第356話 少佐の場合3
「さすがにこの手は効いたか」
少佐はコンビニ店員の影に隠れて、ほっと一息。
だが、トパーズの攻撃が一時的に収まったというだけで、この店員を離せばすぐに再開されるだろう。
警察官や消防官が集まってくれば、このちょっとした睨み合い状況も変化が起きるかも知れないが、どうサイコロの目が出るか分からない。
もしトパーズが警察官達の姿に身を隠したとして、今度は彼らの方が少佐を"保護"しようとするだろう。
しかし、少佐にはあまりこの世界の人間達に関わらないようが良いという予感があった。
遠くに響いたようだったサイレンがあっという間に近寄ってくる。
「おい、女。あの音は何だ?」
「警察よ。――そうね、この世界の衛士隊がお前を捕まえに来るのだよ」
これで逃げ出してくれれば良いのだが、と思いながら少佐が答えると、トパーズは「そうか。ではグズグズしていられないな」と言ったかと思うと、牙をむき出しにして背を低くしたかと思うと、ひらりとコンビニの店内に飛び込んできた。
少佐はコンビニ店員の背中を思い切り、トパーズに向けて突き飛ばすと、防御魔法を周囲に張ると、横に飛んだ。
店員を突き飛ばして来るのは予想していたのか、トパーズは軽くそれを躱すと、エアカッターを周囲にばら撒くように放った。店員は突き飛ばされ、トパーズに避けられて床に転んだのが幸いして、致死性の攻撃魔法は頭上を飛び去り、店内を破壊したのみで体を斬り裂かれることはなかった。
少佐は倒れた棚やあたり一面に散らばった商品やガラスの破片を飛び越えて、トパーズと入れ違いのように外に飛び出す。さらに、店の看板を蹴って、コンビニの上のマンションのベランダに飛び込んだ。
「わっ、く、来るな」
ベランダに出ていた、その部屋の住人である大学生から若いサラリーマンぐらいの男性は慌てて叫ぶが、少佐は身体強化魔法を這わせた拳でその男性の顎を殴ると、室内に飛び込んだ。もちろん、そのまま部屋に隠れている訳にはいかないだろう。
玄関から共用廊下に走り出る。
玄関を出る時に、室内に収納袋に潜ませてあった焼夷弾を投げてドアを閉じる。
直後、後を追ってきたトパーズも、その室内に飛びこもうとするが、炎が燃え上がるために前に進めなくなる。
「娘!! ふざけた真似を!」
トパーズはくるりと転身すると、ベランダから下に飛び降りて、少佐の魔力を追ってマンションの裏手に走る。
部屋の住人は、室内に戻れなくなり、やはり恐る恐るベランダから下に飛び降りて避難する。2階から飛び降りただけなので、青年は落ちたときに足を挫いた程度で済んだ。
火事はかなり燃え広がったが、既にマンション住人は皆おきていたので、避難は早くけが人はその男性と、1階のコンビニ店内でのびていた店員ぐらいだった(店員は、駆けつけた警官が引っ張り出した)。
トパーズが建物裏のマンションの出口に回るよりも早く、少佐は2階の開放廊下から隣の一軒家の屋根に飛び移り、そのまま次々に屋根を伝って走る。
トパーズは建物の裏に回るときに、やっと"どうやら豹の姿だと変にひと目を集めて、戦闘に支障が出るらしい"と気が付き、というかアシュレイやフロリアがそんなことを煩く言っていたなと思い出して、とりあえずはフロリアの姿に変化した。
フロリアがいたら、思いっきり"遅えよ"と突っ込むところであった。
再びトパーズと少佐の追いかけっこが始まる。
今度は人間の姿に変化しているため、トパーズの速度が落ちている。
しかし、少佐の方もやはりポーションで底上げした魔力も体力も再びすり減ってきている。
屋根伝いだと逆に速度が落ちるので適当なところで道路に降りて走る。また車があまり通らない狭い道になり、道の左右には人家が並ぶ、典型的な郊外の住宅地といった風情の場所である。
ここってどのあたりなのだろう。現代日本であることは間違い無いとしても、正確な日付も場所も判らない。電信柱の住所表示を見る暇も、せっかくコンビニに行ったのに新聞の日付を確認する余裕も無かったので、不明のままである。
