第39話 ハイネスゴールの事情
ハイネスゴール伯爵は、ビルネンベルクを含むこの地方を領有する領主である。領都は荷馬車で数日程度離れた場所にある。
通常、伯爵領ぐらいだと、冒険者ギルドや商業ギルドの支部が置かれるような大きな町は領都程度。大きな街道沿いだと複数の町に支部が置かれてることもある程度である。
だから辺境に近いハイネスゴール伯爵領で領都以外にビルネンベルクにも各支部が置かれると言うのはかなり異例なことである。
ビルネンベルクは、背後に大山脈がそびえる、いわば突き当りの土地にあり、分岐の町から領都に行く街道がちょっと寄り道してビルネンベルクにも繋がっているという感じのいち取りである。
その道も街道といえば聞こえは良いが、整備状況はあまり良くなく、凸凹だらけ。特に分岐の町に行く道は途中で水を補給出来る場所も無いし、ところどころに作られた野営地も最低レベルの設備しか無い。
そんなビルネンベルクが栄えて来たのは、なんと言っても町の近くの森にハオマ草の群生地が発見されたからである。
ハオマ草はある特別な効能をもつポーションを製造するのに不可欠であり、また普通の怪我用のポーションでもハオマ草を素材に加えると効能が多いに増す。
現伯爵の2代前の頃にこの土地特産だったハオマ草の効能が発見され、ハイネスゴール家は田舎の伯爵家でありながら、内福の家になった。
そのハオマ草の管理も兼ねて、町の代官として選ばれたのがハイネ家であった。ハイネ家の初代は、ハイネスゴール伯爵家創業時に大きな功績のあった重臣で、家名にハイネスゴールから一部を名乗ることを許されて、ハイネ家を興した。
身分は代々、準貴族の騎士爵を与えられている。
このヴァルターランド王国では叙爵の権利を持つのは国王唯一人で、跡継ぎが爵位を継承するときであっても、王都まで赴いて、国王から父の持つ爵位を改めて叙爵される儀式を経なければ、正式な跡継ぎでは無かった。
しかし、大きな貴族家になるとその重臣は他の貴族と付き合ったり、あるいは庶民に対して命令をしたり、といった貴族相当の振る舞いをしなければならない場面が出てくる。そこで準貴族として騎士爵を与えられる者が出てくるのだ。
準貴族には準男爵と騎士爵があり、本来は国家が市民の中で功績があったが、継承権をもつ貴族に叙するまでに至らないものに準男爵を与え、近衛騎士団の騎士などに騎士爵が与えられていた。
その制度を準用して、ある程度の規模の貴族は自家の重臣に準貴族を与えることが一般的になっているのだ。
ただ、伯爵ぐらいであると、家臣のうちでもせいぜい1人か2人程度が普通である。一応、準貴族には継承権は無いのだが、貴族家の重臣だと実質的に継承されるケースが多い。
ビルネンベルクの重要性(というよりもハオマ草の重要性)が明らかになった時点で、その町を差配する代官には、歴代の重臣であるハイネ家が選ばれたのであった。
当初はハイネ家の当主は熱心に代官の職を務め、伯爵の期待によく応えていて、アシュレイがこの町に滞在したヴァルターランド暦533年頃には町は活気にあふれていた。
この土地はたしかに痩せていてあまり作物などは出来ないが、町のすぐ近くから、大きな山脈へと続く広大な森には、ハオマ草以外の薬草も豊富にあったし、魔物も多く住んでいて危険は危険ではあったが、討伐さえできれば素材は高く売れた。
そうした訳で、冒険者ギルド、商業ギルドに続いて、錬金術ギルドまで支部を構えて、町の発展に寄与していたのだ。
しかし、その跡を襲った次のハイネ家当主は、次第に私腹を肥やすことに精を出すようになっていった。
その時の伯爵家の当主は目敏くビルネンベルクの様子がおかしいことに気が付き、その町の冒険者の中で信頼がおけるファルケとガリオンのコンビをわざわざ領都まで招いて、不正の調査を依頼した。
「冒険者の仕事とは違います、伯爵様」
当初は断ったファルケであったが、その人柄を見込んだ伯爵の熱心な誘いに負けて、結局は密偵のような依頼をこなすことになった。
ハイネ側では、この頃には領都に納める税金の一部をピンハネするに留まらず、この町の富の源泉であるハオマ草をより高く売ることを考えた。
「つまりは希少価値が高まれば、価格も高くなるってわけだ」
代官は、ハオマ草の群生地を原因不明を装った火災で燃やしてしまい、失火の不始末は目についた若手商人に濡れ衣を着せて口封じをし、群生地の残存部分は自分が直轄して管理することにして自由に価格を釣り上げるという計画を立てていた。
ところが、その作戦の為に雇った魔法使いが食わせ者であったのだ。
炎を操れるという理由で火属性に優れるという触れ込みの魔法使いを雇ったのだが、実際には消火しそこねて、ハオマ草の群生地をまるごとすべて焼いてしまったのだ。
魔法について、よく知らなかったとは言え、普通に考えれば、火を適当なところで消し止めたいのなら水属性の方が良いと分かりそうなものである。
何なら土属性の魔法使いに炎の上に土をかぶせて消し止めさせれば、今度は消火のための水による被害も防げるのでもっと良い。
しかも、魔法使いは犯罪を犯すと、同じ罪状でも非魔法使いよりもずっと重たい刑を課せられるという法体系になっているため、この手の犯罪にまともな魔法使いが関わることはほとんど無い。
そもそも、優れた魔法使いには犯罪に手を染めずとも、幾らでも稼ぐ方法があるのだ。
にも関わらず、この手の犯罪に手を染める魔法使いと言うのは、生まれついての犯罪者か、食わせ者か、よっぽどの理由があるのか、といったところで、この時は食わせ者だったのだ。
