第195話 久しぶりの宿屋
こうして、一行は屋台まで戻ると、アメデオは返済の時にはどこに行けば良いのか、など事務的なことを従業員から教えられると、屋台の店番に戻り、セリオたちはアドリアに「それではまた何かございましたら、ご遠慮なく申し付け下さい」と言うと店に帰って行った。
アドリアとフロリアは、「マジックレディス」が定宿にしているという宿に向かうことになった。
「フィオちゃんもそこに泊まると良いわ」
「あ、あの、でも実はお金をあまり持っていなくて……。ギルドに行って、買い取りをしてもらう積りだったんだけど、それでもあまり高い宿だと」
「あらあら。あなたはそんなこと心配しなくても良いのよ。モルガーナとソーニャは3人部屋を2人で使っているから、そこにあなたも泊まれば良いわ」
「そんな、知り合ったばかりなのに、あまりご迷惑は」
「気にしなくても良いのよ。私は可愛い女の子の魔法使いを見つけたら世話をするのが趣味なのよ。さっき、モルガーナたちも言っていたでしょ」
またしてもいつの間にか、フロリアは手を握られていて、逃げられそうになかった。
正直に言えば、相当な高級宿であっても、フロリアにとっては亜空間ほどには快適ではないのだが、まさか亜空間持ちだと言う訳にもいかない。
そうなると、あまり柄の良くない安宿に1人で泊まる、ということをアドリアが許してくれる訳もない。
「それに、フィオちゃんはバルトーク伯爵領で暴れたんでしょ。確か、新市街の貴族街にバルトーク家のお嬢様が着いたって噂を聞いたわ。いよいよ皇太子さまとの結婚の為の来訪だから、この旧市街でも明日辺りから結構なお祭り騒ぎになる筈よ。
そのお嬢様とフィオちゃんは面識ができちゃったんでしょ。しかも、何回か助けたとなると、フィオちゃんの実力も知れてるし……。
魔法使いを家臣に欲しがる貴族は多いから、うまく逃げないと、そのバルトーク家に取り込まれちゃうわよ。
きっとギルドに網を張っているはず。ギルドの窓口に買い取りに行くなんて、みすみす罠にかかりに行くようなものだと思うわ」
そう言われると、確かにギルドの窓口は危険なような気がしてきた。
実際の話、フロリアの姿を求めて、ギルドの窓口にはバルトーク伯爵の末弟のミクラーシュが網を張っていたのだった。
なので、バルトーク家から逃れるには、ギルドに顔を出さないのは良い判断であったのだが、他にギルドで待ち構えていた、ヴェスターランド王国"暗部"のウルリヒ、そしてオーギュストたち一行は待ち惚けを喰らうことになったのであった。
今日一日の間に、アドリアに一定の好感をもっていたフロリアは、そのまま強く拒絶も出来ないまま、マジックレディスの定宿につれてこられてしまったのだった。
何よりアドリアに手を握られたときにトパーズが「このまま暫くこの者と行動しろ」と囁いたことが大きかった。聖獣の勘が働いたらしい。
その宿はたしかに首都の旧市街でも一流と知られた宿で、Aランクパーティのマジックレディスを始めとするベテランパーティや、地方都市で羽振りの良い商人などが泊まっていた。
まだマジックレディスのメンバーは戻ってきておらず、アドリアは古くからの知り合いと何か話があるとのことでしばらく席を外して、フロリアは喫茶室のようなところに1人で残された。
ちょうどよい。
その喫茶室の床下にねずみ型ロボットを出すと、ヴィーゴ商会とこの宿で自分と同行する魔法使いたちを調べることを念話で命じた。
"ただし、くれぐれも無理をしないで。ヴィーゴ商会には割りと凄腕の魔法使いが居たし、この宿の魔法使いだって油断出来ない人ばっかりだから。相手に気づかれるぐらいなら撤退して"
"承知しました、フロリア様。お任せ下さい"
ネズミたちが去ったので、ニャン丸も召喚したいところであるが、収納から出すネズミたちではなく、召喚の場合は自分の近くに出てくるのでひと目につかずに出すことが出来ない。
もっと、誰もいないところでないとならないのだ。
精霊たちも同じである。見える人が限定されるとは言え、それなりに相性の良い人だと人型までは見えなくともぼぅっとした光が見えてしまう。
程なく、ガヤガヤと騒ぎながら(主にモルガーナが)、マジックレディスの3人が喫茶室に入ってきた。
「あ、フィオちゃん! もう帰ってきてたんだ。うまく行った? まあ、ヴィーゴさんに頼むんなら下手うつことは無いだろうけど。で、姐さんはどこ?」
