を脅威とは言えないであろう。
しかし、オーガは違う。ゴブリンやオークに比べれば遭遇する機会はずっと少ないが、時に人間の生活圏に現れ、暴れるのだ。
そして単体ならばいくら強くとも、経験と実力のある冒険者側が集団で連携して戦えば、勝てない相手ではない。攻撃も防御も本能任せでワンパターンなので、オーガ用の戦法というものも確立されている。
だが、上位種に率いられた群れとなると別だ。オーガキングに率いられた群れは、その主の力が憑依して、普通のオーガよりも強くなる上に、肉体だけではなくおつむの出来も上位であるキングの作戦指揮に従って、連携して戦うのであった。
こうなると、人類側では戦闘用ゴーレムを揃えた騎士団でも出てこなければ、とても太刀打ちできない。
いや、実際にはもう1つ、Sランクか最低でもAランクの魔法使いならばなんとか出来るかもしれない。だがそれも、群れがせいぜい、20頭から30頭程度の場合である。
今回、ビルネンベルクのチカモリに現れたオーガキングが率いる群れは総勢で60頭を超える群れであった。
オーガキングは一旦は森の奥に落ち着いたが、ここではすぐに餌が足りなくなるのは目に見えていた。
そこで、3~4頭の小さな群れを幾つか、四方に偵察に出していたのだが、そのうち、ビルネンベルクとは別の方角に出した群れが餌が豊富な場所を見つけて帰還したところであった。
そこは人類の生息域からは離れていて、オーガキングは他の偵察隊が戻ったら、そちらに移動しようと決断したところであった。
その決断が実行されていたら、遠い未来はいざしらず、当分はオーガがビルネンベルクを襲うことはなかったであろう。凶暴で戦闘的であるとは言え、オーガにしても無意味に人間と争いたい訳では無いのである。
エドヴァルドが、手下の魔力持ちに城壁の前まで行ってフルートを吹いてこいと命じたのは、フロリアがオーガ退治を行った日の夜、7月23日のことであった。
オーガが一度に5頭も出たという情報を入手していたら、エドヴァルドも自重したかも知れない。
しかし、エドヴァルドにその情報を収集する手段はなく、魔力持ちは命令通りに夜陰にまぎれて、町の大門の近くまで接近してフルートに魔力を込めて吹いたのだった。
その音色――正確には誘導波と言うべきものだが――は人間には聞こえない。だが魔物にとっては限りなく甘美に響くのであった。
笛の音(誘導波)は遠く離れた森の中まで響き、オーガキングの理性の奥の本能をくすぐり、昼間行った決断は反故にされ、この甘美な音色を追いかけることになったのだった。
町の門番を始めとする衛士たちや冒険者は誰も笛の音に気が付かなかった。
そして、フロリアやトパーズならば気が付いただろうが、両方とも亜空間に引っ込んでいたのだった。
まずいことに、ニャン丸も昼間、けっこう活躍したということで夜の見張りには召喚されていなかった。宿の部屋の中という室内ではあったが、久しぶりにドライアドの蔓草に見張りを任せていたのだった。
蔓草は部屋への侵入者を警戒するだけで、その他のことに注意をひかれることはなかった……。
そして、町のもうひとりの魔法使いのカイは、フロリア人気に湧く町の酒場の片隅で酔いつぶれていた。
***
翌24日。
フロリアは、ガリオンに伴われて、またも代官の役宅に赴いていた。
代官の応接室には、商業ギルドのイザベルも、衛士隊のアロイス隊長もいた。
アロイス隊長は衛士のコーエンの命を救って貰ったことの礼を言いたくて、代官に頼んで参加したそうだ。ちなみにイザベルは「町の重大事なんだから首を突っ込むよ」と当然のように参加したのだった。
「ともあれ、先日の盗賊団の捕縛に引き続いて、町の危機を続けて救って貰って、真にありがたい」
冒険者上がりのファルケ代官はそういってフロリアをねぎらい、トパーズにも直接会いたいとの希望で、黒豹は影からノソリと顔をだし、アロイス隊長が青ざめる。
「慌てなくても大丈夫だ、隊長。彼とは昔なじみだ」
ファルケは隊長を制して、トパーズの為にミルクを用意させる。
それにしても、盗賊の捕縛の報奨金ですらまだ確定してないのに、フロリアに払うべきお金がどんどん膨れていく、と笑う代官であったが、それを冗談として捉えないのがイザベルである。
「その稼いだお金を、口座に寝かして置くだけじゃなくて、この婆ァにまかせて運用してみないかい?」
ギルドでは有望な新人商人に融資をして、商売が成功すれば利子を付けて返却させるという制度があるそうで、フロリアがおなじみのハンスもそうやって独り立ちしたのだそうだ。
そのギルドの融資枠にフロリアの資金も加えたいというのがイザベルの目論見だった。
「ともあれ、あんたはこの先、たくさん稼ぐことになりそうだからね」
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