第443話 アジト潰し
キーフルの新市街は中心部には大公一族や大貴族の屋敷が立ち並び、壁ぎわの一部にはそうした貴族たちの御用達の商人の店舗が並び、壁の外には近衛軍の駐屯地が並ぶ。
一種の軍事都市とも言える体裁であり、大河モルドル河を隔てた旧市街が庶民の街、商業・交易の街として猥雑でエネルギーに溢れているのと好対照をなしている。
その旧市街の商店が並ぶ一角の裏手に、その倉庫はあった。主に他国の賓客が泊まるホテルや、貴族御用達のレストランに高級食材を提供している商店の持ち物であった。
旧市街の本店倉庫に一度収められた、各国からもたらされた食材(大きな部分がモルドル河を遡ってきたフライハイトブルクからの船運によるものだが)のうち、最良のものがこの新市街の倉庫に運ばれ、さらに高級ホテルやレストランに納められるという訳である。
この商店は、初代は大陸の東方から流れてきた行商人から身を起こし、キーフルで店を構えるまでになり、その後数代を経て、新市街の名店と付き合えるようになるまでに成長したものである。
その実、歴代の商店主達はがグレートターリ帝国の密偵であり、初代がほぼ生涯をかけてシュタイン大公国に根を下ろし、その子孫たちは表の商売の裏で、地道な密偵活動を継続してきたのだった。
ヴェスターランド王国の暗部で言うところの「根付き」である。
比較的、近年に設立された「機関」ではこうした敵国に根付いたアジトは無く、グレートターリ帝国建国すぐから活動してきた「隠形」ならではの強みであった。
その貴重なアジトがベルクヴェルク基地のセバスチャンの監視網に引っかかったのは半ば偶然であり、今回の一連の「隠形」の謀略には関係ないが、かつてはシュタイン大公国の政情不安を煽ることを目的に狙われた、皇太子の婚約者であるバルトーク伯爵家令嬢のフランチェスカの身辺を一通り洗っていたところ、そのお付きのメイドの一人に不審な人物を発見し、尾行の結果、この倉庫のアジトの発見に至ったのであった。
「あの倉庫だね」
フロリアは深夜の商店街にひっそりと佇んで、物陰から倉庫を確認した。
「左様でございます」
今日のフロリアの格好は、全身黒タイツ。ただでさえ夜陰に溶け込みそうな色合いであるが、さらにベルクヴェルク基地特製の逸品らしく強力な隠蔽魔法を付与してあり、この服装で夜中に出歩けば、よほど強力な魔法使いでなければ存在を認知されることすら滅多にないであろう。
フロリア自身は、体の線がもろに浮き出る、このタイツ服を嫌がったが、性能の高さを考えるとこれ一択であった。
まあ、魔法少女のコスプレをやらされるよりはまし、だと思うことにした。
倉庫には魔法使いが常駐したり、魔道具による防御態勢が敷かれたりということはなかった。隣接する多くの倉庫群と同レベルの防犯、防災対策しか施されていない。
この倉庫では実際のところ、その活動の9割以上が普通の商売であり、残り1割の諜報活動についても、貴族街や大公の宮殿内部での噂話を収集する程度で、この長い活動歴を通しても一度か二度、こちらからちょっとした噂を流してグレートターリ帝国に有利になるように世論を誘導しようとした程度。
結婚間近のフランチェスカ嬢に魔道具による攻撃を仕掛けた際にも、このアジトは一連の作戦からは外されていたぐらいである(だから、その時のセバスチャンの捜査網に引っかからなかった)。
フランチェスカ皇太子妃殿下のお付きメイドからの情報収集も、せいぜいが宮廷内部の噂を報告している程度で、実質的な損害をシュタイン大公国に与えている訳ではなかった。
だから、フロリアはそのメイド自体はあえて放置してある。
ただ、アジトは別である。
まずはこの町のアジトをすべて壊滅に追い込み、「隠形」が二度とフロリアとその周辺の人々にちょっかいを出せなくするのだ。
そのためには、この半ば活動停止しているようなアジトであろうと叩き潰すのだ。
おそらく「隠形」側はフロリアの仕業だとみなすことだろうが、別に構わない。むしろ、しっかりと昼間はフライハイトブルクで大勢の人の目にふれて、アリバイを作ってあるので、どうやってはるかに離れたフライハイトブルクに出没したのか、「隠形」側では非常に戸惑うことだろう。
