第199話 人喰い森へ1
翌日は生あくびを噛み殺しながら町を出発する羽目になった。
どうやらモルガーナは朝が弱いらしく、寝ぼけているのはいつものことらしい。
フロリアもちょっと辛そうにしている分まで、モルガーナの所為にされてしまい、それはフロリアも申し訳ないと思ったのだった。
フロリアが寝不足になったのは、ねずみ型ロボットの報告を受けて、ベッドの中で考えていたためであった。
ヴィーゴ商会、商会主のヴィーゴに会うのが、フロリアがこの町に来た理由である。
いつものフロリアらしく、どうするのかをあらかじめキチンと決めてから来た訳ではなく、そもそもヴィーゴがどこに住んでいて、どんな暮らしをしているのかすら前情報も無かった。
なので、ヴィーゴと接触するのか、接触してアシュレイのことを話すのか……など決めていなかったのだが、成り行きで接触はしてしまった。
それで、ねずみ型ロボットを使って軽く情報収集をする積りが最初の晩で、もう重要情報が集まってしまった。
そもそもヴィーゴがフロリアのことを知っていた(この国に来て、バルトーク伯爵領での話であるが)ことも意外だったのだが、ねずみ型ロボットはヴィーゴが大公国のスパイだという事実を突きつけてきた。
夜中に屋根裏のロボットに起こされて、念話で報告を聞いたのだが、この一晩の話を聞いただけでもどうやらヴィーゴは大公国の国軍の諜報部から資金を得て活動しているスパイだということは動かないらしい。
そうなるとフロリアにとって気になるのは、20数年前、アリステア神聖帝国に買い付けに来ていたヴィーゴ青年は、軍の任務として行動していたのだろうか、という点である。
2人を知るイルダ工房のイルダさんの話だと、お師匠様は本気でヴィーゴ青年を愛していた。その後、ヴェスターランド王国に亡命してからのお師匠様の生活は本人の僅かな思い出話やトパーズの話を聞く限りでは、愛や恋とは程遠いものであったようだ。
正統アリステア教の軛の下で、残酷で理不尽な運命に苦しんできたお師匠様の生涯でただ一度の本気の恋。
その相手が、"仕事"で計算ずくの行動をしていた、とは思いたくはない。
しかし、それをどうやって確認すれば良いのだろう。
しばらく考えた挙げ句、フロリアは自分が首都を離れている間もねずみ型ロボットにはヴィーゴの監視を続けるように命じた。
だが、彼らに出来るのはあくまで会話や行動を収集するだけで、ヴィーゴの心の中を分析する方法など無い。
当時の書類や何かが残されていても、ねずみ型ロボットがそれを探し出して回収してくることなど出来る訳もない。
たまたま、ヴィーゴが20数年前のことを述懐する事があれば、参考にはなるだろうが、そんな機会に巡り合うとも思えない。フロリアだって、お師匠様やベルクヴェルク基地のセバスチャン以外と前世について話をしたことなどほとんど無いのだ。トパーズには話しても、不死の聖獣には"前世"という概念すらわかりにくかったらしい。
こうして、昨夜はデータ不足で考えても答えのでないことを悶々と考えていて、いつしか眠りに落ちたのだったが、見事に寝不足気味になった。
それでも、3~4時間程度は寝られたので、まわりに迷惑を掛けることは無いだろう。
パーティは朝食は宿で取り、昼食はその宿で作って貰った弁当をアドリアが収納袋に入れるとすぐに出発した。
フロリアが町に入った大門は目指さずに、モルドル河の川船の着く波止場の近くの門から外に出る。
「目指す森は河の反対側なのだけど、橋を渡って旧市街に入ると、門までかなり遠回りになる上に、衛士の詮索が厳しくてね、冒険者には鬱陶しい場所なんだよ」
とのことであった。
波止場から門までは、様々な人やモノが流入してくるからだろうか、これまでフロリアが見てきた、様々な町の佇まいとは違う。
おそらくは教会だろうとおもうが、見たこともないデザインをした建物が建っていたりする。
「あれは西方アリステア教だよ」
とアドリアが教えてくれた。
「え、でも他の場所で見た教会とはずいぶん違うのだけど」
「ああ、南の方の土着の古い宗教がちょっとばかり混じっちゃっているんだよ。ま、建物の違い程度で、教えは西方アリステア教のまんまだから、私達にそれほどきつくは当たらないから、心配はいらないよ」
この世界では宗教は魔法使いに対して、辛辣なことが多い。なので、フロリアが"見知らぬ敵"を見つけたのかと心配しているのだと、アドリアは思ったらしい。
