第200話 人喰い森へ2
フロリアの脚を考慮して、今回のマジックレディスは普段よりはやや遅めのペースで歩いていたとは言え、それでも大荷物を背負って移動する他のパーティよりはペースが早い。アドリアはフロリアがバテるようなら、ペースを落とすなり、予定よりも多くの休憩を挟むなりするつもりであったのだが、フロリアは特に苦しそうな表情を見せることもなく、マジックレディスについていけるのだった。
"1人で旅をしてきたというだけあって、見た目よりは体力はあるみたいね"
その点は安心したのだったが、実はフロリアには脚の痛みなどよりも、不安な問題があり、今はまだ差し迫っていないが、あと数時間もしないうちに切実な問題になるのは明白だった。
もちろん、宿を出る前にトイレは済ませてきたのだが、それからすでに2時間は経っていて、アドリアがいつトイレ休憩を宣言してもおかしくはない時間になってきた。
問題はどこで用をたすのか、という点である。
フロリアは一人旅の間はいちいち亜空間に戻って、中に設置した清潔で近代的なトイレで用を足していた。
それが、マジックレディスと同行するとなると、1人で数分間消える訳にはいかないであろう。正直、宿のトイレですら、フロリアにとってはちょっと……というレベルであって、この先、当分は木の根っこにでもすることになると思うとそれだけで滅入ってくる。
"いっそ、自分が亜空間持ちだということを、皆に話す。……いやいや、さすがにそれはありえない。この人達は悪い人たちじゃ無いみたいだけど、知り合って2日目なんだし"
おトイレの事まで考えないで、マジックレディスとの同行を承知したけど、やっぱり私はパーティを組むのではなく、ソロ活動が向いているんだ、この遠征が終わったら、また1人に戻ろう、とすでに心に誓うフロリアであったが、そんなこととは関係なく、前方でトラブルが起きていた。
「あれ、あの人達、絡まれてるみたい」
前を歩く2人組の女性が、後を追ってきた男性冒険者4名に話し掛けられているのだが、どう見ても女性側が嫌がっているようである。
「こんな目立つところでバカだねぇ。姐さん、ちょっと行ってきていいですか」
とモルガーナ。
「ふふ。人のことをすぐ厄介事に首を突っ込むと言う割りには、あんただって同じじゃないのかい」
「そりゃあ、姐さんの子分ですから」
「あ、どうやら必要ないみたいだね」
女性が何か言ったのか、いきり立った男性冒険者のうちの1人が剣を抜こうとする動作を見せたのだが、鞘を払う前に剣士の姿をした女性の疾風のような抜き打ちで腕を打たれたようだった。
男は利き腕を抑えたまましゃがみ込み、仲間の冒険者も剣の柄に手を掛けるが、女性剣士が攻撃の構えを見せると、腰が引けてしまい、怪我をした男を連れて、逃げていった。
「へえ。なかなかやるねえ。身体強化魔法を使ってるのかな?」
「ふーんだ。あのぐらいなら私の方がずっと早いよ」
「モルガーナ。確かにあんたの方が強いだろうけど、あんたは手加減無しにやりすぎるから。絡まれただけで相手を再起不能に追い込んでいたら、そのうち酷いしっぺ返しを喰らうわよ。あの男は剣の腹で手を打たれただけだろうから、しばらく痛い思いをするだけで復帰出来る。その程度に収めとかないといけないんです」
サブリーダーのルイーザもお説教をする。どうやらモルガーナは何度か、絡んできた冒険者をひどい目に遭わせたことがあるようだった。これだけきれいで、大きければ、それは絡まれることも少なく無いだろうけど……。
とばっちりで叱られた形になったモルガーナはしばらく面白く無さそうな顔をしていたが、すぐに気持ちを切り替えて、
「で、あの子達にも声を掛けちゃう? 魔法が使える女の子だったら、マジックレディス大増殖のチャンスじゃない? わたし、行ってこようか?」
「やたらと増やせば良いってもんじゃないの。フィオちゃんぐらいの魔力を感じるなら、見逃す手は無いけど、あの子達じゃあマジックレディスとしての依頼をこなすのは無理だと思うよ」
――という訳で、彼女たちに関わるのはやめるという判断を下したアドリアだったが、すぐにその判断を覆すことになった。
