第354話 少佐の場合2
黒豹は風を巻いて、少佐に飛びかかってくる。もちろん、大人しくその爪の餌食になる少佐ではない。
ファイヤーランスを数発、牽制に放つと、ほとんど同時ぐらいに前面に防御魔法を張る。トパーズは身を捩って、最低限の回避行動でファイヤーランスを避けると、爪を防御魔法に突き立てる。
ビシッという音とともに防御壁に亀裂が入る。
もう一撃で防御魔法が破れるがその時には、少佐は後方に数メートルの距離を退避していて、再びファイヤーランス。
トパーズはファイヤーランスを避けると、一旦間を置く。
再び対峙する形になる。
「あ、豹だ!」
「人を襲ってるぞ!」
コンビニから出てきたカップルが騒ぐ。
少佐は「助けてぇ!! 火事だあぁ!!」と声を風魔法に乗せて、思い切り叫ぶ。
火事、と言ったのは、前世である時代小説を読んでいて、強盗だ、人殺しだ、と呼ばわっても関わりあいになるのを疎んだ住人が出てこない可能性があるので、気がついた人間が飛び出してくるであろう火事という単語を使ったまでである。
カップルの騒ぐ内容とは矛盾するが、そこまで考える余裕は無かった。ここまで走ってくる途中で思いついたことをそのまま叫んだのだった。
「警察、呼んでぇ!!」
コンビニの中から店員が入り口まで出てきて、外を見ている。黒豹の姿を確認して、すぐに奥に引っ込む。
できればこいつを肉の盾にしたかったのだが、仕方ない。中で110番してくれていることを期待しよう。
コンビニの上の階のマンションの部屋の明かりがあちこちで灯る。窓を開けて、下を見る住人も出てきた。
次いでに、周囲の一軒家も人が出てきてくれるだろう。
「何のつもりだ」
トパーズは唸るように言った。
フロリアがついていたら、最初からトパーズに人の姿で追跡するように指示をしたのだろうが、聖獣であるとは言え、獣の感性、思考体系は町中で黒豹の姿は騒ぎになる、という点を見落としたのであった。
しかし、今回はトパーズの所為だけとも言えない。彼が本来住んでいる世界でも、町中に野獣が出れば騒ぎになるが、それでも従魔が割りと普通に存在する世界でもある。現代日本の住宅街に黒豹が現れたらどんな反応になるのか、分からないのも無理は無かった。
このタイミングで、サッとライトが道を照らしたかと思うと、道路をSUV車が近づいてくる。コンビニに入ろうとしたらしく、そのあたりでスピードを緩めたのだが、歩道のトパーズを視認したらしく、駐車場に入ろうと左折しかかったところで止まる。
そのライトにトパーズの姿が照らし出されて、マンションの窓から覗く人たちからもここに猛獣がいる、とはっきり見えたのだった。
「たいへんだ。動物園から逃げ出したんだ!」「警察は? はやく呼べ!」「保健所の方が良いんじゃない?」
という声が交錯する。
「火事はどこだ、火事は?」と先程、少佐が叫んだ声にまだ惑わされている、呑気な住人も居るが、ベランダからスマホで動画撮影を始めている住人も複数居る。
「どうする、黒豹さん。まだ戦うの?」
「なぜ、止めねばならぬ」
そう言うと、トパーズは周囲の眼も気にせず、また少佐に襲いかかる。風魔法をはらんだ爪の一撃を、少佐も風魔法で迎撃するが、魔力量の差は如何ともしがたい。
少佐の胸部が薄く斬り裂かれ、バッと鮮血が散った。
「きゃあ、人を襲ってる!!」
周囲で悲鳴が上がる。
左折しかかっていた車はびっくりしたのか、コンビニの駐車場には入らず、そのまま道路に戻って、スピードを上げて逃げていく。
すでに十分な騒ぎになっているが、フロリアの掣肘が外れたトパーズは別に周囲の人間に見られて騒がれても、それを気にすることもない。
いや、多少の騒ぎになっても、この女を確実に仕留めておくことこそが、フロリアの利益になると信じての行動なのであった。
少佐の傷は出血量の割りには浅傷なのだが、血が流れるに従い、ポーションで一時的に底上げした体力も魔力も一緒に流れ出てしまう。
トパーズはこの場で少佐を仕留めるつもりではあったが、相手が得体の知れぬ力を持つ転生人であることを考慮して、いつも魔物を仕留める時のような息も継がせぬ連続攻撃ではなく、少佐の様子を観察しながら着実に力を削いでいく方針で攻めていた。
