第452話 暗殺計画1
シュタイン大公国とヴェスターランド王国は、同根の国であるが、――同根の国であるが故に、長らく犬猿の仲であった。
もともと、両国(とアリステア神聖帝国の一部)は、キーフルに王都を置くキーフル王国の領土であった。長い歴史を持った王国であったが、その命脈が耐え、いくつもの国に分裂し、他国の侵略を受ける時期が続いた。
そして、結局は元のキーフル王国の王都キーフルとその周りの地域を領有したシュタイン大公国と、北部の領土が独立したヴェスターランド王国の2つに大分された。
シュタイン大公国は、キーフル王家の傍系ながら王族の血を受け継いだ大公が君主になっている。実質的には大公というよりも王なのだが、現在の大公国の初代大公が「いずれキーフル王国の版図を再奪取した暁に王に即位して王国復興をせよ」と命じたため、今だに大公国のままなのだった。
一方のヴェスターランド王国は、キーフル王国の衰退期に北部が独立して北キーフル国になったのが始まり。建国当時の王家は元のキーフル王国の王族の出身であったが、100年ほどが過ぎ、有力な将軍の一族であったヴァルター家が王権を簒奪。国号もヴェスターランド王国と改、以来ヴァルター家が王家となって、現在のアダルヘルム王まで続いているのだった。
ヴェスターランド王国側も大陸の交通の要衝をしめ、土地も豊かで、気候も温暖、しかも住民達は民族的に自分たちと同じであるシュタイン大公国の領土は喉から手が出るほど欲しい土地であった。
そうした訳で両国は民族的にも文化的にも、兄弟と言われるほど似ているのに、互いに相手の領土は本来は自らの領土であると主張し、長らく仮想敵国どうしであった。
だから、この両国は表立って親密な外交関係を結ぶことは出来ないのだが、経済的にはシュタイン大公国側にとっては、自国で生産する穀物の主要な輸出先の1つであり、また自由都市連合からもたらされる豊富な物品の販売先でもあるし、ヴェスターランド王国側からすると、大事な食料の輸入元であり、遥か自由都市連合の物品はほとんどがキーフルから陸路で運ばれているのだった。
こうして、数百年のときが流れるうちに、公式には敵対国でありながら、経済的には欠かすことの出来ない間柄となり、水面下での外交関係が結ばれることとなったのだ。
現在、ヴェスターランド王国の秘密使節団がキーフルを訪れており、シュタイン大公国側では大公家の官僚との交渉が続いていた。それがいよいよ大詰めに近づいており、ここで儀礼的に使節団の団長(ヴァルター王家の血を継ぐ公爵であった)と、大公国の皇太子夫妻との会食が行われることになったのだった。
本来ならば、王宮で正式な晩餐会が開かれるべきであったが、秘密交渉ということで、王宮をでて新市街の長い歴史をもつレストランを借り切って行われる運びとなった。
皇太子夫妻が揃って王宮を出て、新市街の内側とは言え外出するのは異例のことだった。
しかもお忍びでの外出であるため、護衛は最小限であった。
もちろん、人数自体は少なくとも、その護衛の一人ひとりが大公家に仕える腕利きの魔法使いや、剣はもちろん魔道具の扱いにも熟達した騎士達が選ばれている。
ヴェスターランド王国側も、あからさまに多くの護衛をつける訳にはいかず、公爵夫妻と使節団幹部数人の他に3人ほどの護衛がついただけであった。
しかし、レストランの周囲にはシュタイン大公国の密偵達が一般の住民に身をやつして周囲を固めており、両国に害意を持つ者がいても簡単に潜入出来るものでは無かった。
皇太子の正妃となっているフランチェスカは、夫であるレオン皇太子との夫婦仲は良いのだが、婚姻後しばらく経つにもかかわらず、いまだ懐妊の報はなかった。
そろそろ大公夫妻、王宮内や貴族の皇太子派、公国民、そして実家に当たるバルトーク伯爵家では様々な思惑で、水面下の動きが生まれつつある。
大公国は一夫一婦制ではあるが、かなり緩やかで、貴族や大商人ともなると複数の愛人を持つことは珍しくない。むしろ、愛妾の多さがその人物の度量の大きさや経済力をアピールする指標になったりするほどだった。
それで、正妃であるフランチェスカに子どもが出来ない場合、子ども特に男の子を産みさえすれば、皇太子妃としての序列は低くとも、将来の国母として国内に大きな影響力を持つことが出来る。
それを狙った、国中の貴族が子女を皇太子の閨に送り込もうとしている。
それだけではない。
そもそも皇太子は王位(大公位)継承権第一位だが、もちろん第2位、第3位と継承権の順位を持つ王族がいる。
中でも現大公の甥は継承順位こそ低いものの、自分こそが正当な大公であると自負していた。先代の大公は2人の息子がいて、長男(つまりはその甥の父親)は正妃の子であり普通であれば時期大公の地位を継ぐのは間違いない立場であった。