"クソっ、頭が働かなくなってきた"
住所の確認なんて後回しで構わないのに、頭にそれが浮かんできたら、こびりついたみたいに気になって仕方ない。
魔法を使っているので、普通の人間が走るよりはずっと早いのだが、息が切れてきたし、目の前がグラグラと揺れる。
貧血を起こし掛かっているのだろう。
"まずい"
今ここで貧血で動けなくなったりしたら、確実にトパーズに殺される。
既にパトカーのサイレンの音も遠くなっていて、先程戦闘したコンビニのあたりからかなり離れてしまったのが判る。
このあたりには、警察の捜査は来ないだろう。
首筋にヒヤリとするような感じがして、とっさに伏せる。一瞬の差でエアカッターが少佐の頭の上を通り過ぎる。ほんの数センチの差で髪の毛が何本か切られるだけで済んだ。
しかし、もちろんトパーズの攻撃がこれで止む訳はない。
かなり引き離したと思ったのに、もうこんなに追いつかれたのか。
少佐は諦めて、後ろを向くと防御魔法を展開する。
我ながらしょぼい防御だと思うが、分厚い壁を作るとそれだけで魔力が尽きそうである。
"まったく、そっちはそれだけ動いても魔力が消耗している感じが全然無いってどういうこと。ちょっとズルいんじゃ無い?"
少佐も、並の魔法使いに比べると膨大な魔力の持ち主であり、これまでの幾度かの戦闘ではその魔力と多彩な魔法で相手を押しつぶすように倒してきた。
きっとその相手も、今の少佐と同じような感慨を持ったことだろうが、少佐はそれに思いを馳せる余裕は無かった。
また、都合よく隠された力でもいきなり発現しない限りは、少佐の命はここで尽きることになるだろう。
今の黒豹は、フロリアの姿に変化している。これだと普通の外国人の少女に見えるので、黒豹のように周りの人間がすぐに通報してくるのは期待出来ないだろう。
それでも大声を上げて人を呼ぶのは有効な手段である。
少佐は息を吸い込んで大声を出そうとした瞬間。――トパーズのエアカッターが数個、続けざまに飛んでくる。
同じエアカッターでも並の魔法使いの攻撃魔法とは威力も切れ味も全く違う。
とっさに全神経を集中して防御魔法を二重に展開する。
しかし、その二重の防御壁は最初の数個の攻撃で斬り裂かれる。即座に次の防御魔法を展開する。
さらに次の防御魔法。
破られるよりも早くどんどん展開していき、エアカッターを正面から受け止めるだけではなく、斜めにいなすことで多少なりとも威力を減衰させる。
通常であれば、移動しながらこちらからも攻撃魔法を放ったりして、敵を攻撃に集中させないようにしながら防御魔法を展開するのだが、今は立ち止まったまま必死に壁を作るのが精一杯。少しでも他のことに意識を割くと、防御魔法を展開し損ねそうである。
「どうした、娘。今度こそ終わりか」
トパーズのエアカッターが直線的に飛ぶだけではなく、カーブを描いて少佐を襲うようになる。
その分、防御壁を体の斜め前に展開しなければならず、少し遅れ気味になっていく。トパーズは一定の距離を保ったまま近づいて来ない。
エアカッターでズタズタに斬り裂いていき、最終的に少佐の息の根が止まるまでやめるつもりは無いようだった。
声を上げる暇すら無いまま、エアカッターを防ぎきれなくなっていき、少佐の体がエアカッターが斬り裂かれる。
それでも防御魔法によって、威力がだいぶ減衰しているので、一撃で致命傷になることは無いが、これまでの多くの傷に加えて、新たな出血はかなりまずい。
「クッ」
歯を食いしばった隙間から、声にならない悲鳴が漏れる。
目がかすむ。いよいよ防御出来なくなってきた。
せっかく元の世界に戻ったのに。こんなところで死ぬのか、私は。
少佐はほとんど気を失って、地面にゆっくりと倒れ込んでいく。そして、そのままその場所から消失した。
「また、転移魔法?」
トパーズはあっけに取られたのだった。
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