第341話 少佐との戦い6
異様に膨れ上がった敵意の塊が近づいてくる。
少佐はこの帝国で成り上がる過程で、幾多の戦いを経ていた。政治的な駆け引きや、闇魔法や混沌魔法で政敵を屈服させたり失脚させたり魅了したり、という静かな闘争が大部分ではあったが、中には本物の流血を伴う戦いも少なくは無かった。
同じぐらいの年代の少女のなかに、少佐ほど多くの血を見た人間は他に居ないであろう。
優れた魔法使いと命のやり取りをしたことも一度や二度ではない。
戦いに臨むにあたり恐怖や殺意が入り混じった、独特な精神の高揚もよく知っている積りであった。
しかし、いま自分に迫ってくる魔力の持ち主に対する、心持ちは経験の無いものであった。
第1回戦は、この女の不意をついて、弱みでもある仲間を確保するためのものであったが、こちらの作戦を読まれた(?)。
奥の手である転移魔法で難を逃れた筈が、こうして未だ回復が完了しないうちに追いつかれてきた。
いまだ片腕の再生はならず、魔力の回復も不十分。皇帝の護衛をつとめる魔法使いを数十人送り込んだのに潰された。
"あと、1回ぐらいなら転移魔法できるか?"
そう考えて、慌てて自分の弱気を叱った。最初から逃げる手段を考えていてどうする。この場で迎え撃つのだ。
この女を倒さない限り、自分の人生を掛けた野望はついに挫けるであろう、そういう予感も感じていた。
皇帝の寝所の周辺は、通路は意外とこじんまりとしてくる。
寝所自体はかなりの広さがあって、中では皇帝の性的嗜好に応じて様々な状況に応じるための道具や玩具などがあるのだが(近年は心中を少佐に侵食されて、皇帝の性的好奇心は枯れていたので、そうした道具を使うことはなくなっていたのだが)。
寝所の外は衛兵の立ち番をするスペースに、様々な用事のための女官や宦官の詰め所も数か所ずつあった。
同じ女官でも、后妃の世話をする女官に、皇帝の世話をする女官、周囲の清掃をする女官、そうした仕事はせずに護衛のために女官になった女魔法使い……。
宦官も同じで、数名ずつの詰め所が複数あり、それぞれの詰め所に詰める宦官は専門の仕事のみをするのであった。
そうした小部屋の並びが一見すると迷路のように皇帝の寝所の周りに散らばっていたのだが、フロリア達はどうやら素直に迷路を通り抜けることを選ばなかったようだ。
迷路区域の前でほんの少し、逡巡があったようだが、その次にドォンという轟音に地響き。小部屋ごとふっとばして進むことを選んだようだった。
待ち伏せをふせぐためか。
「可愛い顔をして、乱暴なことだ」
少佐は歯をむき出しに笑う。皇帝は自分の後ろの扉の向こうで、薄い霧が掛かった頭で木偶人形に腰を振っているだろう。
フロリアがどこまでの破壊を目論んでいるのか知れぬが、さすがにこの皇帝を殺されると、少し困る。
続けざまに轟音が轟いたかと思うと、少佐が立つ通路の前の部屋の壁まで吹き飛び、天井にヒビが入り、土煙がモウモウと上がる。その土煙の向こうに巨大な魔力の塊が2つ。
一つは従魔のものだろうが、異質な雰囲気の魔力で、単純な魔物とも思えない。もう一つのフロリアの魔力も、あれだけの戦闘を経ていながら、全然目減りした感がない。
"いや、流石に何かの誤魔化しだろう。人間があれだけ戦って疲れていない筈がない"
「乱暴なことをするものだ。いくら皇帝陛下がお優しいお人柄でも怒るやも知れぬぞ」
「皇帝さんとかには用事は無いです。あなたを殺す邪魔をされたら、わかりませんが」
フライハイトブルク郊外でほんの一言交わしたときにも思ったが、幼い声。いや、年相応なのかも知れないが……。
「戦う前にすこし話をしないか」
「あなたと話し合いたいことなんか有りません」
「そう言うな。その魔力と魔法。君も転生人なのだろ」
無言の返答。
