第176話 金の卵を生む小鳥
バルトーク伯爵は、寄りにもよって領都の領主館を襲撃された事件について、領民に対して詳しい説明はしなかった。
もちろん隠し通せることでも無かったので、ただ不心得な襲撃者は全て伯爵家の戦力によって排除した、ということのみを布告した。
しかし、領都バルトニアの市民たちの間には、伯爵家の騎士や衛士の活躍もさりながら、何と言っても年端も行かぬ少女が大活躍をしたという噂が囁かれるのを止めることは出来なかった。
その魔法使いの少女は多くの従魔を自在に操り、空を駆け、治癒魔法を駆使し、深刻な呪いを解呪したらしい、まだ未成年で子供っぽいが顔立ちは驚くほどきれいで、恐れながらフランチェスカお嬢様の同じ年頃の頃よりも……。
そして、領主館の入り口前には病気や怪我に苦しむ家人を伴った市民が、治癒魔法のおこぼれ頂戴を願って押し寄せ、衛士に蹴散らされるという事態まで起こった。
「どうやら、凄い才能の魔法使いを一度は取り込んだのに、逃げられたらしい」
「ご領主様がいい年をして、子供の魔法使いに色目を使ったそうだ。その他にも、あの怖い顔の騎士隊長やら、遊び人の末の弟君が……」
「強い魔法使いが領内に1人居れば、どれほど皆の役に立って、安心できることか……」
領民たちが、ご領主様の失敗をあからさまに責めることなどあり得なかった。
だが、この土地の領民は場所柄、隣国のアリステア神聖帝国がいかに魔法使いをこき使って、生活を便利で豊かなものにし、カネを稼いでいるのか、その詳細を伝え聞いているのでため息をつくばかりであった。
そうした噂は、市民たちの間から、町の間、貴族の領地の間を行き来する商人達によって、広がっていく。
ましてや、貧弱であるとは言え、情報網を持っているスタニスワフ家宰は、相当に正確で詳しい情報を入手していた。
「その娘がこの領都に居るとは」
スタニスワフは、この案件については腹心に任せたりせず(彼の腹心も彼同様の野心家ばかりなので、下手をすると足元を掬われるのだ)、自らが捕縛した自称バルトーク伯爵家騎士の青年を尋問することにした。
自ら、と言っても、スタニスワフ自身が直接、騎士の青年を殴る訳ではなく、下働きの者に殴らせて、尋問は自分がする、ということなのだが……。
それでも都会で育った貴族のお坊ちゃまにとっては割りと心理的ハードルが高く、他に信頼できる者さえ居れば、と思いつつ、この青年を閉じ込めた領主館の離れに行ったのだが、意外にもと言うべきか、マレクは特に沈黙を守ることもなく、ペラペラと喋ったのであった。
この子爵領の者にも少女の素晴らしさと、自分の真摯な情熱を理解してもらい、出来れば少女を探しだつ手伝いをして貰いたい……ぐらいの考えであったのだ。
レオポルトの親族の家に軟禁された後は、身一つで放浪……、その間にかなり神経をやられてしまい、この頃には理性的な判断があまり出来なくなっていたのだった。
マレクは問われるままに、というか問われた以上のことを喋り続けた。
おかげで、マレクも殴られずに済んだし、スタニスワフも陰惨な光景を見ずに済んだのは、両者にとって幸いだったことだろう。
マレクの答えは、スタニスワフが把握していた市民の噂話がけっこう正確であったばかりか、どうも他にも何かの魔法やスキルを隠し持っているように思えた。
バルトーク伯爵家は本気で追跡を掛けている筈なのに、その少女はシレッとこのチュルクに現れている。
そして、チュルクの衛士の追跡をあっさりと躱して、現在は行方不明。
この隠身も魔法やスキルを使ったものなのだろう。
少女の素晴らしさを力説し、そして自分こそがその少女と相思相愛の想い人であって、自分を手助けしてくれれば、この先は少女とともにチェルニー子爵家の為に働く、――レオポルト騎士隊長が聞いたら情けなくて泣き出しそうなことを平然と言い出すマレク。
しかし、さすがにスタニスワフは、それについては本気にせず、下働きの者に牢に閉じ込めておくように命じると、その場を後にした。
次にスタニスワフが訪れたのは、チェルニー子爵家で飼っている魔法使いの元であった。
その魔法使いは見かけは冴えない中年男性でカシュバルという名前であった。
平民出身で魔力自体は弱く、魔力持ちと魔法使いとの境界ギリギリで魔法使いと名乗っている程度の存在であったが、あまり他に見かけない特技、というか魔法を使えたので重宝がられ、子爵家家中ではそれなりの扶持を得ていたのだった。
スタニスワフは貴族階級の出身者らしく、そして貴族階級の出身者でありながら自分自身は爵位を継ぐことが出来ないという立場の者らしく、魔法使いが嫌いであった。
平民という卑しい身分の出でありながら、そして自分自身の才覚というよりも、偶然に持って生まれた能力によって、高額な給与を得たり、場合によっては功績を立てて叙爵されたり……。
魔法使いなぞという生き物はアリステア神聖帝国がそうしているように、自動的に奴隷扱いして平民よりもさらに下の地位に堕としてしまえば良いものを!
