第172話 領都チェルク
ごろつき冒険者のホルガーは久々に本来の根拠地である、チェルニー子爵領の領都チュルクにたどり着いた。
ただ、いつものように相棒のフーベルトと一緒に行動はしていない。
ちょっかいを出そうとして逆に捕まってしまった、魔法使いのゾルターンの指示によるものであった。
ゾルターンは、一番最初にバルトーク伯爵の令嬢フランチェスカの誘拐を試みた時に使うために、かなり強力な使役魔法を付与した魔道具を持参していた。
その筆の魔道具によって心臓の上に隷属の紋様を描かれたため、彼らはゾルターンの命令に抗することができなくなったのだ。
使役魔法は、闇魔法の中で人間の行動を縛るための一連の魔法の中では、契約の次に強く、隷属ほどは強くない魔法である。
商人どうしの商取引や雇用契約などで、契約の魔法は多用されていて、これなしでは今の社会は成り立たないと言われているほどであるし、隷属も犯罪者を奴隷として使う際に必要なので、決して闇魔法そのものは語感から感じられるようないかがわしいものではない。
ただ、今回のゾルターンの使い方がいかがわしかったというだけの話である。
「くそったれ。こんなもん描かれちまって、このままじゃあどうしようもねえな。どこかでどうにか消せねえものか?」
ホルガーは舌打ちをしながら、町に入り、久しぶりの冒険者ギルドに顔を出す。
ゾルターンは、この町に銀髪の少女が居るとは思っていなかった。そればかりか、日数的にもその可能性は低い、と考えていた。だが、手がかりは残っているかも知れないし、それを調べるならば、以前からここに住んでいるホルガーが良かろうと考えたのだ。
フーベルトが一緒では無いのは、使役魔法を使っているとは言え、2人一緒にすると良からぬことを企むかも知れないと、ゾルターンが考え、フーベルトは手元に残したのである。
「よおお、久しぶりだな、ホルガー!! あまりツラを見ねえものだから、どこかでおっ死んじまったんだと思っていたぜ」
「相棒はどうした? どこかで喧嘩別れでもしたのか?」
「すっかり煤けたな」
「うるせえ」
ホルガーは久々に会った顔見知りから声を掛けられるが乱暴に遮って、薬草の買い取り窓口に行く。
情報収集するにせよ、軍資金がカラッケツでは難しいのだ、とゾルターンに頼み込んで薬草を採取してもらったのだ。
ゾルターンも裏仕事に身を窶す前は冒険者をしていた時代があった。彼は冒険者成り立て当初から魔物討伐ばかりをしていて、金を稼いでいた。未成年は襲われた場合の返り討ち以外で魔物討伐は禁止という規定があったのだが、そのやむを得ず返り討ちにした魔物の素材の買い取り自体は未成年相手でも普通に行っていたのだった。
ギルド窓口側でもゾルターンが攻撃魔法を使ってソロで魔物討伐しているのは気がついていたが、素材欲しさに見て見ぬ振りをしていた。
それでも申し訳程度に薬草も採取しては、そちらも窓口におろしていた。
なので、薬草に対する知識も駆け出しレベルのママだったのだが、それでも他に冒険者があまり立ち入らない森の奥で、魔法を駆使したゾルターンの採取は、けっこう希少な薬草をそれなりの分量、集めることに成功していた。
ホルガーはやっと現金を手にすると、すぐにギルドの冒険者たちの溜まり場に行って、エールを頼む。久しぶりの酒精分の入った飲み物である。
顔なじみたちには、フーベルトはバルトーク伯爵領の領都の色街で女に引っ掛かって、入り浸っているので先に戻ってきた、と説明した。
苦しい説明だが仕方ない。
「お前らに色街に流連けられるような金があるのかよ?」
早速、まわりからツッコミが入ったが、ホルガーは信じられねえかも知れねえが、女のほうがフーベルトにご執心で離さないのだ、と説明した。
「そりゃあ、よっぽど物好きな女だ」
「それで、相棒に捨てられてトボトボ戻ってきたのかよ、お前?」
「へっ。俺だっていつだって連れがいなきゃ小便もできねえようなガキじゃねえ。当分は1人でやっていくさ。ま、すぐにあいつも捨てられて戻ってくるだろうからな」
……そうして話が盛り上がってきたあたりで、ゾルターンの命令に従って、適当なところで銀色の髪の少女の情報を聞かなくてはならないところなのだが、ホルガーにはもうあまりその気がなくなっていた。
