第286話 迂闊な討伐
今にもフロリアの腕を掴んで外に引きずっていきそうな興奮度合いのファーレンティンであるが、さすがにそのペースに呑まれることはない。
「落ち着いて下さいな、ファーレンティン様。
まずは現地の状況を調べてからです。通信の相手は何と言っているのですか?」
このロビーに来るまでの間に、ファーレンティンがどうしても大鷲に乗りたいと言うのであれば乗せても良いが、人目につくところでは乗せない、ということでアドリアとの間で意見交換していた。
うっかり誰でも乗せるのだと思われれば、あのお嬢様だけではなく、乗せろという人間が殺到するだろう。そして空から下を眺めることができる、ということの可能性が周知されたら、特に各国の軍の興味をひくようになるだろう。
自陣に取り込もうという画策が今以上に激しくなるのはもちろん、敵に取られるぐらいなら……と暗殺者に狙われることも考慮しなくてはならなくなる。
大魔導師ファーレンティンは、化かし合い、騙し合いの政治の世界でも生き延びてきた男でしっかりとその事に気がついて居ながら、フロリアが狙われることに無神経……というよりも、自分の政治的勢力の中に完全に取り込んでしって他者を全部排除すれば良いだけの話だ、と高を括っているのだった。
やむを得ない。人目の少ないホテルの裏庭からでも飛び立とうか……。
***
焔の魔導師のリーダー・アンガスは追い詰められていた。
珍しい魔物――クラーケンが出現したという噂を聞いて、飼い主のティベリオと共に漁村を訪れたのだが、その時には目当ての1つであったマジックレディスとエンマは帰った後であった。
アンガスはそれを聞いて残念ではあったが、少し安心する気持ちもあった。
普段はフライハイトブルクで活動しているだけにマジックレディスの噂は聞いている。もちろん、それと対決することになることを怯むものではないが、やはりどこか気が重い。元々、エンマを狙っていたのも、マジックレディスから外れてソロで活動をしていたから、という面が大きい。
岸に集まって、海を眺めている連中の中には地元の漁師の他に、ポートフィーナの重鎮達や冒険者ギルドの連中もいた。
マジックレディスが朝一番でやってきて(どうやって、クラーケン出現の情報を聞きつけたのだろうか?)要救助者の救出はしたが、それで引き上げて、クラーケン討伐または撃退については、条件を充分にととのえてからということになったと聞いて、アンガスは「それはそうだろう」と思った。
相手は準備不足であろうとすぐに対処しなければ、人的物的被害が広がるタイプの魔物ではなく、海に漁にでなければ被害はでない。
もちろん、ずっと漁が出来なければ経済的な損失が無視できなくなるが、危険を冒してまで大慌てで対処するような性格のものではない。
だから、「俺たちも様子が判ったので町に戻ろう」と提案しようと思っていたところ、お坊っちゃまのティベリオがとんでもないことを言い出す。
冒険者ギルドのギルドマスター達に対して、
「私はフライハイトブルクの議員モンテッキ家の嫡子、ティベリオである。この度は魔物の害に遭われた皆さんにお見舞いを申し上げる。
マジックレディスとやらは、何やら理由をつけて怯んでいる様子だが、私と親しい冒険者パーティ「焔の魔導師」達は精強にして勇猛果敢、必ずやクラーケンを討伐してみせようではないか!」
と宣言してしまったのだ。
相談もなしにそんなことを言い出したティベリオに、アンガスは足元が崩れていくような気がしたものだが、せっかくのパトロンを喜ばせるために、普段から吹きまくっていたので、今更、海の魔物には対応出来ない、とは言い出せなかった。
「そうだろう、アンガス。そなたの焔ならばクラーケンごとき、あっという間に焼きイカにして見せるだろう」
「も、もちろんです、ティベリオ。ただ、残念ながら、ある程度近づかなくてはなりません。海の上で近寄る方法が無いのが無念の極みになります」
「ああ、それだったら、俺の船で近寄りゃあ良いじゃねえか。仲間の仇をとってやる!!」
先程、マジックレディスに突っかかった漁師がそう言い出す。
もちろん、他の漁師が「あぶねえからやめろ」「網元さんが良いっていうまで、海に出るなって言っていたのを忘れたのか」など止める声が上がる。