しかし、その長男は残忍傲慢な性格でちょっと気に入らないことがあると近侍や衛兵を次々と手打ちにし、臣下の貴族家に美しい妻や娘がいると聞けば差し出すように命じ、挙げ句に大公国の建国を祝う大切な儀式の最中に他国から参列していた大使の妻を別室に連れ込み、無理やり事に及んだのが明るみに出て……。
この件で先代大公の勘気を蒙って、蟄居を命じられた。
先代大公はかなり長男に甘く、これだけの事件を起こし他国との関係を悪化させ、大公国の威信を傷つけたにもかかわらず、廃嫡を考えていた訳では無かった。
しかし、妻を奪われて恨みを抱いていながら表面上は恭しく長男に仕えていた、取り巻きの下級貴族の一人が長男の耳に囁いたのだった。
どうやら、大公殿下は貴方様を誅殺する決心をされたようです、と。
蟄居を命じられたにもかかわらず、連日の深酒と荒淫で鈍っていた長男の頭はその戯言をそのまま信じてしまい、奨められるままに僅かな手勢で父を討つべく王宮を襲った。
取り巻きの下級貴族は、すでに長男反逆の報を王宮に入れていたので、あっさりと反乱軍は鎮圧され、長男の首は地に落ちた。
それで、次男であり序列の低い夫人の子であった現大公が、その地位を得たのであった。
そうした訳で、その長男の息子(現大公の甥)は下手をすれば、父の巻き添えで粛清されても仕方のない立場であったのだが、前大公はそれでも亡き長男に対して哀惜の念が絶えず、その子を殺さないように命じた。
今の大公に地位を譲る時にも、甥が身の立つようにしてやってくれ、と言い残したため、現大公も後顧の憂いを絶つ訳にもいかず、低い順位ながら継承権をもたせたまま、王宮内で閑職につけていたのだった。
この甥――名前をゼノンと言い、たまたま跡継ぎがいなくなったシューマン伯爵家を継がせたので、公式な場での呼び名はシューマン伯爵となる。
しかし、それなりの数に取り巻きがいろんな思惑からゼノンの周囲に居て、彼らには自らを大公殿下と呼ばせていた。
さすがにこれが公になると、かなりの問題なのだが、それが判っているのかいないのか……。
そのゼノンにグレートターリ帝国の"隠形"の工作員が接触したのはすでに数年も前のことだった。最初は取り巻きの1人である下級貴族に、西方からやってきた商人として。
偶然知り合い、西方の珍しい装飾品などを贈って信用させて、やがてゼノンに謁見の栄に浴するように取り計らって貰ったのだ。その下級貴族は大物貴族の知己を得れば商売に有利になるから、という西方の商人の言葉をそのまま信じていた。
この商人は、ゼノンにもやはり西方の文物や、エキゾチックな魅力に溢れた美女を贈り、すっかり信用を得た。
その美女ももちろん、"隠形"の工作員で言葉巧みにゼノンを誘導し、今回の皇太子夫妻の警備の手が緩む瞬間が千載一遇の好機で、自分がこの国の大公の地位を奪還するために行動を起こすべきだと信じこませた。
ここでゼノンの取り巻きのうちに1人でも冷静な判断力がある人物がいれば猛反対しただろうが、いずれもゼノンの勢いに流されて、大した決心もしないまま、反乱に加担していく事となった。結局、ゼノンの周囲にいたのは「スタッフ」でも「腹心」でもなく単なる「取り巻き」に過ぎなかったということなのだった。
***
ゼノンは偶然にも、皇太子夫妻とヴェスターランド王国の使節団との晩餐会の会場に隣接した別のレストランで会食をしていたところ、彼にとってはいとこにあたる皇太子夫妻を見つけ、挨拶のために会場となる料亭に使いを出してきた、という段取りになっている。
「いやいや、何等かの理由でお忙しいのは、推察しておるところ。しかしながら、お顔を拝見しながら何の挨拶も無しに見過ごしてしまっては、申し訳が立たぬ。
なに、お時間は取らさぬ。ほんの数分、挨拶ができればそれで良いのじゃ」
使いのものは、更に会場となるレストランにゼノンの方から出向くと申し述べる。
そうなれば、ヴェスターランド王国の使節団と鉢合わせする可能性が高く、晩餐会どころではない。今回の秘密の外交交渉自体が失敗に終わることになるのだ。
かと言って、相手は大公一族の1人であり、いかに皇太子といえど簡単に命令が出来る立場ではない。それに、儀礼的な立ち話レベルの挨拶も断るのは、さすがに礼儀に悖る。
皇太子のレオンは、年長のいとこにそれには及ばない、妃と一緒にこちらからご挨拶に伺う、と答えざるを得なかった。
こうして、皇太子夫妻は少人数ながらあらかじめ警備の配置などをしっかり吟味した会場から、急に隣のレストランに足を運ぶことになる。もちろん、警備の騎士たちも同行するが、どうしても手薄になることは避けられない。
各種の情報を収集、分析した結果、セバスチャンはすでに皇太子夫妻暗殺計画の全容を掴んでいて、マジックレディスに以上の報告したのだった。
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