第198話 旅館の夜
フロリアにとって割りと新鮮な発見だったのは、食事は食事そのものの味だけではなく、皆で楽しく食べるとそれだけでとても美味しく感じる、ということであった。
ベルクヴェルク基地での夕食は、高級温泉旅館の会席料理といった内容(お品書き)だが、素材の品質や調理のレベルは前世日本の最高峰と比べても同等から更に上であった。それに比べると、この首都の旅館はそこまでの料理ではなかった。
和食は和食だが、法事の後なんかで使われることの多い、ちょっと良い和食屋さんの会食といった感じの料理であった。
庶民にとっての"和食"は、前世ではいわゆるB級グルメなのだが、それとは一線を画してはいても、そこまで高級でもない、だからこそフロリアには逆にリラックスして味わって食べられるものであった。
前世ではお母さんに躾けられたので、お箸の使い方ぐらいは知っているのだが、この世界のフロリアの体は指がうまく動いてくれなくて、どうにか使えないこともない、程度であった。
お師匠様のアシュレイには練習しろと言われていたし、フロリア自身も前世の記憶の1つとして上手に箸を使いこなしたいという気持ちはあったのだが、滅多に使わないもので、それほど上手とはいかなかったのだ。
だが、この時にはそれが逆に功を奏した。
マジックレディスは4人とも元来、庶民の出なので、幼い頃に上流階級の嗜みとしての箸の使い方を習っていなかったので、やはりあまり上手では無かったのだ。
それでも、貴族や大商人、フライハイトブルクの町の議員などと食事をする機会の多いアドリアとルイーザはそれなりに使え、モルガーナはかなり自己流。ソーニャは生真面目な性格らしく、習った通りに使おうとして却ってぎこちない。
おそらく全く使えないのじゃ……と懸念されていたフロリアはごく当たり前の顔をして、それなりの箸使いをしていたので、モルガーナに突っ込まれる。
「フィオちゃんは田舎から出てきたばかりなんでしょ。どこで箸なんか覚えたの、ずるいなあ」
「あ、あの、これはおばさんが大人になった時に恥ずかしくないようにって教えてくれたんです」
「へえ。フィオちゃんのおばさんってお金持ち?」
「さ、さあ。若い時のことはほとんど教えてもらっていないので」
「まあ、確かに魔法使いの才能があるとわかれば、世の中に出れば、それなりの階級の人と付き合うこともあるでしょ。
それを見越して、教えてくれたんでしょ。おばさんに感謝しなくちゃね。
というか、モルガーナ。あなたはもうちょっとちゃんと食べなさい」
フロリアの従魔の前の主人が国王のパーティの一員だったと聞いたルイーザは、きっと上流階級出の魔法使いだったのだろう、と特にフロリアが箸を使えることに不審を抱かず、むしろ余計な詮索をするモルガーナを牽制するのだった。
この食事の席で、フロリアはマジックレディスの依頼に同行しないか、とアドリアに誘われた。
「もちろん、まだFランクのフィオちゃんに危ない真似なんかさせないよ。後ろの方で見てるだけになるだろうけど、それでもきっと勉強になると思うのさ」
彼らが本拠地のフライハイトブルクを離れて、このキーフルに来たのは、この町から徒歩2日程度で行ける森の奥に珍しい魔物、金色熊を狩るためであった。
フライハイトブルクの金持ちが、その熊の剥製を欲しがったのだそうだ。
「ま、金持ちの道楽だね。かなり悧巧な魔物だし、剥製にするためにはできるだけ毛皮を傷つけないように倒さなきゃならないから、私達に指名依頼があった、という訳なのさ」
「それに往復で他の魔物を狩れば、素材の買い取りでも稼げるしね。この地方の魔物の素材はフライハイトブルクまで持っていけば高値が付くことんだよ」
彼らは、普通の冒険者パーティではとても持つことが出来ない「魔法の袋」――いわゆる収納袋を各自が1つずつ持っているのだった。
特にリーダーのアドリアの持つ魔法の袋はちょっとした倉庫1つ分ぐらいの収納力がある、というもので、この袋だけで爵位1つ分ぐらいの価値はあるとまで言われるものであった。
こうしたものを購入できるということがマジックレディスのような魔法使いのパーティがいかに稼げるかの証明でもあり、逆に魔法の袋が買えるからこそ、さらにガンガン稼げるという意味にもなるのだった。
