第204話 金色熊2
このあたりの森は、フロリアにとって懐かしいヴェスターランド王国のアオモリのあたりと違って、あちこちに灌木の茂みがあって見通しが悪かった。
アオモリは寒い場所にあるし、針葉樹林だったのでかなり見通しが良かった。
この森は常緑樹の広葉樹林なので、比較的見通しづらい上に茂みも濃い。
ただ、フロリアは森歩きには慣れていたので、特にマジックレディスの一行に遅れるようなことは無く、順調に森の奥に歩みを進めていけたのだった。
もうトパーズも自分の存在がバレてしまったのだ、影に潜むこと無く、自由に歩き回っている。
たまに駆け出したかと思うと、すぐにツノウサギや鳥を加えて帰ってくるが、まだマジックレディスのことは全面的に信じてはいないようで、あまり遠くまではいかないので、いつものように首輪の収納にいっぱい獲物を獲ってくるということは無い。
それでも、モルガーナなどは「これだったら、食事にこまることはない。ベンリィ」と感心している。
その日は数回の休憩をとった以外は歩き通しで、ずいぶんと森の奥まで進んだ。
フロリアの探知魔法だと、数キロも離れた場所に小さな魔物や野生動物の気配は有るものの、大物は感知できない。
人間の気配は、やはり数キロ離れたところで数名の気配があったのだが、あたりが暗くなってくる前には探知限界を超えたらしく、後はこの一行の気配しか無い。
マジックレディスも暗くなってからの野営の準備は危険ということで、日没までまだ30分以上もあるのだが、その時点で適当に広く開けている場所を見つけて、準備を始めた。
さすがに各人が収納袋を持っているだけあって、すぐにやや大きめのテントが2張り出てきて、設置作業に移る。
この世界のテントは、前世のキャンプ用品とは違って、テント1つにしてもずいぶんとかさばる。防水布が分厚くて重たいのが原因なのだが、そのために通常の冒険者はテントを持参することなど出来ない。
せいぜいマントに包まって野宿するしか無い。そのため、北の方の国では冬場になると、雪の季節になる前から、日帰りが出来ない採取や討伐をする者はほとんどいなくなったものである。
シュタイン大公国はだいぶ南下してきているのだが、やはり大陸の平原部の気候ということで冬場は冷える。
すでに12月も後半に入っているので、テントがあるとは言え、やはり野営は辛いものがある。
焚き火を熾すが、肉を焼いたりはしない。匂いにつられて、夜中に魔物が襲ってきてはたまらないのだ。
夕食はパンとスープを温めたものであった。
それでも町で作って、ここまで鍋に入れたまま収納で運んできたスープは具もたくさん入っているし、しっかり味付けがされていて美味しい。
パンも歯が痛くなるような硬く焼き締めたパンではなく、白く柔らかいパンである。
彼女たちが持っている収納袋は、フロリアの収納魔法のように時間停止されることはないのだが、外の10分の1の速度で時間が経過する。
3日間保つ食料ならば、収納袋に入れておけば30日間は腐らないという訳なのである。
この世界の住民は醗酵や腐敗について「微生物」が原因であることを知らない(フロリアは前世で習った筈だが、すでにすっかり忘れている)。
なので、収納袋の中でも一定の日数が経過したら食べ物や討伐した魔物の素材は腐るという事実と、収納できるものは「生きていないものに限る」という事実とは矛盾があるのだが、フロリアとすれば忘れているので疑問を感じていない。
以前に、ビルネンベルクの商人のハンスさんに収納スキルを付与した小さなポーチを作って贈ったことがあったが、もし疑問を感じていたら、フロリアはそのポーチを作ることが出来なかったかもしれない。いや、その前に自分で自分の収納魔法が使えなくなるのかも知れなかった。
食事を終えて、焚き火を囲んで、しばらく皆で話をした。モルガーナが中心になって、マジックレディスの冒険譚を面白おかしく、フロリアに語って聞かせるという会になった。
アドリアにしてみれば自ら勧誘するよりも、年齢が近く明るい性格のモルガーナが勝手にアドリアがして欲しいことをしているので、それに任せるのだった。
ある程度、夜が更けてくると早めに寝て、翌朝に備えることになった。