だが、そうした感情を露骨に表に出さないだけの頭脳はあるので、表面上は取り繕ってカシュバルの元を訪れた。カシュバルは、普段は特に仕事らしい仕事もなく、外出の自由もあまり無く、貴族家の屋敷の中では肩身も狭く、というわけで日がな一日、部屋に閉じこもっていることが多く、不健康に太って、まだ老年というほどの年齢でもないのに、生気が感じられない男であった。
「これは家宰様。いかなるご用件で?」
「この領都内に魔法使いが居る筈だ。それもかなり強力な。どうすれば会えるか、判らぬか?」
カシュバルはうっすらを笑いを浮かべると、
「私のちからは予知でございますから。失せ物探しや迷人探しは専門外ですなあ」
スタニスワフは貧弱な魔力しか持ち合わせぬのにどこか人を小馬鹿にしたようなカシュバルに怒りを覚え、知らずに乱暴な口調になってくる。
「お前の専門なぞ知らぬ。言われた通りに占ってみろ」
「はいはい。おっしゃる通りに致しますとも。ですが、どんな魔法使いなのかぐらいは教えて頂きませぬと。いくら珍しい存在とはいえ、この領都ですと私も含めて数人は魔法使いは居るかと存じますが」
「強力な魔法使いだ。まだ若く、様々な魔法を駆使する、才能豊かな少女だ」
お前とは違ってな、と付け加えようとして、さすがに無駄に敵を作ることもないか、とそれは口にしない。
「ふむ」
カシュバルはじっと目を閉じると、口の中でなにやらゴニョゴニョとつぶやく。呪文でもつぶやいているのだろうが、スタニスワフには誤魔化しているようにしか思えない。
そもそも予知魔法は、超一流と言われるほどの使い手でもあやふやで外れも多いと言われている。このカシュバルにどれほどの成果が期待できるものか。
"やはり大々的に衛士を動かして、領都を徹底的に調べるしか無いのか。だが、相手は武闘派で衛士も騎士も鍛えられているというバルトーク伯爵家でもあっさりと逃げられたというほどの腕前だ。
それに大きく衛士を動かせば、当然政敵や領主の耳にも、優れた魔法使いが領都に居るという情報が入ることになる。出来れば、チェルニー子爵家の家臣ではなく、俺の個人的な従者にでもしたいのだが……"
「家宰様の探して居られる魔法使いが原因かどうかまでは分かりませんが、領都の中で良からぬことが起こりそうです」
「良からぬことだと?」
「はい。大きめの火災かも知れませぬし、それなりの数の家屋が壊れている様子が頭に浮かびました。もしかしたら、魔法使い同士の戦いが原因かも。今一つぼんやりしていてはっきりはしません。予知というものは常に揺れ動くものです故」
「それはいつのことだ?」
「まずは数日のうちかと」
――カシュバルにはとりあえず予知の内容を他者に口止めすると、家宰の事務室に戻ったスタニスワフは、しばらく誰も通さぬように従者に言うと部屋に籠もった。
カシュバルの予知をどのように扱うべきか。
チェルニー子爵家の忠実な家臣であれば何も迷うことなど無い。ただちに領主に諮って、衛士隊に厳戒体勢を取らせるべきである。
だが、俺ほどの才覚のある人間がうまく使えば、莫大な金銭や爵位でさえももたらす可能性のある、いわば金の卵を生む小鳥をみすみす主家に引き渡すなど、ありえぬ。
くそ、手足となる子飼いを持たない外様はこうした時に苦労する……。
「あ、それからこの手紙を冒険者ギルドに届けてこい」
いつも読んでくださってありがとうございます。




