第250話 宿にて
アドリア宛に来た書簡等は、アドリアやルイーザが判断すれば良い話でフロリアが頭を悩ます問題ではなかった。
問題はフロリアを名指しで送ってきた連絡状である。
差出人はやはり、バルトーク家家宰の準男爵になっている。
内容は、挨拶など抜きで、フロリアが速やかにキーフルに来なかったことを責める文面から始まっている。そして、式までの日程が差し迫っているので、当日のお役目等の打ち合わせを急がねばならない、新市街のバルトーク家屋敷までただちに赴くように、という命令口調で締めくくられていた。
これはつまりバルトーク家の家臣なり領民なりに宛てて、何事かを通達する形式になっているということである。
フライハイトブルクに送ってきた時には、一応は招待状の体裁をとっていたのだが、この町まで来たことで、この準貴族は「フロリアは自分(バルトーク家)の威光に恐れ入って、その末端に加えて貰う為にやってきた」と判断したものとみえる。酷く高飛車な内容なのは、新入りには最初に礼儀と序列を教え込もう……という訳である。読んだフロリアはちょっと不快感を覚えた。
「まあ、この手の勘違いはよくあることだけどねえ」
とアドリアは眉をひそめる。
自己の力のみで世の中を渡っていけるだけの実力のある魔法使いにとっては、搾取されるばかりで自由も碌に無いような、貴族家の家臣に取り込まれる道など、最悪の選択でしかない。
そんな当たり前のことであるのに、ともすれば貴族家の中には、平民出身者を家臣として取り立てると申し渡せば、涙を流して有難がると勘違いしている者が少なからず居るのだった。
それも貴族当人よりも、それにぶら下がっている一族の末端とか、家臣とかにそうした勘違いをしている者が多い。
彼らにとっては貴族制度という社会システムに自分のアイデンティティが寄りかかっているので、その制度を有難がらない者がいるということ自体、許しがたいことであるし、頭では判っても心が理解を拒むのであろう。彼ら自身の存在そのものを否定されているのと同じであるから。
間の悪いことだが、そこまでの実力の無い魔力持ちや低レベルの魔法使いの中には、その貴族階級の端っこに自分の居場所、安定した身分を確保することを有難がるような風潮もあるのは否定できない。
だから、彼らの思惑に逆らって、冒険者や独立した錬金術師の道を選んだ魔法使いは、こうした貴族の端くれからも酷く憎まれることになる。
今回、この準男爵の家宰の書状がこうした形式になっているのも、歪んだ優越感が家宰から冷静な判断力を奪った結果なのであろ。
アドリアを始めとするマジックレディス一行はそうした憎しみに晒されることにはもう慣れっこになっているとは言え、やはり気分の良いものではない。
「こんな手紙、放っておいて、明日は遊びに行こうよ」
モルガーナはテーブルに置かれた書状を睨みつけながら、フロリアに言う。
「幾ら、あまり外に出歩くなって言ったって、宿に居たらこんなのがじゃんじゃん送られてくるだけだよ。終いには、伯爵家から直に使いも来るだろうし。騒ぎを起こすだけじゃない」
「これはギルドに回しておけば良いでしょう。それでじゃんじゃん来るなんてことにはならないですよ」
ルイーザが、フロリアの代わりに答える。フライハイトブルクでギルドの依頼でキーフルに行く代わりに、特にバルトーク家の家宰には圧力を掛けて、フロリアへの無謀な接触を控えさせるという約束を結んであったのだという。
アドリアが、朝方にギルドに顔を出した時に、いつの間にやらギルドの受付嬢から伝言を受け取っていて、それに寄ると、フライハイトブルクに来た招待状はバルトーク伯爵の命令、許可なしに家宰が先走ったものであった、という調査結果を受け取っていた。
ギルドではすでに、これ以上フロリアに接触を図るようなら、家宰の独断を伯爵に苦情申し入れをする、と脅しまで掛けて居るのだという。
バルトーク伯爵その人は、幾ら武闘派とは言え、貴族らしく機を見るに敏なところがあって、他国の、それも経済でシュタイン大公国に対して影響力を持つ自由都市連合の翼の元に逃げ込んだ魔法使いをそれ以上追い回すことは、事実上諦めていた
大公国内での伯爵家の政治的ライバルとの駆け引きもあって、ここでフロリアに固執してフライハイトブルクとの関係が悪くなると、政治的に失点したことになるのだ。伯爵は優れた魔法使いは欲しいが、そこまでの価値をフロリアに認めてはいなかったのだ。
ところが、この出世欲に燃えた家宰は、お館様が諦めた今こそ、自分の活躍でフロリアを手に入れれば、大きな手柄になるとばかりに動いたのであった。