まともに炎のコントロールができずにビルネンベルクの富の源泉を燃やしてしまった挙げ句に、その魔法使いはさっさと行方をくらませた。
残った実働部隊は、代官の報復を怖れて自分たちも逃げようとしたところを、ファルケとガリオンに捕まり、口を割らされてしまったのだ。
2人は領都に急を知らせるとともに、町の衛士隊と若い冒険者の中で信頼できる連中を集めて、代官を急襲し、逃亡する前に捕縛することに成功した。
ファルケは予め、伯爵から代官を捜査するための全権を委任する旨を記した委任状を貰っており、これがあったため、衛士隊はファルケを助けたのだった。もっとも、衛士隊の隊長のアロイスは以前から現在の代官は怪しいと睨んでいたのだったが。
冒険者ギルドのギルドマスターも代官に抱き込まれていたので、こちらは若手の冒険者のみを秘密裏に誘ったのだった。
この時の政変で、孤児院のリコとミナの両親であるドレイク夫妻は冤罪を着せられて口封じで殺されている。ドレイクと、「野獣の牙」のエッカルトと衛士隊のコーエンは仲の良い3人組の幼なじみであったが、ドレイクだけは早くに商家の娘と結婚し、この時には2人の娘の父親になっていた。
コーエンは、ドレイクの店が燃えているのに気が付きながら、上官の命令通りに代官捕縛を優先したことで、事態が落ち着いた後でエッカルトと深刻なケンカになったのだった。実際にはコーエンが異変に気がついた時点で動いても、すでにドレイク夫妻は殺された後で同仕様もなかったのだったが、エッカルトとしても気持ちの持って行き場が無かった、といったところである。
この政変はヴァルターランド暦で550年のことで、ガリオンはこの任務の途中で、代官側の手下との戦闘で足に深刻な怪我を負ってしまう。
政変は代官の捕縛で一旦落ち着き、残党狩りも済み、もちろんドレイク夫妻の冤罪も晴れた。そこにハイネスゴール伯爵が到着し、詳しく検証した結果、ハイネ代官の非を認め代官職と騎士爵を剥奪した上で処刑した。ハイネ家は一族の何名かが伯爵家の家臣になっていたが、当主がこれだけの非行をしており、その余録に預かっていたことも判明したので、全て追放された。
そして、ビルネンベルクの代官職は他の重臣を充てるべきという家臣団の声を抑えて、ハイネスゴール伯爵はファルケにその職を任せる意向を示した。古い貴族家ともなると家臣団の意向は無視できないものなのだが、今回はそもそも家臣団の重鎮であるハイネが不始末をしたという弱みもあって、伯爵が人事を押し切ったのであった。
ファルケは当初は、自分は単なる冒険者にすぎない、と固辞していたが、この町の出身者だったため、町の市民たちからの信頼も厚く、彼らの懇願もあって代官就任を承諾したのだった。
しかし、その際にファルケは1つ条件を付けた。旧ハイネ代官に取り込まれていた冒険者ギルドのギルマスを更迭して、新ギルドマスターにガリオンを就けることであった。
ギルドは独立した組織で、王国はもとより貴族家にも人事に介入することは出来なかったが、ハイネスゴール伯爵は王都のギルド支部に掛け合って、ガリオンのギルマスを認めさせたのだった。
そして、6年後。
フロリアがビルネンベルクに到着した頃、ファルケとガリオンを取り立てたハイネスゴール伯爵は病気がちになっていた。
しかし、その跡継ぎである長男も、このハイネスゴールの騒動の際に伯爵側とファルケとの連絡役を務めたぐらいで、ファルケのことはある意味では現伯爵以上に信頼しており、現伯爵の死後もその地位が揺らぐことは無いだろうと見られていた(旧来の家臣団にとっては面白くない事態であるのは言うまでも無い)。
そして、この長男を面白くないと思っている男がもう一人いた。伯爵の甥にあたる人物である。彼は前伯爵の長子で本来であれば爵位と当主の座を受け継ぐ筈であったが、不品行から廃嫡され、前伯爵はその死に際して「家を継ぐのは弟にせよ」と言い残してあった。
そのため、現在のハイネスゴール伯爵が襲爵したのだが、この甥は自らの不始末を棚にあげて、大きな不満を持っていた。
持っていたが、現伯爵の治世はうまくいっており、領民にも敬愛されていて、付け入る隙がない。
そこへ、現伯爵の不調である。
待ち望んだ好機に、この甥(仲間には御前と呼ばせて居た)は暗躍して、伯爵死亡の際にクーデターを起こして家を乗っ取る(彼自身は"取り戻す"つもりであった)計画を水面下ですすめていた。
その腹心の1人にハイネ家の青年、エドヴァルド・ハイネが居た。
彼は元ハイネ代官の弟の息子であったが、元代官の不始末がバレて処刑された時には既に成年していて、それなりの役職にもついていた。
それが一族の長の不始末で職を追われ(と本人は周囲に語っており、確かにそういう面もあったのだが、実際には彼自身も汚職をしていたのが叔父の行状のあと精査されてバレたというのが真実である)、領都の飲み屋街で用心棒じみたことをしたり、酒場の酌婦の紐になったりして生きていた。
同病相憐れむで、御前と親交ができ、その縁で今回のクーデター計画でビルネンベルクを押さえる役目を仰せつかったのだった。エドヴァルドとしては叔父の役職(本来はハイネ家のものである役職!)を取り戻す好機。
御前から、というか御前を影で応援する家臣の一部から、とある魔道具も預かり、その他にも仕込みも上々。ひと暴れのチャンスを伺っていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。