彼らも少佐の転移魔法は知っているだろうから、フロリア側でもそれと同等の魔法を駆使する能力がある、と判断するだろうが、その結果、「隠形」側は恐怖にとらわれることになる。
そうした焦りを生むのも、今回の襲撃の目的の一つだった。
「それじゃあ、行ってくるね」
「お気をつけください」
「もう慣れちゃったし大丈夫」
この倉庫の前に新市街、旧市街併せて4つの「隠形」のアジトを潰しており、「隠形」側は動揺しまくっているのだ。
しかし、この倉庫のような末端で目立たないアジトまではあえて防備を固めて、逆に近隣から不審がられるような真似はしていないのだ。
目的の倉庫の数軒隔てた、割合に背の低い建物の屋根にフロリアはジャンプした。
風魔法を少しだけ使っているが、その音も隠蔽魔法で最小限にまで抑えている。
倉庫の建物の屋上に着くと、「お願い、トパーズ」と小声で呟く。
「少し待っていろ」
トパーズはフロリアの影からでながら、そう言うと不定形な体で建物の隙間に入り込み、数十秒後に「カチリ」という小さな音がして屋上へ続くドアが開く。
あらかじめねずみ型ロボットが建物に潜入していて、状況は判っているので、不安はない。
セバスチャンは「お申し付けくだされば、こちらで処理いたしますのに」と再三、提案されているが、これは自分でやるべき仕事だと思っていた。
「数名の男はいるみたいだが、あまり面白そうな相手ではないな」
トパーズはうそぶく。
トパーズの相手になるような強い戦士や魔法使いはいないということなのだ。
「さっさと片付けましょう」
フロリアは足音を立てないように、近くの部屋のドアに寄る。
フロリアにも探知魔法で中の人数とその強さはだいたい判っている。部屋にはやはりごく当たり前の防御魔法を付与した魔道具しか設置されていなかった。
フロリアは召喚魔法で久々にザントマンを呼び出して、「中の人たちを眠らせて」と頼む。
最近はマジックレディスと一緒に行動することが多いので精霊達を呼び出す用事が少なくなっているのだが、それだと時折り呼び出した時のご機嫌取りが大変なので、亜空間で過ごす時に色々と精霊を呼び出して遊ばせている。
その甲斐があって、ザントマンは機嫌よくフロリアの頼みを承諾すると、「眠れ眠れ」と小さな声で歌いながら部屋の中に入っていく。さすがに精霊らしく鍵がかかったドアをごく当たり前に通り抜けていく。
数分後。
すんだよー、というザントマンの声が部屋の中からしたので、フロリアはドアを開ける。鍵が掛かっているが、躊躇せずに破壊する。
ちょっと大きな音がするが、気にしない。
部屋の中は中央に長机が置かれていて、そのまわりに椅子が4脚。いずれも中年から青年ぐらいの年代の男性が腰掛けているが、全員机に突っ伏して眠っている。
「寝てるよー!! みんな寝ちゃったんだ」
「うん、ありがと、ザントマン。起きるのは明日の朝?」
「そうだよー。朝までぐっすりだよ」
それだけ言うとザントマンは、まーたーねーといって送還されていく。
「他愛のない奴らだ」
トパーズも部屋の中に入ってきて鼻を鳴らす。
「さ、この人たちが寝てる間に片付けちゃいましょ」
実際には片付けるのではなく、散らかすのであるが。
へやの側面には書類棚があって、種々の書類が納められている。適当にそれを抜き出して中を確認していくが、新市街の城内の得意先からの注文書や納品書など。
時系列順、取引先別に並んでいる。それを適当に抜き出して、中を見ると、元の場所に戻さずに床に捨てていく。
いくら敵のアジトとは言え、さすがにほとんど悪さをしていないところを大きく破壊するのは気が引けるので、他のアジトのように壊滅させるつもりはないが、侵入したことを気づかれないように行動する意味もない。
本日は、フライハイトブルクでアリバイ作りをしてくれているモルガーナあたりならもっと派手にやるのだろうが、フロリアがやるのはこの程度である。
棚の他の場所には旧市街の本店倉庫からの納品書が並んでいる。どうやら、諜報活動の成果をまとめた書類はこの棚にはなさそうである。
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