第343話 少佐の過去1
「に……げた。嘘でしょ」
フロリアは目前で再度の転移魔法を実行した少佐に呆然とした表情を浮かべた。
セバスチャンの分析では転移魔法には膨大な魔力が必要な筈であり、そう何度も繰り返し使えることは無いだろうということだったのだが……。
「よほど、死力をふり絞ったのだろう。確かに魔法が発動する瞬間、あの娘の必死の執念が伝わってくるようではあった」
トパーズがフロリアの心中を察して、そういった。
「さ、私たちもどうするか決める必要がある。雑兵どもが向かってきおるぞ」
フロリアは衛兵達に向けて、水流を放つ。今度は口径を狭めて威力を増すのではなく、一気に大量の水を放出して相手を足止めする為である。なので、水流の中に収納の中にしまって放置してあった土や石ころ、木の枝といった土砂の類を混ぜた。昔は獲物の血抜きなどをする時に、亜空間内でやらずにその辺の森の中で行ったのだが、その時に穴を掘るかわりに土を収納したりしていたのが、そのままずっと残っていたのだ。
そして、衛兵を一時的に遠ざけると、皇帝の寝所の中へ。
呆然と突っ立ったまんまの中年に差し掛かった男のむき出しの下半身が目に入り、フロリアは顔をしかめる。
男は正気を失った目をしているので、特にこれ以上の混沌魔法を使うまでも無かろう。
「トパーズ、来て」
亜空間への扉を開けると、その中にスルリと入り込んで、すぐに扉を閉める。
フロリアは間髪を入れずに亜空間内に設置してある転移魔法陣に行くと、ベルクヴェルク基地に飛んだ。トパーズも既に黒豹の姿に戻って同行している。
「セバスチャン。少佐がどこに行ったか分かる?」
ベルクヴェルク基地に戻るや、すぐに出迎えたセバスチャンに尋ねる。
「はい。グレートターリ帝国の東方の辺境地帯に魔法痕が観測されました」
衛星画像では、荒れ地で周囲は無人。少佐が出現したあたりは人家らしき跡があるが、どうやら廃村のようだ、というのがセバスチャンの分析であった。
訪れる人もなく、特に注目すべき点も無い荒れ地ではいくら大陸全土にねずみ型ロボットをばら撒くとは言っても、対象外になっていたのは無理もない。
この近辺にもねずみ型ロボットは配置されておらず、したがって、簡易魔法陣を設置することも出来ないのだという。
「もっとも早い到達方法は?」
セバスチャンはこの近隣(とは言っても数百キロも離れているのだが)の町に、収納持ちのねずみ型ロボットが配置されているので、そのロボットが収納内に保持している簡易魔法陣を設置させて、機動歩兵輸送用の飛行機「カラスくん」で急行するのが一番はやいであろうと返答した。
「まずは、カラスくんを出現させても人目につかない場所までねずみ型ロボットを移動させますので、5~6時間程度は掛かるものと思われます」
「うん、分かった。すぐに取り掛かって。――私は一休みするわ」
「かしこまりました。アリスラン大宮殿を襲撃しておりますねずみ型ロボットは作戦終了してよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだったね。――うん、もう引き上げさせて。海水も止めて」
「かしこまりました」
フロリアは、かなり荒っぽい手段をとったが、魔法使い以外の犠牲者は出来るだけ少なく済ませたし、これで十分だったと考えていた(排水機能の無い宮殿内に溜まった海水はすぐに腐り、感染症の原因となって一時は皇帝一家まで宮殿を離れる騒ぎになるのだが、それはフロリアの耳に入らなかった)。
5~6時間なら、ベルクヴェルク基地で体を休めて、英気を養うのが良いだろう、とフロリアは思った。
アドリアに報告をしなければならないけど、そのための時間が惜しい。
少佐の息の根を止めてからフライハイトブルクに戻ればよいだろう……。
***
目を開けると、戦闘のために破壊されつつあるとは言っても豪奢で繊細である後宮の中から、荒れ果てて、見るからに貧しそうな土地が広がっている光景が目に飛び込んできた。
だが、少佐にはこの光景はなんとも言えぬ、甘酸っぱい思い出をくすぐるものであった。
