第229話 船着き場
改装工事の下見に訪れた大工の棟梁に、新しいトイレの設計図を見せると、その詳細さにひどく驚かれた。
フロリアの前世はただの女子高生で、もちろん作図などやったこともないのだが、この世界に来てから、アシュレイと共にゴーレムの設計でずいぶんと仕込まれたのだった。
また設計図が描かれた紙も、棟梁から「いったいどこで買ったんですか?」とずいぶん追求されるほどだった。
しかし、何より不思議がられたのは、トイレなのに、排水溝が無い、ということ。汲取式でもないし、これだとすぐに溢れてくるのでは? という棟梁の質問に、自作の排水タンクを用意するのでこのままで良いのだ、と返答した。
普通ならこれで納得して工事を引き受ける大工はいないが、アドリアが「この娘の言う通りに工事してくれ」と言うと、そこはSランクの冒険者、稀代の魔法使いの威光で納得させてしまったのだった。
何しろ、自由都市連合でも最高レベルの魔導具の町ジューコーの工房に伝手があって、馬車を始め様々な魔導具を持っているという噂だ。きっと何らかの魔導具を使うのだろう、と思われたのだった。
工事自体は2,3日ですぐに終わり、フロリアの指示通りにベルクヴェルク基地製の特殊収納袋というべきか、排水タンクを埋め込んで完成した。
「これで、この家ももっと快適になったぁ」
モルガーナの無邪気な喜び具合に、使用人たちは不思議がったが、実際にトイレを使ってみて、すぐに皆、納得したのだった。
そんなこんなで、パーティホームにもすっかり馴染んできたフロリアだが、仕事の方は何回かマングローブ林に採取に行った程度であまり働いているとはいえない。
成年の冒険者パーティに加わっているとは言え、未成年の見習いメンバーである限りは、ギルドの規約上、パーティの雑務や下働き程度しか出来ない。
採取行でも危険な場所には入れず留守番したり、戦闘になった時でも後ろに控えていて、加わってはいけない、などの制約がある。
実際のところ、その制約は比較的空文化していて、特にその未成年が魔法使いともなると誰も守っているなどと思わないのだが、やはりあまりにあからさまに破るわけにも行かない。
なので、これからパーティがモルドル河の船着き場の少し上流に河ワニの群れの駆除を引き受けて出かけることになり、おそらく数日間の間は、まるっきり暇になってしまったのだ。
今回は小舟に乗って少し河をさかのぼれば現地なので、雑務係の登場する余地が無いのだ。
フライハイトブルクからでは、薬草採取の出来る森は一番近くても日帰りは無理。マングローブ林は1人ではカヤックを漕ぐのと採取の両方は出来ない。トパーズに人型に変化して貰えば可能だが、見習いとは言えマジックレディスの一員はおもったよりも注目を集める。正体不明の人物と一緒に居ると要らぬ詮索を招きそう。
そもそも、あそこは集団で行くべき場所だろう。
そうなると未成年の冒険者が出来る仕事といえば町中で使い走りをしたり、一日限りの屋台の売り子をしたり……といったところなのだが、これまた以前からアドリアにその手のことは止めておいてね、と言われている。
マジックレディスの名前は、悪意を持つ者の手出しを控えさせる程度には重みがあるのだが、逆にマジックレディスに加わるほどの魔法使いなら無理してでも確保したいと考える人間もまた生み出すのだ。
特にフロリアの見た目はどう見ても強そうではない。魔法使いは見た目や年齢ではない、とはよく言われることだが、魔法使いの金銭的価値に目が眩むと……。
アドリアは、トパーズも付いていることだしまさかフロリアが誘拐されたりはしないだろうとは思っていたが、悪知恵だけは働く商人に騙されたり、他国の貴族の息の掛かった誘拐犯を相手にやりすぎて難癖をつけられたり、という可能性を心配していたのだ。
かと言って、パーティホームに閉じこもったままというのも面白くない。
いっそ、パメラおばさんには近場に数日間の旅に出るといって、ベルクヴェルク基地に行こうか、と思っていたら(亜空間に籠もると言えば、アドリア達は納得するだろう)、カーヤとロッテ、オーギュストが遊びに来た。
路銀も稼げたし、フライハイトブルクも十分に堪能したので、そろそろ国に帰ろうかと思って挨拶に来た、ということだった。
マジックレディスは出かけるところで、それなら船着き場まで一緒に行こうか、という話になった。
すっかり仲良くなった、使用人の子どもたちにお菓子を渡したり、パメラおばさんに挨拶をしたりと一通りの用事が済むと、カーヤとロッテにどうせなら船着き場まで一緒に行こうと言われ、すっかり彼女たちとも仲良くなって別れを惜しんだフロリアはそれなら、とばかりに行くことにした。
フライハイトブルクのモルドル河の船着き場は、町にとっては外洋からの船が着く波止場と並んで大事な拠点になる。
モルドル河の河運によって、物資がフライハイトブルクとシュタイン大公国の首都キーフルの間を行き来して、さらに大陸中に広がっていくのだ。
