第197話 渡る世間はスパイばかり
フロリアが放ったねずみ型ロボットは、そのまま宿の屋根裏に潜む組とヴィーゴ商会を目指す組に分かれた。
屋根裏組はアドリアとルイーザの会話を盗聴しようと試みたが、部屋に入っていきなり、アドリアが屋根裏に気配を感じ探知魔法で探り始めたので、フロリアの指示通り、気づかれる前に撤収した。
それで、アドリアがフロリアと出会ったのは偶然ではなく、またフロリアが現在名乗っているフィオリーナが偽名で、トパーズのことやゴーレムを保有していることなどを把握しているという事実は、フロリアの元にもたらされることは無かったのだった。
ヴィーゴ商会組も、商会に用心棒として詰めている魔法使いの能力はそれなりに高く経験も豊富であったのだが、Sランクの魔法使い冒険者にはくらぶべくも無く、ねずみたちの潜入を察知することが出来なかった。
それでも長時間にわたり、商会主の執務室の屋根裏に潜まなければならない、としたら、発見されるリスクは高まり、まとまった情報は獲れなかっただろう。
しかし、その日の仕事を終えたヴィーゴは、自分の執務室の奥から地下室まで直行でつながっている秘密の階段を降りて地下室に向かった。この階段とその先の地下室のことは商会でも、ヴィーゴが深く信頼するごく一部の者しか知らない。
そしてその腹心たちも、ヴィーゴが政変などが起きた時に備えて作らせた逃亡用の非常口だという説明を信じていた。実際にはヴィーゴはこの秘密の部屋の奥で、裏の仕事の"つなぎ役"と接触を持っている。
もっとも、なまじ表の顔が"政商"として相当に知られる存在になってしまったので、今更"軍と関係がある"ということがバレても誰も意外に思わないだろうから、こうした接触を秘密にする意味がよく判らなくなっていた。
……。
「ええ、フライハイトブルクから来た魔法使いがこの町で見つけたという娘は、バルトーク伯爵家で、敵対勢力の陰謀を潰した魔法使いでしたよ。当人がそう認めていました」
「彼女は、バルトーク家の政敵が用意したゾルターンを簡単に排除している。ゾルターンは我々でもかなり処置に困っていたほどの腕利きであったのだが、それほどの魔法使いに見えたかね」
「私の目には可愛らしい少女にしか見えませんでしたよ。
しかし、フライハイトブルクの魔法使いは、Sランク冒険者で他者の魔力を推し量ることについても超一流です。彼女が入れ込んでいるということは、それだけの実力者だということになります」
「その少女が、自らヴィーゴ商会を訪ねて来たのは想定外ではあるが、悪い展開ではない。それに自由都市連合の魔法使いパーティが取り込みを試みているのは好都合だ。そのまま、皇太子妃様に接触すること無く、この町を出ていってもらいたい。
君は、それを後押しするように」
「承知しています」
ヴィーゴは余計なことを言わずに軍の繋ぎ役の言葉に従うことを約した。
下手に色気を出して、軍でこの少女を取り込もうと画策すれば、バルトーク伯爵家と軍との間に娘を巡って亀裂が入りかねない。
以前であれば、大公国の僻地のバルトーク家は軍事力は強大でも政治的には出し抜かれることが多く、中央の法衣貴族にとってはそこまで怖い相手ではなかった。
しかし、大公家の外戚となると事情が変わってくる。
せっかくフロリアを軍が取り込んでも、皇太子妃の護衛やお付きとして所望されたら、引き渡さない訳にいかなくなる。
小娘1人のことではあるが、ただでさえバルトーク家とその政敵との政治的バランスが崩れている現状で、さらにそのアンバランスを拡大しかねない要素は、大公国の安定を願っている軍の一部の勢力にとっては"邪魔者"でしかない。
もちろん、あのフランチェスカ嬢の呪いをあっさりと解呪したことに対しては、軍の諜報部でも驚きをもって迎えられていて、それだけの実力の持ち主を他所に追いやってしまうことを残念がる声がある。
本来であれば、フランチェスカ嬢の解呪はあくまでバルトーク伯爵家内部で処理すべき事柄であるが、その手に負えないようなら事態を拗らせないために、軍が伯爵家に気づかれないようにという声があって、軍のお抱え魔法使いが検討したのだが、解決策を見いだせなかったのだった。
それをあっさり解呪する少女……。
しかし、それも諜報部のトップにとっては、「だからこそ、今のこの国にとって不要な者なのだ」という評価なのである。
簡単に暗殺出来る相手では無いのは重々承知しているが、犠牲を顧みずにいっそ後顧の憂いを無くして置くべきではないか。そこまで秘密裏に検討していたぐらいである。
それが、都合の良いことにこのまま何事も無ければ、国外に出ていきそうな気配である。
しかも、自由都市連合である。彼らは商売こそすべて、という奴らで金儲けさせてくれる商売相手を力ずくで侵略しようなど考えることはない。