焚き火は一晩中絶やさずに焚いて、交代で不寝番をするのが、マジックレディスの野営のやり方であった。
最初はルイーザから。
フロリアは不寝番の割当は無かったが、それでは申し訳無いと言うと、だったらトパーズを不寝番代わりに貸してほしいと言われた。
「言われなくとも、この近辺から動かないから心配するな」
トパーズはそう言うと、地面に適当に丸くなる。
そういえばしばらくモンブランを召喚していないことも思い出したが、ここで召喚して自分の手の内を晒す必要はないだろう。本来ならモンブランならふくろうなので夜間の見張りはお手の物だが。
フロリアは、モルガーナとソーニャのテントで一緒に寝るように言われ、割りと広いテントなのに、モルガーナがピッタリとくっついてくるので苦しい。確かに弾力は十分ではあるのだが。
――日の出まであと2時間程度という時間帯に、しとしとと雨が降り出した。
雨は少しずつ強くなっていき、やがてはテントの防水布にあたる雨音でフロリアたちは目を覚ますことになった。
気温もかなりさがっていて、雪にはならなそうであるが、今日一日はかなり冷え込みそうである。
フロリアは収納から防水加工を施したコートを出して着込んでいると、アドリアが「良い服ね。それにフィオちゃんの収納は魔導具、スキル?」と聞かれたのでスキルだと答えると羨ましがられた。
アドリアほどの才能の持ち主でも、収納袋を買えるほど稼げるようになるまでは遠征のたびに、重たい荷物を背負って大変な思いをしたのだという。
テントから雨除けの布を伸ばして、その下で朝食になった。
やはりこの状況でも暖かい食事ができると言うのは、金持ちパーティのマジックレディスならではだが、フロリアにとってはなんとも我慢を強いられるものであった。
さらに出発前には交代で用を足すのだが、葉っぱが茂った樹の下であまり雨が当たらないところを探して行うにしても、傘をさすことも出来ず、濡れた地面にしゃがんで……というのはフロリアにとってはハードルが高かった。
もう我慢できない。
悪い人たちじゃないんだし、亜空間のことを喋っても、きっと黙っていてくれるよね。
影に戻っていたトパーズにそう囁くと、
「アシュレイはできるだけ黙っていろ、と言っていたな。だがこの先、このメンバーをずっと仲間にするのなら、亜空間を隠し通せるものではないし、隠しておくと不利益が大きすぎる。ここいらで秘密を明かしても良いのかも知れぬ。
……だが、仲間になると決めきれないのなら、まだ明かす時ではないぞ。
フロリア。お前次第だ」
という返答。
聖獣であるトパーズには、細かい人間の欲望やら感情の機微などは理解の範疇外であるが、フロリアに対し悪意を持つ人間の心の動きには非常に敏感である。獲物を狩る肉食獣の殺意と似ているからなのかも知れない。
雨は朝のうちはジトジトから結構本気で降り出してきた。
ベルクヴェルク基地謹製の防水布で出来ているだけあって、コートの中には水は侵入してこないのだが、湿気はいつの間にか体にまとわりつき不快である。
それでも、今のうちは大丈夫だが、また小休止の時間になったら……。
"そう言えばなあ、フロリア"
トパーズが静かに話しかけてきた。緊急事態でもないのにトパーズ側から話しかけてくるのはけっこう珍しい。
"アシュレイが昔、仲間と一緒にパーティを組んでいたのは知っているよな"
"うん"
"あのときの仲間のアドやオーギュスト、マルガレーテのことをアシュレイはずいぶんと信用していた。自分の秘密のすべてを話していたわけじゃないが、必要なことは包み隠さずに何でも話していたものだ"
そしてしばらく間をおいてから、
"アドリアは、アドとはまた違う臭いがする。どうしても私にも読みきれない部分が残っているのだ。だが嫌な臭いではない。あの女はフロリアを害する意図はないと思う。
ま、すごい秘密だという亜空間を知ったら、また違う臭いがするようになるやも知れぬがな"
――そして、金色熊に出会うこともなく、小休止の時間になった。
また交代で雨の中、用足しになるのだが……、
「あ、あの!!」
フロリアが叫んだ。
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