フロリアは最後の質問にだけ「古くからの知り合いと話があるそうです。すぐに戻ると言っていました」とどうにか答えた。
フロリアは師匠のアシュレイとトパーズの2人と1匹暮らしの期間が長かったので、こうした騒がしい会話はあまり得意では無かったのだが、それでもある程度は話せた筈であった。
モルガーナが相手だとついて行けないのだ。
もっとも、ソーニャもルイーザも別にそうしたフロリアを話し下手だとは感じていなかった。モルガーナの内容がポンポンと飛びまくる話し方についていける者など、これまでだってほとんど居なかったのだ。
マジックレディスのメンバーたちも当然のように、フロリアのテーブルに座り、追加のお茶と菓子を注文する。
屋台が並ぶ市場で食料などを買ったあと、冒険者ギルドの建物に並んで店を構えている武器屋や魔導具屋を回ったそうで、ルイーザが「またモルガーナが新しい短剣を買った」とお冠であった。
「だってぇ、短剣って割りと消耗が早いから、予備はたくさん持ってないと不安なんだよお」
「実際の戦闘で折れたりしたの見たこと無いですよ。魔物を解体したり、焚き木を作ったりする時に乱暴に扱って折ったり、その辺に置いて無くしたりしてるじゃないですか」
……。
そんなことを話しているうちにアドリアも戻ってきた。
「以前にフライハイトブルクで護衛任務をした商人のアシュビーさんを覚えているかい。たまたま、彼も商売でこちらに来ていて同じ宿に泊まっていたんだよ」
「へえ。偶然ですね。今の時期だと来年の小麦の契約はまだ早いでしょうに」
「ああ、最近は逆にこのキーフルに芋を売り込みに来てるんだそうだ」
「ふうん。商売熱心ですね」
「そうだな。……あ、そうだ。フィオちゃんの部屋だが、モルガーナとソーニャの部屋と一緒で良いな。受付には2人宿泊から3人宿泊に増やすように言っておいたぞ」
「問題ありませーん」
モルガーナは挙手してそう答え、ソーニャもうなずく。
「フィーオちゃん、こんばんはゆっくりとお姉さんたちとお話しようねぇ」
「こらこら、あんまり困らせるなよ」
そんなこんなで、一度それぞれ部屋に引き上げ、食事時に今度は食堂に集まることになった。
この世界の一般的な宿は、食堂は宿泊客だけではなく、市民たちのための飲み屋を兼ねているケースが多いのだが、この宿では基本は宿泊客だけで、特に予約した場合のみ、市民たちも入れるのだそうだ。
食堂は2つあって、1つはこの世界では一般的な食事(いわゆる洋食)を出しているのだが、その中でもキーフルの名店扱いされているほどで、大公家の厨房で修行したシェフが仕切っていることで有名であった。
そしてもう1つは、伝説的な"和食の鋼人"の10何代目かの弟子が花板を務めている料亭形式の店であった。
どちらも旧市街でも有名な名店であり、大商会の金持ちだけではなく、新市街の貴族や騎士などがお忍びで訪れることもあると言うことだった。
「姐さんは和食好きだから、和食の方になると思うけど、あまり意識しなくて大丈夫だからね」
ソーニャがポツリと言ったが、これは箸の正しい使い方が出来なくても、気にしなくても良い、という意味であった。
転生人である"料理の鋼人"がこの世界に和食をもたらしたのだが、基本的に鋼人が「和食の精華」として紹介した料理は、とてつもなく高価なので、王族や大貴族が主催する晩餐会でしか供されない。
彼は庶民のためにも、いわゆるB級グルメも広めたのだが、それらはいずれも箸を必要としないものばかりであった(チャーハンを和食と呼ぶのはかなり違和感があるが、鋼人はそのあたりはかなり大雑把に捉えて、日本人が日常食べるものは和食、と割り切っていたのだった)。
その結果、箸をきれいに使える、という技能は、社交ダンスを優雅に踊れるとか、正しい礼儀作法を身に着けているとか、パーティで小粋で貴族的な会話術を駆使できるとか、そうした技能と同一視されていた。つまり、箸を正しく使えるのは"良いとこのお嬢さん"の条件のひとつなのだ。
今晩の夕食は、貴族の晩餐会レベルまでは行かなくても、庶民にはあまり縁のないレベルの和食である。その場で見苦しくない箸の使い方がフロリアに出来るとは思えなかったソーニャは前もってフロリアの気持ちを楽にしようと思って言ったのだ。
もっとも、実はマジックレディスの面々は誰も正しい箸の使い方など出来ず、みんな自己流だったのだけど。
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