だが、じっくり攻めるとは言っても10分も20分の掛けている訳でもなく、周囲の誰かが呼んだ、警察だか消防だかが駆けつけて来るのには間に合いそうも無い。
トパーズの3撃目、4撃目も迎撃し、受け流すが、躱しきれずに再び傷を負ってしまう。故郷の村の近くの森で負傷した時に血と土で汚れた服をそのまま着ているので、他の人間からはズタボロに見えているであろう。
騒ぎを起こして注目を集める手段が通用しないとなれば……、次はこれだ。少佐はウィンドウカッターをコンビニのガラスの壁に放つ。
ビシィ、バリンという大きな音を立てて、ガラスが砕け、細かい破片が地面に撒き散らされる。
コンビニの道路(駐車場)に面した大きなガラスの壁面は、時折りアクセル操作を間違えた車が突っ込んで盛大に破壊しているが、あれに比べればウインドウカッターでガラスを砕いただけなのは少しはおとなしい破壊に見える。
続いてトパーズに牽制の火魔法を放った少佐は、そのまま店内に飛び込む。そして、商品の陳列棚の影に隠れる。店内に居る客と店員が悲鳴を上げる。
店に飛び込むときに、地面に散ったガラス片を巻き上げるように風魔法で小さな竜巻を作り、さらにトパーズに向けて風の奔流をぶつける。
ガラス片程度でこの黒豹がどうにかなるとも思っていなかったが、少しは痛い思いをすれば良い。
トパーズは体の周囲に風の防壁を作り、少佐の発した風の奔流の流れを変える。ガラス片は駐車場から道路の片側車線ぐらいにまで広範囲に広がっただけで、トパーズの周囲にだけは届いていない。
この女の意図は正確に掴めていないトパーズだが、なんとなくこのキラキラ光る小さな粒は身に受けない方が良い気がしたのだ。
「それで隠れたつもりか」
トパーズはそう言うと、店の外から破壊されて大きく開いた壁を通して、店内に向けて特大級のウィンドウカッターを放つ。
華奢な陳列棚に当たると、商品もろとも斜めに切り裂いて、陳列棚は盛大な音を立てて倒れる。
しかし、もうその影に少佐は居ない。
トパーズは数発続けて、ウィンドウカッターを放ち、他の陳列棚も次々に斬り裂かれて破損していき、店内の見通しが良くなっていく。
中に近づかないのは、少佐の意図が読み切れないからである。
少佐は棚の後ろを通って、レジに近づくとレジカウンターを飛び越え、その後ろで震えている店員の後ろに回る。
体格で言えば、少佐はこの世界では女性としては大柄ではあるが、店員は多分フリーターなのだろうが、20代後半ぐらいの男性。店員の方が縦も横もずっと大きい上に、少佐は怪我だらけで片腕という状態である。
それでも店員は少佐のなすがまま。これがアメリカあたりならすぐに店員は床に伏せて安全地帯に移動しようとしているだろうが、日本の平和ボケしている店員は、危機に際してどうして良いか判らずにぼーっと突っ立っていたのだ。そこへ、少佐が全力の混沌魔法を掛けたため、精神が混濁してさらに突っ立ったままになってしまい、あっさりと肉の盾にされてしまったのだ。
トパーズは少佐が関係の無い人間を盾にした時点で攻撃を止めた。
この世界の住人の間で目立っても気にしないし、店を破壊しても何も感じないが、まるで関係の無い他人はまずい。さすがにフロリアがそれを病的なまでに嫌がっていることは分かっているのだ。
フロリアも最近はようやく"敵"に対しては手加減せずに攻撃することに慣れてきて居るが、敵でない人間を傷つけることは決して許容していなかった。
フロリアと、そしてそれ以前にアシュレイと知り合う前のトパーズなら、敵が肉の盾を使ったなら、躊躇せずに盾ごと攻撃したであろうが、今のトパーズは少し変わっていた。それはフロリアを本気で怒らすことが分かっていたし、獣なりの誠実さでフロリアに言わなければ別に構わないだろうとは考えなかった。
そもそもトパーズは根拠のない楽天的な見通しからフロリアと再会出来ると信じていたので、彼女の敵となりうる少佐を執拗に狙っていたのだし、再会したときに嘘をつかないために攻撃を中止したのだ。
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