頭がコチコチの軍人はともすれば、自由都市連合を侮ることが多いが、諜報部では、特に"現場"のヴィーゴたちは決して自由都市連合を軽く見ることはなかった。
「あそこは何でも売るけど、喧嘩を売るような真似はしない。だからといって、買うのを躊躇うこともない」という訳である。
そして本気で戦えば、大公国軍よりも強いのではないか、とすらヴィーゴは考えていた。
「ともあれ、あのフィオリーナという娘がこの町を出ていくまで、十分に気をつけていてくれ。そのSランク魔法使いの後押しをしてやると良い。
……バルトーク家の人間が1人、フィオリーナに接触するために旧市街に来ているが、それもこちらで対応しておいた」
「ほう。そんな人間を持っていたのですか、あのバルトーク家が?」
「いや。その道のプロじゃないよ。伯爵の腹違いの弟の部屋住みを使っているんだ。それが結構な遊び人で、確かに旧市街に馴染むような奴なんだが、あまり本気で人探しをしてないのに、変なツキがあって、今日も彼女らが泊まっている宿の食堂で夕食をとるように予約を入れようとしていたのだ。
うちの者がうまく誘導して、娼館にしけ込んで当分は流連けさせることにしたけど、あわや食堂でかち合うところだったよ」
「そりゃあ、軍の機密費もかかりますな」
「全くだ」
この時、シュタイン大公国軍諜報部が持っていた情報はフロリアがバルトーク伯爵家で"暴れた"内容だけで、領都バルトニアに置いた諜報部員の報告によるものだけであった。この少女が先年、ヴェスターランド王国の田舎町ビルネンベルクでオーガキングによるスタンピードを実質単独で撃滅し、アリステア神聖帝国の双子都市の近郊で大暴れしたと知っていたら、さしもの諜報部トップも考えを改めたことだろう。
ましてやフロリアが"生きている"古代文明の精髄を自由に使えるとなったら、ガイア大陸の征服、そしてゴンドワナ大陸さえ大公国の旗のもとに統一できるかも知れないと夢を見ただろう。
しかし、軍のフロリアに対する評価が微妙なバランスを崩しかねない厄介モノ、であったのが、フロリアにとっては幸いであった。
ともあれ、表の顔が大商会になってからは、かなりのフリーハンドを与えられているヴィーゴであったが、フロリアがこの町にいる間は大っぴらに関われることが諜報部にも公認されて気分が良かった。
ヴィーゴが駆け出しの頃、単独でアリステア神聖帝国に魔法金属の買い付けという名目で潜入して情報収集する任務に携わっていた。その任務の一環として天才ゴーレム職人のサンドルと知り合った。彼女の実力を考えれば、大公国に連れ帰れば間違いなく、ヴィーゴの評価はうなぎのぼりであっただろう。
しかし、そのミッションは失敗してしまった。サンドルはヴィーゴの誘いを受け入れること無く、失踪してしまったのだった。
スパイとしての本分を全うする積りであれば、サンドルとのことを諜報部に報告して、彼女の亡命を手助けするサポート部隊を要請するべきであった。
しかし、それをしたら、サンドルがシュタイン大公国に着いたら、そのまま軍に取り込まれてしまったことだろう。
ヴィーゴは最後までサンドルについて報告を上げなかったため、みすみす不世出のゴーレム職人を取り逃がしてしまうという失態を、上に知られることも無かった。
そして、アリステア神聖帝国から取れる情報が少なくなってきたという理由で、本国での商会としての活動を通じ、多くの錬金術師をコントロールし、他国の優れた魔法使いの冒険者の動向を居ながらにして探る、という活動方針に切り替えたのだった。
他の同業者に比べて、軍の密かな支援と機密費というアドバンテージがあったものの、ヴィーゴは商才も優れたものがあり、20数年の間に相当な大物商人として成長したのであった。
"サンドルのことを思い出したのは久しぶりですね"
諜報部の繋ぎ役との連絡を終えた後、ヴィーゴは私室でちょっと強い蒸留酒を飲みながら、昔の恋人を思い出していた。
彼女のことを思い出した理由は判っている。
あのフロリアという娘は、昼間会った時にはそれほど会話した訳では無かったのだが、どこか喋り方や訛りがサンドルを思いださせる部分があったのだ。
バルトーク伯爵領に現れた時に、田舎から出てきたばかりと言っていたそうだが、それはアリステア神聖帝国のどこかだったのかも知れない。伯爵領はあの国に隣接している地域なのだから別に不思議はない。
そして、その田舎というのがひょっとしたら、サンドルの生まれた土地の近くであったのかも……。
そんなことを夢想するヴィーゴであった。
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