ご飯の後は各自、部屋に戻って、たらいのお湯で身支度をする。
彼女らは魔法使いなので、宿でお湯を買ったりせずに自分たちで出して、けっこうふんだんに使うのだった。
この世界では一流の宿であっても大浴場などは無く、個室の風呂もない。部屋にはシャワールームならぬ、床がタイルになっているたらい置き場があり、そこで体を清めるのが普通である。
いや、それさえ"並"の宿では中々設置出来ず、部屋の中で身支度するのが当たり前なので、身支度用のスペースがあるというのはそれだけで実は一流の宿ならでは、であったりする。
「フィオちゃん、それじゃあお姉さんと洗いっこしようかあ」
「止めて下さい、モルガーナ。これでフィオが逃げていったら、アドリア姐さんに〆られますよ」
ソーニャが素早く止めてくれたので大事には至らなかったが、モルガーナは割りと本気でフロリアと一緒にお湯を使う積りだったらしい。
身支度が済んで部屋に戻ると、肌着姿のモルガーナに「きれいな肌だねえ。髪もつやつやだし、いったいどうやってるの」とこれまた本気で聞かれる。
こちらの方はソーニャも気になるらしく、止めてくれないのでごまかすのに苦労させられた。
町にいるときでも何日も風呂に入れないのが当たり前の世界で、フロリアはほぼ毎日、亜空間でお風呂に入るし、以前は自前の、現在はベルクヴェルク基地謹製の石鹸やシャンプー、リンスでお手入れをしている。
年齢的にまだ皮膚が若々しく弾力がある、ということを抜きにしても、フロリアの肌や髪の色艶は、この世界の平均から群を抜いているのだった。
非魔法使いの一般人は、灯りの魔導具を買えるような金持ちは別として通常は、暗くなったらすぐに寝る。
しかし、ここにいるのは魔法使いが3人。モルガーナは身体強化魔法メインであるが、通常の魔法もそれなりに使えるし、ソーニャも同様である。
光魔法で遅い時間まで無料で部屋を明るく保つことが出来るので、彼女らはずっとお話をしていて夜更かしをしたのであった。
***
その夜更かしも、実は前世の日本人の感覚からすると実はそれほど夜更かしでも無く、10時過ぎぐらいには、2人とも寝てしまったのだった。
空いていたベッドを与えられたフロリアは、ベッドが堅くて寝心地が悪く、なかなか寝付けなかった。
もちろん、別にフロリアが予備の貧弱なベッドを与えられたという訳ではなく、この世界の一般的なベッド(というか、高級宿なので、庶民用としては結構良質な部類に入るベッド)なのだが、それでも普段は高品質なマットレスで寝ているフロリアにとってはとうてい納得出来る寝心地ではなかった。
"でも、亜空間に入って寝る訳にも行かないし。もし私が消えたら、大騒ぎになっちゃう"
"昔の冒険者をしていた頃のアシュレイは宿の寝心地に文句を言っていたことなど無かったぞ。あ、野営の時に木の根っこを枕代わりに寝ていた時には文句を言ったな"
"私はそんなの死んじゃうかも知れない……"
やっぱり、パーティメンバーの一員として活動するのは自分には無理かも知れない、とパーティとしての活動の初日が始まる前に懸念するフロリアであった。
"いっそ、亜空間に入れても良い、と思うぐらい信頼できる相手なら良いんだけど……"
これまで亜空間に入れたのは師匠のアシュレイと――あれは確かビルネンベルクの町の宿のお姉さんだったリタだっけ。ニャン丸がヘマをしたせいで1回だけ入れざるを得なくなったのだった。
でも、お姉さんは秘密を守ってくれたし、変な冤罪さえ吹っかけられなきゃ、今でもあのまんまビルネンベルクでブラブラしていたかも知れない。結構、薬草は種類も多くて、薬師になるなら悪い場所じゃ無かった。
そんなことを思い出していると、屋根裏にねずみ型ロボットが帰ってきたのを感知した。お隣のアドリアとルイーザを担当する組はすでに失敗して撤収してきたので、回収済みである。
ヴィーゴ商会を探っていた組は、フロリアにとってはかなり意外な情報をもたらしたのであった。
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