それだけにとても巨大な船着き場で、そこが平たい川船が数十艘も並んで係留されていて、陸では大勢の人夫やゴーレムが荷揚げ、荷降ろしをやっていて、商人達や船乗りが行き来し、乗り合い場では貨客船を待つ乗客達で溢れている。
上流を目指す商人、冒険者、貴族とその従者、軍人……。そうした人たちを相手にした物売りの声。
フロリアはこの町に入る時には、陸路を通って街道から入ったので河運の船着き場に来たのは始めてである。
下手をすると、迷子になりそうなぐらいの混雑ぶりで、それだけに質の良くない者も少なからず混ざっている。
だが、そうしたチンピラに絡まれた時に逃げ場の無いような屋台の売り子をするのとは違うのだから、アドリアもそこまでフロリアのことを心配している訳ではなかった。
パーティホームに帰るのは1人になるが、そもそも1人で何カ国も旅をしてきたのである。いざとなればトパーズも居るのだし。
スリや人さらいの類いがフロリアを狙うにしても、その1人の帰り道だろうから、他のメンバーやオーギュスト達と一緒にいる今は、祭のような賑わいを楽しむのであった。
いろいろな町の市場などで良くない連中に狙われてきたフロリアであったが、それでもこの独特な賑わい、混雑ぶりは嫌いにはなれなかったのだ。
オーギュスト達は、とても川船とは思えないほどの巨大な貨客船に乗客として乗り込む。
「みんなぁ、ありがとー。また、会いに来るねえ。フィオちゃんもヴァルターブルクに来る時には連絡してねー」
カーヤ達は船に乗り込んでも、岸壁のフロリア達に最後の別れの声を掛けるのであった。
そして、大きな船はなめらかな水面を河の中央に向けて進み、船首を川上方向に転換させる。船は風向きの良い時に使うために3本マストの大きな帆を持っているが、主要な動力は魔導エンジンであった。河を遡る時には船尾につけたプロペラを魔晶石エンジンで回転させて動力を得るのだった。
このエンジンも七大転生人の1人である、敷島博士が原型となる魔導具を作って、それが普及して改良を加えられて今日の形になったのだった。
エンジン誕生前は、下りは流れに任せれば良いのだが、川上りは流れが緩やかな場所では竿や櫓を使ったり、風向きが良ければ帆を張って動かすことが出来たが、たいていは陸で曳舟をしなくてはならず、ということはモルドル河ほどの川幅があっても船を使えるのは川の端の方だけ。船の大型化にも限度がある。
その状況が続いていたら、今日のモルドル河川運の隆盛は無かったであろうし、同時にフライハイトブルクの勃興も、キーフルの旧キーフル王国時代から連綿と続く繁栄も無かったであろう。
どちらかと言えば暴れ川に近かったモルドル河を現在のように整備した、大建築家フランク・ライトは、キーフルの人間であったが、フライハイトブルクにとっても大恩人の1人だと言えるのだろう。
自力での遡行も可能な大型の川船を開発した敷島博士と同じく。
船が岸壁を離れると、マジックレディスの一行はすぐにその場から、今回の依頼主である船着き場組合の事務所に行く。
別れが多い冒険者稼業らしく、切り替えは早いのだ。
船着き場組合の事務所は、大型船の船着き場の近くにあった。
乗客用の待合室とは別に貨物を一時保管する屋根のある建物の一角、税の処理をしたり、船乗り達の管理を行う事務所があった。
これは後で知ったことだが、結構船乗りや港湾労働者が多い場所は、あまり女性が立ち入るべきところでは無かったのだ。いや、完全な肉体労働ではないゴーレム使い(前世でいうところの重機オペレーター)や船乗りでも高級船員になれば、それほど危ない連中ではない。逆に借金奴隷(犯罪奴隷はこんなところにはいない)も多いが、彼らは完全に管理されているので、他者にちょっかいを掛ける自由などない。
問題は、奴隷身分まで落ちていないが、給金を酒と博打と女にすべて使い込むようなその日暮らしの労働者で、貨物の荷揚げ荷降ろしをする場所には、そういう連中も少なくはない。
「フロリア。あんたはここから帰りなさい。帰りは十分に気をつけてね」
そういう事情を知っているアドリアは、一番年若い見習い冒険者をここで帰すことにした。
アドリア姐さんともなれば、そうしたちょっと治安の悪い場所でも平然と分け入って行けるし、その無言の迫力にちょっかいを出すチンピラまがいの者などいない。
むしろ、荷主である商会の番頭や手代も来ているのだが、そうした連中が少しでもお近づきになろうと寄ってくるのが鬱陶しいぐらいであったのだ。
帰りは、フロリア1人になってしまうが、それは最初から判っていたので、以前にベルクヴェルク基地で作った、服自体に隠蔽魔法と偽装魔法を施したマントを着込んでいる。道行く人はフロリアの存在自体は認識して、ぶつかりそうになれば避けたりするのだが、"なんとなく"悪意をもってこの娘を見ることができなくなってしまうのだった。
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