「フライハイトブルクに来れば、このキーフルよりももっともっと珍しくて、面白いものや人がたくさんいるよ。きっとフィオちゃんも楽しいと思うんだけどなあ」
すかさずモルガーナがフォローを入れる。
町の外の巨大な橋。
このキーフルは"橋の町"の異名もあるぐらいで、かつてフランク・ライトと名乗る転生人の魔法使いが渾身の魔力を惜しみなく注いで、広大なモルドル河に数本の橋を架けたのだった。
前世と比較するなら、中世の終わりから近世になりたて程度の科学技術力しか持たない世界なのだが、大きな町を囲む城壁や、この橋のような建造物など、魔法のちからが通用する分野では、地球の近世の文明レベルをはるかに超える成果を挙げていることが少なくない。
キーフルの橋の巨大さ、壮麗さは、前世で家族旅行で西日本に行った時に瀬戸大橋を見た記憶のあるフロリアの目にも十分に迫力満点に映っている。
下を川船が余裕を持って通れるようにかなり背の高い橋になっていて、それを馬車や徒歩で渡る人が豆粒のように見える。
ぐるりと橋の根本まで回って、それなりの通行料を払うと、マジックレディスの一行は歩いてその橋を渡る。
最初の10分ぐらいは橋を渡るというよりも坂道を登っていく感じで、その後は眼下に大きな湖ぐらいはありそうな川幅のモルドル河を渡って、今度はダラダラと続く坂道を延々と降りていくのだった。
***
首都キーフルで活動する冒険者の主だった仕事というと、キーフルから大公国各地、さらには他国への交易隊の護衛、この町へ旅する商人の護衛であった。
大動脈とも言えるキーフルからフライハイトブルクへのモルドル河の船運のルートは基本的に護衛は必要無かった。
向こう岸が見えないほどの大河を航行する船を沿岸から狙う盗賊はいなかったし、小舟で襲撃する海賊もどきも居なかったのだ。何しろ、警備の船も定期的に行き交っているし、いくら広いとは言え海と違って逃げ場には限界がある。
モルドル河を航行する船は、いくら美味しい獲物でも盗賊たちの手の届かない場所にあるご馳走みたいなものだったのだ。
そして、もう一つ。
町から半日ほども歩いた先にある、大きな森。
その森での討伐、採取活動である。
このあたりは大国の首都の近辺ということで、数百年来開発されて来たのだが、この森は女神アリステア様のお気に入りという伝説があって、手つかずで残っているのであった。
もっとも、そうした伝説が無くとも、この森が森としてそのまま残っている事による利益の大きさを考えれば、首都のすぐ近くにありながら公国が敢えて開発をしないことも頷けないではない。
この森は奥のほうまで行くと、人工的に栽培することが難しい薬草や、珍しい魔物がいることでも知られ、冒険者にとっては良い稼ぎになる森なのだ。
同時に、かなりの危険度のある森としても知られていて、常に一定の割合で被害者が出続けている「人喰い森」でもあった。
それでも「チカモリ」という名前をつけられることが多い、大きめの町の近くに残された森と同じように、浅いところは魔物もあまりでてくることはなく、初心者の冒険者や近くの農民などにとって良い稼ぎ場になっている。
マジックレディス一行と同じように、徒歩で旧市街から橋を渡って、この森を目指す冒険者パーティはそれなりに多く、今も一行の前後にはそれぞれ幾組かのパーティの姿があるほどだった。
彼らはどのパーティも数日の野営を前提に重たい荷物を背負っている。
そうした中、女性だけのパーティという点だけではなく、フロリアも含めて最低限の荷物しか持たないパーティというのはかなり珍しい存在であった。
いや、今回に限ってはマジックレディスだけではなかった。
前方にけっこう距離は離れているものの、まだ10代と思しき女性2人組がやはり森に向けて歩いているのだが、武器と防具程度しか身に着けておらず、やはりずいぶんな軽装であった。2人組の1人は剣を佩いているが、もう1人は自分の身長よりもやや長めの杖をついていて、いざという時にはそれが武器代わりのようである。
「ああ、如何にもな魔法使いの格好は場合によっては危ないんだけどなあ」
それを遠目で見たモルガーナは呟く。
「ま、フィオちゃんみたいに、そもそも武器も持たない、荷物も持たないで、町中を散歩してるみたいに気軽に歩くのもどうか、と思うけど」
いつも読んでくださってありがとうございます。




