第352話 少佐の場合1
片腕を失い、今は脇腹と太ももに魔力弾を受け、その他にも機動歩兵によって細かく削られていて、ボロボロになった。
最初はつけ狙ったフロリアに逆に追い込まれ、魔力は枯渇し、立つことさえ叶わなくなった状況で額に銃を突きつけられた。
グレートターリ帝国を裏から支配する過程で幾度も暗殺の危機にさらされたこともあったが、これほどの絶体絶命は今回が始めてであった。
とっておきの奥の手であった転移魔法が事実上、無効にされたのが痛かった。
歯ぎしりする思いだが、もうどうしようもない。
前回、転移魔法が発動した時、どこへ飛ぶか、意識していたわけではない。ただ、頭の中に自分がいつも逃げ帰りたい、戻りたいと思っていた生まれ故郷の辺境の村が浮かび、そこに無意識のうちに飛んでいたのだった。
しかし、今回はその村へ飛んだのに、後を追われ、追い詰められたのだった。
もうどうしようもない。
前の人生でも、成功の証となる株式上場を目前に控えながら、トラックに轢かれて不慮の死を遂げた。今回は成功目前という訳では無いが、成功への大きな足がかりとなる戦力を手に入れるために行動した結果、逆襲されてこの始末だ。
あゝ、クソ! 出来ることならもう一度、やり直したい。
自分はこんなところで死ぬような人間じゃなかった筈なのに……。
――次の瞬間。
眼の前が昏くなって、まるで船酔いでもしたかのような悪い気分になっていった。
"これは転移魔法が発動したときの……"
だが、もう自分にはそれだけの魔力が残っていない筈である。
何よりも、転移した先のイメージが無い。やり直したいという歯ぎしりするような思いには因われたが、何処に行きたいとは思っていない。
これも、死の間際に目覚めた新しい力というヤツなのだろうか。
底を打ったような魔力しか残っていないのに、こんな風に転移魔法が使える様になるのであれば、もっと早くそうなって欲しかった。
胃の中が逆流するかのような数秒(それとも数十秒)が過ぎ、少佐は地面に膝まづいたまま、転移が終了したことを感じた。
「ここは……どこだ?」
少佐はフラフラと立ち上がろうとして、太ももに激痛が走り、またしゃがみ込む。
「クソ、ぼやぼやしていられないっていうのに」
だが、探知魔法で周囲を探ったが、フロリアの気配も、フロリアに付き従っていた従魔の気配も無い。あのロボットたちの気配もきれいに消えていた。
少しは余裕があるのか?
ともあれ、収納袋を探って、魔力回復用と体力回復用、さらに外傷の回復用の3つのポーションを出して、次々に飲む。
魔力や体力の回復用ポーションとは、実はそれらのちからを回復させるのではなく、将来の生命力から前借りしてきている、というのが薬師の間では定説になっている。
しかも、こんな風に無理やり回復させても、本復した訳ではなく、何かあればすぐに消耗してしまう、割に合わない回復なのであるとも言われる。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
ここがどこかも分からない、緊急事態である。とにかく体力、魔力の欠乏は簡単に死につながるのだ。
やっと太ももの傷が塞がり、立ち上がれるようになると、少佐はそろそろとあるき出した。
ここはグレートターリ帝国内で少佐の見覚えのある場所ではなかった。
もちろん、機関を預かるようになってから、海外のあちこちの国に潜入したが、そのいずれとも違う。
「ここは……まるで……」
そう、ここはまるで、死ぬ前に暮らした日本の、郊外の閑静な住宅街といった風情の町並みなのである。
今は何時ぐらいだろうか?
季節も分からないのであまり明確なことは言えないが、真冬でも真夏でもない。春か秋の割りと良い季節の、そろそろ日付が変わる頃、といった感じである。
「ここはどこだ。今はいつだ」
誰かに聞きたいが、このボロボロの格好で通行人に会えば騒ぎになりそうである。
いっそ手頃な家に押し入って、家人には騒がれないために、混沌魔法を掛けようか。それで、必要なことを尋問する。あちらの世界でのし上がるために散々似たようなことをやってきた。
「この家で良いか」
古い二階建ての一軒家だが、庭木の手入れが悪く、なんとなくであるが老人の1人住まいか、老夫婦のみであるという感じがする。
中の気配を伺うと、1階に1人だけ。
「どうやらこの世界でも魔法はそのまま使えるらしい。キチンと探知魔法が働く」
少佐はニヤリと笑うと、静かにその家の門扉に手をかける。
「チッ」
急にその手を離すと、夜の住宅街を走り始めた。
フロリアと一緒に居た従魔の気配。
人間に化けられるヤツだ。
従魔も少佐の気配を察知したらしく、跡を追ってくる。
いくら夜の住宅街で人が少ないとは言え、残業や飲みに行った帰りで、この時間に戻ってくるサラリーマンも居る。
なるべく、自分の姿をそうした連中には晒したくは無いが、そんなことも言っていられない。
一応は隠蔽魔法を掛けているし、あっという間に走り去るので、彼らがしっかりと認識出来ていないことを願うばかりである。
従魔は少しずつだが着実に距離を詰めてきている。以前、少佐は機関で使える従魔使いを探すべく、一時期、大勢の獣魔使いの面接を行った事がある。
その時にであった従魔と、フロリアの従魔とは全く違う。強さもさりながら、フロリアの命令が無くても、自分で考えて動けるというのはありえない話である。
しかも、この場所で可能かどうかまでは分からないが、人型に変化し、それぞれが一騎当千の眷属を相当数呼び寄せることも出来る。猛禽類に劣らない厄介な相手である。
この世界に飛ぶ直前に目覚めたばかりの新しい力を使って、魔力の分身をばら撒いたが、従魔はまっすぐに少佐を追ってくる。どうやらこの獣には通用しないらしい。
そうなれば魔力の無駄である。少佐はデコイを撒くのを止めた。
片道1車線だが、左右に歩道が完備した少し広い道路に出た。
その道に面して、割りと大きめのマンションがあり、その1階にはコンビニが入っていた。ひと目に付く場所だが仕方ない。というよりも、予定変更だ。ひと目について、従魔が攻撃を仕掛けづらいような状況を作るのだ。
すぐに黒い豹が凄い勢いで走ってきた。
いきなり襲いかからずに、10メートルほど離れて対峙する。こちらも人目に付くことを気にしている様子は無かった。
「おい、女。ここはどこだ」
黒豹の口から人語が漏れる。
「私にも正確には分からない。おそらくは私が前世で暮らしていた日本という国のどこかだ」
「……フロリアも日本で暮らしていた、と言っていた」
「だろうね。昔から転生人って名乗る連中は日本語を伝えたり、日本の文化を広めたりしてたからね。日本が転生人の供給源みたいなものらしい」
「なぜ、そんなところに来られたのだ。フロリアはどこに居る。さっさと答えろ」
「分かっていたら、教えてやっても良いけど……。あいにく、私にも何もわからないんだよ。もちろん、あんたの飼い主の居場所も知らないよ」
「……ならば、最後に問う。元の世界に帰る方法はあるのか」
「それも知らないね」
「どうやら、嘘を付いている様子は無いな。ならば、もうお前を生かしておく必要はない。死ね」
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