第465話 怒りの山
「え、……ええと、ラウーロさん……」
「こんなところで何をしている?」
こんな場所と言われても、ここがどこなのか?
フロリアは痛む頭を振りながら、立ち上がる。
少佐の最後の思いが、頭の中に流れ込んできていた。
フロリアに対する怒りと恐怖。
フロリアの側からすると、いくら追いかけても捕まえることが出来ない、いつの間にか逆襲を仕掛けてきかねない恐るべき相手であったが、少佐側でもフロリアに恐怖していたのだ。
決して少佐本人はそれを認めなかっただろうが。
そして、最後の最後に少佐の思ったのは「フロリアを何処かに飛ばしてやりたい」だったのだ。
これまでの少佐の転移魔法は同行者と一緒に転移することも出来たが、基本的に「自分が」行きたい場所に行くためのものであった。
それが具体的にどの場所なのかまでは少佐自身もはっきりとしたイメージはなかったようだが、とりあえずはフロリアが困るような場所、という考えであったようだ。
そのため、少佐の遺体は一緒に転移せずに、あの救護所のベッドにそのまま横たわっているのだろう。
出現した先で、いきなり知り合いに声を掛けられるぐらいだから、自分がとどめを刺した死体と一緒だと少々、説明が面倒になるところだった。
1人で転移したのはむしろ運が良かったというべきか。
「おい、はっきりしろ。アドリア達はどこにいるのだ?!」
ラウーロに苛立たしげに怒鳴られて、ハッとするフロリア。
「そうだ、ここはどこなんですか?」
ラウーロはその問いに答えずにフロリアの右手の肘のあたりを掴んだかと思うと、手荒に引き寄せ、スタスタと歩いて道端に避ける。
それで、フロリアは初めて自分が両側が荒れ地っぽくなっているなかを通る砂利道みたいなところにいて、周りをかなりの人が通行しているという状況なのに気がついた。
それもどの人間も殺気立っていると言っても良いほど、厳しい顔をしている。
ラウーロはフロリアを見下ろして、何事か考えたが質問は後と思ったのか、「見ての通り、ロワールの郊外だ。早く逃げなければ、逃げそこねるぞ」と言った。
ロワール? ええと、ロワールってどこだっけ? 聞いたことがある地名だけど……。少佐の転移魔法は何だってこんなに気分が悪くなるのか? 吐き気が収まりやしない。
あ、ロワールってブルグントの怒りの山の近くの町だ。やっと思い出した。
ということは、私はフラール王国にいるのか。
そういえば、この前にラウーロさんにあった時にブルグントの様子がおかしいって言っていたっけ。またフライハイトブルクからロワールに戻って、魔物狩りしていたのか?
それで、逃げろ、逃げろっていうのは……。
「ええと、スタンピードでも起きたんですか?」
ラウーロはため息をついた。
「確かに魔物どもも押し寄せて来ているがな。だが暴走してるんじゃなく、逃げまわっているんだ、アイツラもな。必死に逃げてるんだ、大黒龍から!!」
よくよく見ると、珍しく氷結のラウーロはソロではなく、周りの冒険者風の男たちに指示を出して動かしているみたいだった。
「寝ぼけているやつを面倒みている場合じゃないが……。おい、アドリアはどうした。どこにいるんだ?」
「姐さんはこの国には来てません。私、1人だけです」
アドリア達が怪我していることは言わない方が良い気がした。冒険者の習いとして、あまり部外者に弱みを教えたくはないのだ。
ラウーロは少し考えてから、「来てくれ」というと、またフロリアの腕を掴んだまま移動する。
離して、と言いかけるが、ラウーロを見上げるとその横顔は切羽詰まっていて、尋常ではない様子。何か反抗し難いものを感じるのだった。
ラウーロに半ば引きづられるように小走りになりながら、フロリアはやっと少し周囲を観察する。
どうやら自分は町の城壁の外あたりにいるらしい。
自分たちを小走りに追い抜いていく冒険者らしき人たち。
それとは別にラウーロに従っている男たちも、切迫した様子だ。
男のひとりが、「ラウーロさん。そんな娘にかまってる場合じゃ」と言うと、ラウーロは言下に「この娘に死なれては困るのだ。体制を立て直して反撃する時に戦力になる。お前もマジックレディスの大鷲使いの娘の噂は聞いたことがあるだろう」と答える。
「え、この娘があの!?」「それじゃあ、マジックレディスも来てるのか?」
周りで声が上がるが、ラウーロはそれに答えないし、フロリアも何を答えてよいのか分からないのでそのまま聞き流す。
ええと、ロワールの城壁があの辺りで、遠くに見えるあれが怒りの山の山頂か。ということはあっちが大河モルドル河が流れていて、船着き場の方に皆が走っているのか。
ハッと気がついてトパーズに呼びかけてみるが返答がない。
ということは、向こうに置いてきてしまったのか。
ねずみ型ロボットもいるし、簡易魔法陣を通して帰還できるので、いつかみたいに探し当てるまで迷子になってしまうことはないだろうけど、いま、この場所にトパーズがいないのは何とも心細い。
「セバスチャン」
小さく声に出して呼んでみるが、セバスチャンも返答がない。
このロボットの場合は、近くに中継点の役割を果たすねずみ型ロボットがいないとテレパシーのように話せないので、仕方ない。
あ、いや。いざとなれば、収納からスマホ型魔道具を取り出して話すか、それよりもごく単純に自分が亜空間に戻れば簡単に連絡が取れるじゃないか。
どうも、少佐の転移魔法は体質が合わないみたいでシャキッとするまで時間がかかりすぎる。
ラウーロの言葉や、周囲の連中の無責任な発言にフロリアの回線が繋がる単語があった。
大黒龍。
「そうだ、大黒龍だ。目を覚ました!?」
大黒龍が大昔にもたらした被害については、七大転生人のひとり、田中こういちろうの逸話をルイーザから聞かされ、さらにセバスチャンから裏話も聞いて、良く知っていた。
一つの巨大な王国を滅ぼし、大変な犠牲を出した伝説の巨大な龍。
「その大黒龍が復活したってことは……」
もし、モルドル河を目指して移動してきたら、大変である。
舟運が止まってしまうのはもちろん、大黒龍の毒が河に流されたら、下流のフライハイトブルクは死の街になりかねない。
そうなれば、フロリア達住人にとって住む場所がなくなるだけの話ではない。モルドル河を使って、古都キーフルを始め多くの町に物や人を運び、さらに大陸全土に行き渡っていく……その大動脈が死んでしまうということであり、その影響は計り知れない。
周囲にあまりに人が多すぎるもので、うまく使えないが、ともあれ探知魔法を最大限に使ってみた。
まだ、遠すぎてどんな気配も察知できないかと思ったが、……いや、確かになにかとてつもなく禍々しいものが蠢く様子が伝わってくる。
「まだ、随分と遠い。なのに、こんなにはっきりと伝わるなんて」
フロリアは冷や汗が流れるのを感じた。
とにかく、もう少し情報がほしい。
一度、他の人間が居ない場所へ。そこから亜空間に入って、セバスチャンから情報収集しなくちゃ。
「良し。町中に入るぞ」
そう言うとようやくラウーロはフロリアの手を離した。
「ギルマスのジャン=ジャックのやつと落ち合い、市民の退却の手順を相談する。お前は適当に大鷲で逃げられるのだから、ギリギリまで付き合ってもらうぞ」
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