ゾルターンの施した使役魔法はそれなりに強力なものであったのだが、ゾルターン自身がそうした魔道具の使い方に慣れていなかった所為もあり(今回の事態に陥るまでは、ごちゃごちゃ言うやつは殺してしまえ、タイプであったのだ)、本来の能力を発揮しきれていなかったのだ。
それでもあまりに使役魔法の命令を無視していると、心臓に衝撃が来て、運が悪いと停止してしまう可能性がある。
「だが、まあ、今日のところはまだ大丈夫っぽいな。意外と薬草も高値で売れたし、今日の飲み代と宿代ぐらいは十分にある。情報収集は明日でイイや」
そんなことを考えて、森の中で魔法使いにこき使われながら野宿している相棒の苦労に思い至らず、ホルガーは何杯目だかのジョッキを注文している。
そして、良い感じで足が縺れながら、ギルドを出ると、定宿にしている木賃宿に向かう。ずっと同じ町を本拠にして活動するのであれば、まともなパーティであればパーティホームを借りて住むことが多い。男2人だけで一軒家を借りるのが大げさだと言うなら、他のパーティと折半にしても良い。
そして自炊すれば、いくら安宿であってもずっと連泊しているよりも結局は安上がりになるし、パーティの予備の装備品やそれ以外の家財も持てるので、常に自分で持ち運び可能な荷物しか所有できない宿暮らしよりもずっと悧巧である。
しかし、ホルガーとフーベルトのコンビは、そうした"キチンとした"生活を送るよりも放埒な冒険者暮らしの方が性に合っていて、町に居る間は定宿にしている安宿に連泊していたのであった。
その宿に向かってふらふらと歩き出す。
フーベルトが居ない分、宿賃を下げて貰う交渉をするか。だがそうなると一人部屋なんて洒落たものは無い宿だから、見知らぬ人間と相部屋になるのか。
まあ、別にそれも構わないか。
そんなことを霞んだ頭で考えていたので、通りの人の流れの向こうに細い人影があるのに気がつくのが少し遅れた。
後ろ姿のその人影は、目立たぬ色のローブを羽織っていて、頭まですっぽりとローブのフードを被っていたので、髪色も見えなかったのだ。
背丈も大人の男性からすると小柄で、しっかり着込んでいてもほっそりとしているのがよく分かる。
「こりゃ、驚いた。いきなり当たりくじを引き当てちまった」
***
「おい、フロリア」
足元の影からいきなりトパーズが声を掛ける。
「うん。この気配、覚えがある!」
たしか、ちょっと前に跡をつけられて、香辛料爆弾で退治したおじさんだ。でも、あの時は2人居たけど、今は1人しか気配が感じられない。
「どうにも、濁った気配だな。それに、ついさっきまで、向こうもフロリアには気がついて居なかったみたいだな。こちらに対する視線が無かったから、この私としたことが気がつくのが遅れてしまった」
フロリアとトパーズはどうしたことか従魔契約を未だに結べて居ないので、念話は出来ない。
だが、フロリアの影に潜んだトパーズとのひそひそ話はもう念話の域に近く、すぐとなりを歩くお姉さんにも不審に思われないレベルである。
「どうする、フロリア?」
「そうだなあ。いちいちやっつけるのも面倒くさいから、まいちゃおうかな」
フロリアは、一度はこちらに対して悪意を向けてきた相手だが、今回はたまたまフロリアを見つけてちょっと注目している程度なのだろう、と判断した。
町の繁華街やギルドの窓口で網を張って、"金になりそう"なフロリアの跡をつけてくるような輩にはもう慣れっこになったフロリアであるが、前回はともかく今回はそうした悪心すら持っていないように思う。
そもそも、町中で"ひと仕事"するつもりなら、昼間からこんなに意識が濁るまで飲んだりはしないだろう。
フロリアは先行させていたねずみ型ロボットに、人気のない路地を探させていたので、その指示に従い道筋を歩む。
千鳥足気味のホルガーは、どんどん人気が少なくなる方で行くフロリアを尾行するのが困難になってきて、どうしたものか、と思っていたのだが、気がついたらフロリアを完全に見失ってしまっていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。