とっさの転移魔法で行先をはっきりとイメージ出来なかった。その結果、この場所に飛んだのだから、少佐は命の危機にさらされた時、一番力強く自分を守ってくれた人たちの居た場所をイメージしたのだろうと、己の心の動きを分析した。
「だけど、あのフロリアは私のことを的確に追跡してきた。もしかして、この場所もなにかの手段で調べて、追いかけて来るかも知れない」
「ここが荒らされるのは嫌だな」
すでにとことん荒らされているのだが、それでも少佐にとっては、この場所を戦場にするのは受け入れ難かった。
とりあえず、廃村の朽ち果てた建物の前から、両親の墓まで移動することにした。
墓、とは言っても、そこに両親は眠っていないのだが……。
***
少佐がこの世界に生まれたときの名前はジャナン。日本の言葉が大陸の共通語として広がってからすでに1万年以上経っていて、それ以前の言葉はわずかに辺境と呼ばれるような地方に、誰も意味や来歴がはっきりと分からないような訛りなどになって残っているだけであった。
ジャナンという言葉も、両親は意味も知らずに、昔からこの辺によくある女の子の名前として名付けたのだが、本来は「大切で愛おしい」という意味であった。
ジャナンは7歳まで、この辺境のちっぽけな村で暮らしていた。貧しく、学もないが、優しい両親や生意気な弟とちょっと体の弱い妹との暮らしは、大変ではあったが平穏だった。
それが変わったのは、ある時にお役人が村を訪れてからであった。
時々、村長が近隣の町まで出かけて税を収めれば、それ以上、誰も村のことを気にする者は居なかった。それが、村人たちには良く分からない"帝国"なるものが出来上がって、村に対しても上から重圧を掛ける存在へとなっていった。
税は重くなるし、年頃になった青年を徴兵と称して連れて行ってしまう。さらに数年に一度の割り合いで、お役人が訪れると大体5歳から10歳ぐらいまでの子供を水晶玉で調べて魔力があると分かるとやはり連れて行ってしまう。
辺境の村でもさすがに100人に1人の確率で生まれる魔力持ちのことは知っていて、その魔力持ちが成長すれば村のために、他の村人数人分ぐらいの働きをしてくれることも知っていた。
その魔力持ちを連れて行かれれば、村の損失は、青年衆を取られるのと同じぐらい大きかった。
だがお役人に逆らおうとすれば、帝国は容赦無かった。
この村でも何度か血が流される事件がおきて、長い期間を通して渋々、帝国を受け入れることになっていった。
ジャナンが生まれた頃にはすでに帝国の存在がすっかり当たり前になっていて、お役人の来村も憂鬱だが避けられないイベントの一つになっていた。
ジャナンは幼いながら、色白で目が大きく、村の大人たちは「きっと大きくなったら、美人になるぞ」と言っていた。
魔力検査の日。
ジャナンが水晶玉に手をかざすと、水晶玉は同じ年頃の友人たちとは全く違う光を放ち、軽くカタカタと震えた。
お役人は「これはすごい!」と驚嘆の声を上げると、すぐにジャナンの細い腕を掴み、村長やジャナンの両親にこのままこの娘は連れ帰ると宣言した。
長い間、この水晶玉の行事に引っかかる子供は生まれておらず、両親もどこか油断していたのだろう。
慌てて、お役人に連れて行かないでくれと両親はすがりつくが、村長が慌てて制止する。お役人を怒らせた村がどうなるかは、ときおり近隣の大きめの町に出かけて他の村の噂を聞くこともある村長は良く知っていたのだ。
そうした訳で、7歳になったばかりのジャナンはほとんど着の身着のままでまずは近隣の町に連行され、そこでさらに高性能の水晶玉の検査を受けて、はるばる帝都アイスランティオンにある帝立魔法訓練所に送られる事となった。この訓練所はまずは軍人――というよりも、高性能な兵器というべきか――として役に立つかという視点から、幼い魔法使いの卵達を教育し、訓練し、そして洗脳する機関であった。
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