しかし、「マジックレディスに頼めば、みすみすバカ高けぇ依頼料をぼられるのが判っていて、そっちに頼むなんて馬鹿見てえじゃねえか」という声もあった。
「おお、そんなに高額の依頼料を、お困りの皆さんから取ろうというのですか!! 我々は、皆さんの為に格安で受任しましょう。……そうですな、5銀貨程度で如何ですかな!」
「え、ちょっと」
慌ててアンガスが止めようとしたが、皆の注目を集めて良い気分のティベリオはさっさと本当に格安の依頼料を口にしたのだった。
先程、フロリアが気楽な遊覧飛行をするとしたら30分銀貨1枚と考えてたのに対して、こちらは4人がかり、命がけの戦いで銀貨5枚である。
完全に割に合わない仕事であるが、名門一族の御曹司が大勢の前で堂々と口にしたからには、それをひっくり返すことなど出来ない。
そもそも、アンガスはマジックレディスの存在は嫉妬と羨望から大嫌いであったが、この魔物への対応については、当然というか、もっと慎重でも良いぐらいだと思っていた。
いくら魔法使いでも水棲魔物、海棲魔物を相手にするのは困難なのだ。空を飛ぶ魔物とどちらが厄介だろうか。近づくのが困難な相手というものは、それだけで難敵なのだ。
充分な準備が必要であり、従って依頼料は高価になるのは当たり前なのである。
冒険者ギルドの連中ならば、それは判っている筈なので、せめて止めてくれないか、と思ったのだが、職員は何故か様子見を決め込んでいる。
太っちょのギルドマスターなどは、またわざとらしく両手を叩いて、「おおっ! 新しい英雄の登場ですな。これはありがたい! ぜひとも、クラーケンの討伐をお願いしたい!」と叫びだす始末。
さらに致命的なのは、フライハイトブルクから来たらしい錬金術ギルドのかなり高位の職員まで、焔の魔導師の壮挙を称えて、今すぐの討伐を後押しするような発言をしたことだった。
彼らは、師のファーレンティンの薫陶よろしく、別に良く知らない冒険者が少しぐらい死んでも、それで生きて動くクラーケンの観察ができるのであれば、その方が良い、ぐらいにしか思っていなかったのだ。
こうして、あっという間に焔の魔導師たちは、船頭と合わせて5人乗ったら一杯になるような小さな船で、クラーケンの海へ乗り出したのだった。
焔の魔導師リーダーのアンガスはもちろん、メンバーのヘレフォード、ブラーマン、ブランガスの3人も顔色が紙のように白くなっていた。
彼らは辛うじてアンガスはそれなりの魔法使いであるが、残り3人はアンガスが偉そうに威張り腐っていられるような相手……すなわち、魔法使いと魔力持ちの境界線上にいて、辛うじて魔法使いと言えなくもない、程度であったのだ。
メンバーを魔法使いで固めるあたり、アンガスもマジックレディスの成功を意識していたのだが、何しろリーダーの魔法使いとしての格の違いから、こういう仕儀になったのだった。
これまで、なまじリーダーの言いなりになっていて、実力相応の冒険者活動をしてこなかっただけにここに来て、いわば2階に上がってはしごを外された状態になり、沖に出るに従って震えが止まらなくなってきていた。
アンガスとしても手下には絶望している。
"くそ、こいつらじゃ当てになりそうにない。このままじゃ、船の上で漏らすんじゃねえか? こいつらがこんな風だからエンマを狙っていたってえのに。
仕方ねえ。いざとなれば、こいつらを餌代わりに海に投げ入れて逃げるか。
それにしても、あのバカ坊っちゃんにはほとほと愛想が尽きた。確かに金持ちだが、あんなのに付き合っていたら、命が幾つあっても足りねえ"
「ぼうっとしてるんじゃねえぞ!! そろそろ、このあたりぐらいの深さがあれば、クラーケンは活動できるぞ!」
漁師に怒鳴られて、慌てて集中する。
「まだ、岸が充分に見えるじゃねえか!? こんな近くに出るっていうのか?」
「以前に出た時にはこのあたりまで近づいて、養殖していた貝類まで全滅したって、ご隠居さんが言ってたんだ! 養殖は時期になったらこのあたりに筏を並べてやるんだ」
「そうなのか」
"くそっ! こんなに近いと、丸見えだ。
浜沿いの建物の上に登って眺めている連中からだと、よく見えるだろうな。ここで出やがったら、逃げるに逃げられねえじゃねえか!"
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