第171話 ゾルターンの手先
ホルガーとフーベルトは、熟練した猟師が獲物に近づいていく時のように慎重に、しかし着実に、標的の男との距離を詰めていく。
――つもりであった。当人たち的には。
その右腕を失ったばかりの男ゾルターンは、腕利きの魔法使いらしく、すでに2人組に追われていることに気がついていた。
2人の服装や身のこなしなどから、バルトーク伯爵家からの追手ではないし、他に近辺に応援が居るということもないのも確信していた。
「コイツラを使うか」
ゾルターンはそう考えていたのだ。
今のゾルターンには単独で暴れられるだけの力がない。利き腕を失ったのも大きいが、それ以上に魔力がこれまでのように回復しなくなったのだ。おそらくあの小娘に捕らわれたときに何かされたのだと思うが、あの時に何時間も体が動かなくなるだけではなく、魔力の総量が小さくなったようなのである。
呼び寄せた応援の魔法使い(なんという名前だったか)も倒れたし、これではもはやバルトーク伯爵家に再度、襲撃を掛けることは不可能であろう。
第一、今さら何らかのバルトーク伯爵家に何らかの打撃を与えても、ゾルターンの雇い主はこれまでの数度に渡る失敗を許すことは無いだろう。
それもこれもあの小娘の所為である。
バルトーク伯爵家にはもう恨みもつらみも無いが、小娘には喰らいつくしても飽き足らないほどの恨みがある。
どうにか復讐できないかと思っていたところ、逃亡する途中で領都から近隣の町に行く行商人を1人捕まえるチャンスがあり、情報収集をしていて「ご領主様のところの若い女の魔法使いが逃げたらしい」という噂を入手した。
なんでも、伯爵家の男が次々と手出ししそうになったそうで、それを嫌って逃げた、と町の住民の間ではすぐに広がり、密かに伯爵家の体たらくを嗤っているということだ。
「それは良い話を聞いた」
正直なところ、あんな娘が相手では堂々と勝負しては勝てる気がしなかったが、不意を打てばどうとでもなる筈だ。相手はいくら才能に優れていても碌な経験も無い小娘だ。
そのためには手先になって動くコマが必要である。
ゾルターンは邪魔が入らないように他の人間がいない森の奥の方へ、奥の方へと歩みを進める。
2人組は丁度よいとばかりにゾルターンに引き寄せられてくる。どうやらあまり腕の良くない冒険者らしく、これでは魔法使いでなくてもちょっと勘の鋭い者ならば尾行に気がつくことだろう。
この程度の輩では不満が残るが、今は贅沢は言っていられない。
2人は左右に別れて跡をつけてくる。
前後で挟み撃ちがこうした場合の理想だが、それができるほど大回りしている余裕はないと判断したらしく、適当なところで左右から姿を現す。
まずは右から出てきた男が
「おい、旦那。ずいぶんとまた変な場所を旅しているもんだな。そんな格好でうろついているとあぶねえぞ」
牢から脱出した後、目についた民家から衣服を盗んだものの、旅装束ではなく、町中を歩く平民の普段着。自衛用としてはおろか、薪割りに使う鉈の一つも無いといった格好をからかうよう。
「大きなお世話だ。お前達は盗賊か何かか?」
「へ、盗賊なのはどちらだ? 街道筋はずっと騎士やらなにやらが出張って、誰かさんを探し回ってるぜ」
反対側からもう一人の男が声を掛けてくる。
これも、こちらに囲まれている、と思わせるための演出のうちなのだろう。
「旦那をひっ捕まえて、騎士さまなんかに突き出したらどれぐらいの報奨が貰えるんだね? 何をしでかしたのか教えちゃもらえないか?」
最初の男がからかうように言う。
「お前らに何も教える義理はないな。知りたくば、捕らえてみたらどうだ?」
「ふん。その体でずいぶんと吹くじゃねえか。それじゃあ、ちったあ痛い目に遭って貰おうか」
左右の男が同時に剣を抜く。
ゾルターンは剣士ではないが、それなりに修羅場をくぐっているし、これまでの裏仕事でいろいろな剣士を見てきた。
その経験から、この男たちの剣を抜く動作だけで、さらに落胆の度合いが大きくなったが、まあとりあえずは叩きのめすことにした。
あちらさんはゾルターンを殺さぬように手加減するつもりらしく、すぐに斬りかかってこない。
そこで、まずは右の男の顔面に無属性の魔法の塊をぶつける。一種の衝撃波をぶつけられたようにその男の顔面はパッと赤く染まって、そのまましゃがみ込む。
「あ、てめえ、何をしやがる」
黙って斬りかかれば良いものを左の男はご丁寧に声をあげてから剣を振り上げる。その時には、左の男の足元まで流していた魔力によって、地面から撃ち出した石塊が男を襲う。ほぼ足先数十センチぐらいから握りこぶしほどの石塊が10発程度打ち出されたのだ。これが石槍だったら男は即死していたところだが、石塊でも男の下腹部や陰部を直撃し、男は苦痛に呻きながら地面をのたうち回ることになった。
