第308話 覇者の末裔が見る夢
クラーケンの売却が終わり、夏も終わりが近づいてきた。
本来、バカンス地であるポートフィーナで過ごす筈であった日々も、フライハイトブルクの喧騒の中で過ぎている。
ただ、大陸の南方にある上に、海に面していて、その海にはさらに南から流れてくる海流のおかげで、暑い日々は続いていた。
もっとも風が強い土地柄でもあるので、朝夕は随分と涼しさを感じるようにもなっていたのだが。
フロリアは、パーティホームの一人部屋を自分の個室として与えられては居るが、そこで寝ることはほとんど無かった。
当然のように、自分の亜空間の方がなれていて寝やすいのだ。
パーティホームの使用人たちは、マジックレディスのメンバーとは違って、フロリアの秘密を知らないので、きっとフロリアのことを不思議がっていることだろう。寝るときだけではなく、お風呂も亜空間で済ますことが多いし、服も亜空間のブラウニーが洗濯して手入れしている。
消耗品などはベルクヴェルク基地から、転移魔法陣を使ってふんだんに送られてくる。
というわけで、フロリアはパーティホームに同居しているのだが、周りに生活感が漏れ出して来ないのだ。
個室の掃除すら、あまり必要ないぐらいである。
「少しは、皆にも仕事をまわした方が良いと思いますよ」
ルイーザがそうしたフロリアの生活パターンを気遣って、共有空間などで過ごす時間を増やして、使用人たちが世話を焼く時間を長くしたほうが良い、と注意したぐらいである。
このパーティホームで働いている使用人たちは、本人たちは魔法使いではないものの、魔法使いの性質や生き方をよく心得ていて、その足を引っ張ることはしない。
具体的には、魔法使いの秘密を探ることなどしないし、知ってしまった秘密についても他人に……特に外部の人間には漏らすことはしないようにとても気を使っている。
だが、それでも本人達に悪意が無くとも、情報が漏れてしまう可能性がある。特にフロリアの情報については、多くの勢力が注目しているだろう。
「フィオちゃんって、ホームの外に出かけている訳じゃないのに、見つからないことがあるのよねえ」
程度の世間話でも、フロリアの「亜空間」という秘密を暴く1つのピースになりかねない。
「今のあなたはそのぐらい注目されていますからね」
並の「才能のある魔法使い」程度なら、雷撃のアドリアの強烈な個性に率いられたマジックレディスの影に入っていれば、その光のまばゆさに他人の詮索の目を逃れることが可能である。
実際、多くの女魔法使い達は魔法の才能と比べて知識や経験が浅くて、冒険者としてアンバランスである「危険な時期」をアドリアに守られてきた。
そうした先輩たちに比べても、フロリアの存在は強烈過ぎて、アドリアの光でも消すことができない、のだ。
「そう言えば、最近は、他の国の軍人っぽいのが目立つかなあ」
パーティホームを見張る連中を目ざとく見つけてくるのが得意なモルガーナがそんなことを言う。
「大鷲が魅力なのでしょうね。モルガーナはただ単に空を飛びたいだけでしょうけど、実際に多くの兵士を動かして敵と対陣する時など、上空からの情報が分かれば圧倒的に有利になりますから」
***
ゴンドワナ大陸の東方は荒涼とした砂漠が広がっていて、人が住める地帯は限られている。その痩せた土地の中では、多くの河が流れて比較的地味が豊かな一帯に勢力を維持しているのがグレートターリ帝国である。
サールハンと呼ばれる皇帝が絶対権力を持ち、国家制度も貴族制度とは違う、皇帝を頂点とする一種の官僚制を敷いているグレートターリ帝国は、西方諸国の中でも特に自由度の高い政治思想をもつ自由都市連合とは相容れない存在だと思われていたのだ。
大陸中を飛び回るのが仕事みたいなフライハイトブルクの商人でもグレートターリ帝国を訪れた者は少ないし、逆にこの閉鎖的な国の人間をフライハイトブルクで見かけることなど、まず無かった。
だが、実際には、グレートターリ帝国の人間はしっかりフライハイトブルクにも暮らしていたのである。――密偵、間諜と呼ばれる者共が、帝国の人間とは周囲に知られぬように。
貿易立国のフライハイトブルクは、他国から流入してくる人々は珍しくもない土地柄である。少々、出自が怪しげな人間でも息をすることが出来る町、それがフライハイトブルクなのであった。
だから、フロリア達のクラーケン討伐を見物していた観光客の中にもグレートターリ帝国の間諜が混ざっていたのも、決して偶然では無かった。何しろ、ポートフィーナはフライハイトブルクの奥座敷みたいなリゾート地なのである。