「私も転生人だ。この世界で生まれる前は、名古屋で生まれ育って、結婚もして子供も産んでいた。それがまだ子供も小さかったのに、事故死して、気がついたらこの世界に居たという訳だ」
フロリアはいきなり過去を語り始めた少佐の真意を測りかねて、沈黙を守ったままだった。
なので、少佐の語る過去が半分デタラメなのに気が付かなかった。少佐が子供がいると言ったのは、フロリアの気勢を削ぐのが目的だったが、効果のほどは判らなかった。
「この世界は酷い世界だ。前世の記憶を思い出して、自分が何者かを知った時には、私は魔法使いの才能を伸ばすという名目で、国に拉致されておもちゃのように扱われて……。 だから、こうしてこの世界に復讐することにしたのさ。それのどこが悪い?」
「その復讐のために私の友人を苦しめるようなことをしたの?」
「あれは悪かったと思っているよ。どうも私の部下はお調子者でね。ついやりすぎてしまったのだ。謝罪するし、何なら私の手で彼女たちの記憶を操作しても良い。この国には創業時以来の人の心をいじることに関しては優れた魔導具が存在しているのだ。
それに私が闇魔法が得意なのは気づいているだろ?」
その瞬間、フロリアの魔力が爆発的に膨れ上がってきたのを少佐は感じた。
まずい。
少佐は物陰に隠れている召喚術師の方をちらりと見た。だが、召喚術師は動こうとしない。そればかりか、何か衝撃を受けたかのような顔をしてへたり込む。
「もしかして、このトラのことか?」
フロリアの隣にいるトパーズ(アシュレイ姿)が、その召喚術師をあざ笑う。
元来、猫科のけものや魔物はあまねくトパーズの威に従う。
破壊された柱の物陰からヌッとトラが現れるが、少佐が命じたような奇襲攻撃ではなく、怯えたように頭と尻尾をうなだれるようにしている。
それでも、トパーズにひれ伏さないのは契約者である召喚術師とトパーズの板挟みになっているのだろう。
「トパーズ。可哀想だから送還してあげて」
「まだ、あれに囚われているからな。解放してやらねば無理だ」
「そう」
フロリアはそう言うと、いきなり手元に何かを出したかと思ったら、ボスッという低い音がして召喚術師は倒れた。
"なにっ、拳銃?"
確かにフロリアの手に握られているのは小型の拳銃っぽいものであった。ようやく回廊を破壊したことによる埃やつちけむりは収まって来たが、まだフロリアの手元ははっきりとは見えないし、そもそも少佐の前世は銃器とは程遠い人生だったので知識が薄い。
「これで帰れる?」
「ああ。そうだな」
トパーズがトラを数秒、じっと見つめると、トラはホッとしたのか顔をあげ、アシュレイの姿のトパーズを見返した後、スッと消えた。本来居るべき場所に送還されたのだろう。
「それじゃあ、後はあの人だけだね」
フロリアはもう拳銃を隠そうともしない。
これで、配下の魔法使いたちはやられたのか。
全く知識がなければ、フロリアの手に握られているものが攻撃用の魔導具には見えない。ライフルのように長い筒が己に向いていれば、飛び道具たる攻撃魔法を使う者なのだから、攻撃用魔導具と思うかも知れないが、あまり銃身が突き出していないようなグロックの形では、判断に一瞬の遅れが生じるのはやむを得ないだろう。
その一瞬で勝負はつく。
隣の召喚術師だって、召喚術の他に防御魔法も使っていたのに、それは一瞬で突破されてしまった。
これまでの魔法使いたちも同じようにやられたのだろう。
フロリアの魔力を削るために順番にすこしずつ兵力投入していたのが仇になった。これならば一斉攻撃のほうが効果的であったのだが、今となっては襲い。
多人数による一斉攻撃には不向きな後宮の構造と、こんな魔導具の存在の可能性に思い至らなかった少佐のミスである。
探知魔法と予知に頼りすぎて、一般の軍人ならば行うであろう偵察を出しての情報収集を軽んじたツケでもあった。
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