「あっけないな。まあ、これでもうまく使えば囮ぐらいにはなるか」
***
チェルニー子爵は、その領地がバルトーク伯爵領と領都キーフルとの中間ぐらいにあった。政治的には特にバルトーク伯爵の派閥と対立している訳でも、その反対派に与している訳でもない、いわば中立派といったところだ。いや正確には中立派というよりも、どちらの派閥からも引き合いが来ないで放置されているというべきか。
領地はさして物成の良い地域でもないし、特産品も無い、交通の要衝という訳でもないし、広さは平均的な子爵領よりもちょっと小さい程度。
領主も、先祖がたまたま大きな功績を立てた大物貴族にくっついていたので、余録で爵位を貰ったというだけで代々、平凡で目立たない領主が続いていた。
しかし、平凡であるということは取り立てて愚かでは無いという意味で、そうした領主が続いていた時代はまだ良かったのだ。
先代の領主になってから、身上を超える浪費が始まり、大して豊かでもない財政はたちまち傾いた。それを憂いた家臣たちが相談して先代を押込めて、まだ若い長男に跡を継がせたのだ。
これで落ち着いてくれればよかったのだが、この長男は年若である上に、あまり才気もなく、助言してくれる一族の年長者もいないという状況で爵位を継ぐことになった。それで当初は統治は老重臣たちが合議制で取り仕切ることとなった。
特に難しい舵取りが必要という訳でも無かったので、そんな体制でも領地経営に特に問題はなく、先代の借金があるので重税が課されるものの、徐々にだが財政は改善されつつあった。
しかし、この才気もやる気も無いお館様が、近年おかしくなったという噂である。
こうした場合、たいてい女に引っかかるものなのだが、当代のチェルニー子爵は中央から流れてきた法衣貴族の三男だか四男だかに心酔したのだ。
中央に居ても父の爵位や役職を継げる訳でもない貴族の子弟は、己が才覚に従って軍に入ったり、文官になったり、運が良ければ他家に養子に行って跡を継げるのだが、少なからず貴族社会からこぼれ落ちて、冒険者を目指したり、商人に婿入りしたりする者もいた。
その法衣貴族の三男――スタニスワフ・マスリュコヴァは見た目はとても良いやさ男であった。細身で引き締まった長身。上品な顔立ちに理知的な眼差し。立ち居振る舞いは洗練されていて、御婦人方との会話は適度なジョークを交えながら、流れるように続いていた。
実際、かなり学問もできるので、生真面目にやっていれば中央で何かの文官として職を得るか、大貴族の家臣の座でも転がり込んできても不思議は無かった。
しかし、彼は何の苦労もしない長兄が継ぐ役職にも爵位にも自分は決して到達出来ないのが分かっていて、生涯を掛けて卑俗な文官暮らしを送ることを良しとしなかった。
剣は一通り使えたが、武人になれるほどでもない。
というわけで彼は、爵位と先祖の経歴だけは立派だが、当代はあまりの無能で役職を与えられず暇を持て余しているという貴族家の当主に取り入って、領地経営塾の免許皆伝のような書付を入手した。
その貴族は代々、大公国の貴族を統括する元締めのような家柄の出であっただけに、その家の紋章と名前は、事情を知っている首都の法衣貴族には眉唾ものだったのだが、地方の何も知らない領地貴族にはけっこうなハッタリが効いた。
経営コンサルタントの泊付けに成功したようなもので、そうした生業を思いつくあたりスタニスワフがそれなりに才気に長けた男だと言うことが判る。
彼はいくつかの貴族家に食客として滞在しながら、経営指南的なアドバイスを撒き散らして過ごしていたが、このチェルニー子爵領でスタニスワフは"当たりくじ"を引き当てたのであった。
苔が生えたような老重臣たちの言いなりになりながら、無気力で怠惰な日々を過ごしていたが、それに我慢しきれずに自分から積極的に動いて領地経営を改革していこうという気概も能力も無かった現チェルニー子爵。
その目には中央からやってきたスタニスワフ・マスリュコヴァという大層な名前に、高貴の出にふさわしい立ち居振る舞いは、光り輝いて見えた。
10数日の滞在ですっかりスタニスワフに心を奪われた子爵は、ぜひとも自分の家臣として仕えて欲しいと申し入れた。スタニスワフは責任のある地位について、己の手腕をふるえるのでなければお仕えする意味がない、と返答し、この答えは子爵には至極もっともなものと思われた。
こうして、重臣たちに何の相談もなく、若き家宰が誕生したのだった。
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