それを冒険者ギルドから釘を刺されて、その時には家宰は青ざめた顔で何も言わずに横を向いていたのだが……。
「諦めきれなかったのか、ギルドに脅しを掛けられて逆に意地になったのか。
ま、どちらにしてもこれはギルドに任せれば大丈夫よ、フィオ」
アドリアは笑うと、
「さ、ご飯にしましょ。こんなものを見て、食欲を無くすことなんて無いわ」
と、皆を促すのであった。
***
食事の後、アドリアの部屋の方に押しかけて、明日はどこに遊びに行くか相談していたのだが、ルイーザから浮かれて遊ぶのは良いが、特にフロリアの身の安全は考えなくてはならない、という注意が入った。
実際のところ、以前にベルクヴェルク基地で作ったペンダントのお守りもあるし、フロリア自身の魔法の能力、そしてトパーズの存在まで考えれば、そこまで神経質になることも無いのだが、これもフロリアを心配してのことなので、あまり軽い対応もしにくい。
ところがアドリアが、「それなら心配はいらない」と言い出した。
「フロリア専用の護衛をつけてもらうことにしてあるよ」
「え、いつの間に?」
「フライハイトブルクを出る前に、フロリアを人目を惹くために使うのなら、きっちりと安全を確保する方策を考えてくれ、って頼んであったのさ。
すでに冒険者ギルドの方で、護衛の冒険者パーティを選んであるから、明日の朝、この宿に来るよ。宿の中では護衛は無いけど、フロリアが町を出歩く際には同行するから。
ま、鬱陶しいとは思うけど、我慢しなきゃ、だね」
フロリアの役目は、冒険者ギルドの国際本部が察知したという"敵"の注目を集めることであるので、宿に籠もりっぱなしではその役目が果たせない。
適度に出歩くのも仕事のうちなのだ。
ギルドでは、直接フロリアに害をなす危険性は低いと見ているようだが、これでフロリアに万が一の事があれば、マジックレディスのギルドに対する信頼関係が崩れてしまう。
多少の出費は覚悟の上なのだろう。
明日の見物コースは、マジックレディスの面々にとっては何度も訪れた場所だが、内陸部ならではの食事が出来る店や、遠く北方の物産が置いてある店などを回ることにして、その日は寝ることになった。
「昼間、ぐっすり寝たけど、昼夜逆転の生活を戻さないと、明日買い物の途中で眠くなると困りますよ」
ルイーザの言葉で早々に解散した。
今晩は、みなフロリアの亜空間には入らず、それぞれの部屋で眠ることになった。亜空間の方が、もやは気楽であるし安全でもあるのだが、モルガーナもソーニャも敢えて、ルイーザの言葉に反対しない。
もう何日もパーティメンバーが一緒に就寝時間を過ごしている。大人2人は"そういう関係"にあるので、そろそろ2人きりにしてあげなければならないのだ。
フロリアは最初、分からなかったが、以前モルガーナ達に耳打ちされてから、時折りそういう時間を設けることに納得するようになった。
フロリアは、モルガーナとソーニャと同じ部屋で横になっていた。この2人は、アドリアとルイーザの2人と同じ様な関係があるのか無いのか……。今ひとつ、フロリアには判然としない。あけっぴろげなようでいて、意外と用心深くもある。
たっぷり寝たからもう寝られないと言っていたモルガーナは、部屋を暗くしてベッドに潜り込むとすぐに健康的な寝息を立てる。しばらくするとソーニャも同じように寝込んだようだった。
マジックレディスのメンバーは熟睡していても、他人の悪意や害意が接近するとすぐに目を覚ます程度の感知魔法を常時発動出来る。
絶対安全な亜空間に頼れない時でも、トパーズはもちろん、ニャン丸や蔓草の護衛を用意出来るフロリアが、この手の魔法では一番遅れているのだった。
フロリアはベッドに静かに横になって、セバスチャンを呼び出して、ネズミ型ロボットの捜査の結果を聞いていた。
現在、古都キーフルには、各国の密偵組織が入り乱れて諜報戦を繰り広げているが、その中でも特に活動が活発なのが、シュタイン大公国の軍の諜報部である。
「ヴィーゴさんのところね」
「はい。各大物貴族や王族の組織もちらほら動いていますが、やはり軍の動きが抜きん出ているようです」
軍の密偵組織の目的は分かりやすく、皇太子の婚礼の安全を確保すること。活発に動いていても、別に不思議はない。
そして、フライハイトブルクの密偵。こちらも活発に動いているが、やはり重要な商売相手が政治的不安定な状況になることを好んでいない。治安維持に積極的に寄与する訳ではないが、それを乱すことを画策している勢力を調べている。
せっかく、陽動を買って出ているのだから頑張ってもらいたいものだ、とフロリアは思った。
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