そして、今回については、絡んでくる男は適度に痛めつけて追い払う、という穏当なやり方が場合によっては逆効果だという結果になったのだった。
***
前を歩く2人組は森の縁に沿ってカーブする道筋から外れて、森の奥の方に曲がっていった。マジックレディスが曲がる予定の場所よりはかなり前の方なのだが、ここで曲がると森の深部まで入らずに、比較的浅いところで尚且つ薬草の自生地が適度に広がっているあたり――つまりは、初心者向けの地域に向かうことになるのだった。
これで、2人組とはお別れで、他に前後を歩いていた冒険者たちもちらほらと森の中に散っていき、マジックレディスの一行ぐらいしか居なくなっていったのだった。
「ここいらで、小休止にしよう」
アドリアが宣言して、一行は歩みを止める。
フロリアが朝から憂鬱に感じていた、おトイレの時間でもある。
いや、ここで我慢しても、何も事態は改善しないので、覚悟を決める必要がある。
少し森の中に入って、開けたところを見つけて、そこに皆で溜まっていて、1人ずつちょっと離れたところまで行って、用を足して戻ってくる、という野性的な方式である。
以前にヴェスターランド王国のビルネンベルクで馬車の旅をしていて、やはりトイレに悩んだことがあったが、あの時にはたいてい街道脇の休憩所で休んだので、個室に入るや、亜空間に移って用事を済ませて、すぐに個室内に戻るという方式が出来た。
でも、魔法使いが他に4人もいる状況でフロリアの気配が絶えたら、あっという間に大騒ぎになるだろう。
やむを得ず、皆とおなじようにフロリアも適当な木の陰にいって、しゃがんで地面の上に用事を済ます。
小さな子供の頃、父と2人で行商をしていたり、お師匠様と暮らす様になってからでも森の中に採取に出た時には、亜空間を使いこなせるようになるまではこんなふうであった。
それを思い出せば、別にこんなに嫌がることじゃないのに。
"大丈夫か? 心臓が踊っているぞ、フロリア"
"ト、トパーズ! こんな時に話しかけないでぇ"
途中で思いがけない邪魔も入りながら、どうにか終了し、水魔法と清浄魔法で清めてから、皆のところに戻る。
代わりにモルガーナとソーニャが行く。
先に終わらせていたルイーザが軽食の支度をしている。
下草の上にかなり広いマットを敷いて、その上に座れるようにしている。
籐製のバスケットの中にはサンドイッチや卵焼き、小さなトマトなどが入っている。
陶器の筒の中には飲み物も入っているらしい。
前世であれば、ありがちなピクニックのお弁当といったところなのだが、この世界では柔らかい白いパン、卵、生で食べられる葉物野菜やトマトなど、いったい幾ら掛かっているのかわかったものではない。
しかも、それを運搬できる収納袋。
さすがはSランクパーティとも言うべき贅沢である。
いや、たとえSランクパーティでもガサツな男ばかりだと、森へ遠征中の小休止など携帯した干し肉でも齧れば上出来、というところも少なくは無かったのだった。
モルガーナとソーニャが戻ってきたら、少しお腹にものを入れようというところで、フロリアはビクッと飛び上がった。
「気が付いたかい、フィオちゃん」
アドリアはすでに立ち上がって、右手の方を目を細めて見ている。遠距離が見える魔法でも使っているのだろうか。
「多分、さっきの女の子たちだ。ちょっと行ってくる」
アドリアがそう言ったときにはすでに走り出していた。
フロリアも立ち上がり、「ルイーザさん、すみません。私も行ってきます。まずいことになっています」と声を掛け、そのまま奥の手――風の精霊シルフィードによる超高速移動に移った。
後の方で、モルガーナが「ちょっとちょっと待って。もう少しで全部出るからあ」と叫んでいるのがかすかに聞こえた気がしたが、待っていられない。
あっという間に、魔法で身体強化して走るアドリアを滑空で追い越していくフロリアに、アドリアは信じられない、という顔をする。
目的地までは20秒も掛からなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。 200話を迎え、そろそろ書き溜め分が残り少なくなって来ましたが、尽きるまでは毎日更新を続けます。