モルドル河の水龍を討伐した際の、フロリアの大鷲による空中飛行は、多くの国の軍関係者達に大きなインパクトを与えていた。
これまでも鳥を従魔に出来る召喚術師は軍で重宝がられてきた。しかし、眷属を大勢使える鳥の従魔というものは、記録に残る限りほぼ存在せず、1羽2羽の鳥を敵の偵察、遠くの味方との通信に使うのみであった。
冒険者の中には鳥を敵への攻撃に使う者も居たが(第3章のビルネンベルクの魔法使いカイのような)、軍ではそんなもったいない鳥の使い方はしなかった。
そうした鳥の従魔のバックアップ的な利用価値はよく理解していた、各国の軍参謀などは、人を載せて長時間飛べる大鷲の存在意義は即座に理解した。
鳥と不完全な視覚共有しかできない召喚術師の口を通してしか情報を得られない敵情偵察、軽い手紙一本しか送れない鳥による通信に比べ、大鷲を使えば、プロの参謀が直接その目で敵の布陣を俯瞰でき、重要人物やかなりの重量のある物品を遠距離に渡って速やかに運送出来る。
いや、収納魔法使いでもあるフロリアに軍事物資を目一杯持たせて、大鷲で運べば……。
多くの国の軍参謀や軍師を名乗る人々の間で、そうした夢想がなされていた。
しかし、彼らがクラーケン討伐の際のフロリアの作戦(多くの眷属である猛禽類による魔導具をクラーケンにぶつけて捕縛する攻撃)の方は、そうした参謀達の琴線には響かなかったのだ。
――唯一つ、グレートターリ帝国の参謀達を除いては。
彼らの組織の黎明期、グレートターリ帝国の初代皇帝であるスランマン大帝は転生人として、当時の腹心達には思いもよらぬ現代戦の戦術や武器を指導して、それが帝国最初期のライバルを屠るのにどれほど役立ったことか。
その武器の中には、実現できたものはいずれも多大な戦果を挙げたが、この世界の技術水準では実現不可能なものも少なくは無かった。その1つに"空襲"という概念があった。 人間とは空を飛ぶ生き物ではない。その常識の中で、いきなり空の上から爆発物を落とされるのは如何ほどの恐怖だろうか。
爆発物(爆弾)自体がこの世界には存在せず、大帝の指示による開発も、量産過程での爆発事故の多発によって、とても実用化にこぎつけることはできなかった。だが、一旦火が付けば長く燃え続ける油脂を化合した原始的な焼夷弾は実用化して、攻城兵器で飛ばして籠城中の城内に落とすという使い方で一定の戦果をあげたのだった
もっと実現困難だったのが、空を飛ぶ兵器である。例え原始的な焼夷弾でも、敵陣上空からガンガン落とせばどれほどの戦果があがったことか。この世界には空を飛ぶ敵を落とす武器などせいぜい弓矢か、攻撃魔法程度。それらの射程距離の上から焼夷弾を落とせば一方的に敵を殲滅出来る。
こうして"爆撃""空襲"という戦術が、グレートターリ帝国の代々の軍首脳部の脳裏には一種のロマン兵器のように刻まれて居るのだった。
そのある意味、絵空事の空襲がフロリアの従魔達は事実上この世に実現させて見せたのだった。
今回は、網状に広がる魔導具を落としただけのようだが、帝国の伝統的な武器である焼夷弾を数十の眷属達が上空から投下していったならば。
報告ではかなりの重量がありそうな魔導具を自在に落下させたという。攻城兵器で効率的に飛ばすために軽量化してある焼夷弾でも持ち上げることが出来るだろう。
グレートターリ帝国軍諜報部の西方地域における活動を統括うする"少佐"は、参謀からの「フロリアを確保せよ」との命令を受けるまでもなく、この猛禽類による空襲の実現性に気がついていた。少佐には、他国の軍事専門家でも気が付かないことに気がつけるだけの"素養"があったのだ。
そして、すぐに部下にフロリアの拉致を命じた。
「多少、手荒な手段を使っても構わぬ。今は他国のぼんくら共はあの娘の戦略的価値に気がついておらず、せいぜいが便利な伝令役程度に考えておる。だが、娘を自由に働かすことが大陸制覇の鍵にもなりかねぬことに気がつく国が出るとも限らぬ。今は一刻も早く、娘の身柄を確保することが第一である」
そのためならば、これまで営々と築いてきた、フライハイトブルク城内での帝国重宝組織が一旦、壊滅することになっても構わぬ。その程度の犠牲を払ってでも娘を手に入れなければならない。
最悪、どうしても手に入らぬようなら、他国に渡らぬように殺害せよ――少佐はそう命じたのであった。
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