第163話 無駄な人質
夜這いのマネごとをして、折檻を受けて騎士の詰め所に寝かされていたマレクであった。やっと起き上がれるようになったあたりで、部屋の外がやたらと騒がしくなって、何が起こっているのか、と思い、どうにか起き上がって、外に出てみたら、屋敷の中が戦場になっていた。
「敵襲?! でも、いったい誰が? いや、そんなことを考えてる場合じゃない。騎士たるもの、フィオリーナちゃんを守らなきゃ」
普通は主君を守るものなのだが、マレクの恋愛菌に冒された脳髄はまともに働いていなかった。こんな時に、肌着に近いような普段着で防具も武装もなし、という格好でうろつくと言うのは、騎士として不心得の極みだが、今さら詰め所に戻って探すのももどかしい。
幸い、掃除している最中の下働きの者が放置したらしいモップが見つかったので、ゴブリンが近寄るたびにそれを振り回して、追い払いながら、屋敷の中をさまよう。
「フィオリーナちゃん。どこに行ったんだ。おれが守らなきゃ」
マレクは見習い騎士とは言え、元々はフランチェスカの馬車を守った際には、先輩騎士が全て斃された後も、怪我をしながら1人で襲撃者たちと戦い続けただけの勇気と誇りがあった。それが、フロリアに"誑かされて"以来、失態を晒し続けている。
そして、フロリアの"全館放送"を聞いてしまい、わずかに残っていた主君を探すという考えも脳から転げ落ちてしまって、フロリアを探して廻っていたのだ。
途中、ゴブリンに何度か襲われたが、巨大な猫科の猛獣が風のように現れると、ゴブリンを軽々と蹴散らしていった。
戦闘力の乏しいメイドや男の下働きのものなども純白の毛皮の虎に守られて、固まっていたりする。
「おい、虎。フィオリーナちゃんはどこだ?」
答えるハズもなく、やがて剣戟の音のする庭に出て、フロリアの姿を視認した。青っぽいドレスを着て、多くの剣を操る少女。
「フィオリーナちゃん。すぐに行くぞ。俺が守ってやる!!」
――そう声を掛ける暇もなく、マレクはあえなく、急速接近してきた黒っぽい人影に襲われ、モップを叩き落されて、背後に回られると、腕をねじりあげられ、首筋に刃を突き立てられたのだった。
「こいつを殺されたく無ければ動くな」
「別に殺されても良いから、動くぞ」
トパーズが、からだを低くして唸り声を上げる。
「ちょ、ちょっと、トパーズ、だめだよ。一応、助けてあげないと」
「お前はお人好し過ぎる。こんなやつ助けても意味などない。鬱陶しいだけではないか」
「そう言うけど、せっかく一度は助けたんだし」
「お、おい、お前ら。ほんとにころすぞ」
シモンはちょっと慌てて、また声を掛ける。従魔の黒豹が喋ったのには驚いたが、それ以上にどうやらこの人質は価値が高くなさそうだ。
それでも、娘の方が従魔を抑えている間に庭園から抜け出せそうである。利き腕ではないが腕を一本斬り裂かれ、出血が止まらない。血とともに魔力も流れ出ているようで、今はまだ身体強化魔法が効いているが、いつまで保つか? 従魔のゴブリンキングも殺されてしまい、残りのゴブリン共はコントロールが効かない。
それぞれ好き勝手に暴れているだけである。
今回限りではあるが一応は仲間のゾルターンも、すぐに娘が戻ってきたところをみると、どうやら失敗したらしい。
今回は完全に失敗である。このまま時間が過ぎると、ゴブリンを掃討されて、自分も逃げられなくなる。
そうなる前にどうにか、この若いやつを人質に、この町から逃げおおせなくてはならない。
しかし、そうしたシモンの思惑とは裏腹に、数名の騎士が庭園にバタバタと踏み込んできた。先頭に立つ、1人だけ鎧の飾りが賑やかで背の高い騎士は、隊長だろうか。
そいつが小娘に声をかける。
「おい、その男は誰だ? 魔法使いか!?」
「はい。その人が敵の魔法使いです。他に魔法使いの気配はないから、その人が1人で乗り込んできたみたいです。召喚術師の従魔使いだったけど、従魔のゴブリンキングは斃しました。あとのゴブリンは雑魚ばかりです」
「ふむ。確かにデカブツが死んでいる!」
レオポルトは、自分が苦戦して剣まで折られた相手をあっさりと屠ったというフロリアにまた苦いものを感じるが、さすがにこの状況で敵対的な態度は取らない。
「若様たちはどうなっているか判るか?」
「食堂の奥の談話室に立てこもっています。長男のご夫妻、フランチェスカ様、あと、伯爵家の方も数名居られます。
扉はしっかりしまっていて騎士の方が守っていて、ゴブリンを寄せ付けていません。それとこの子(とトパーズをちらりと見て)の眷属の猛獣も5頭、一緒に守らせています」
「おお、そうか。おい、お前ら。2名だけ残して、後は談話室に先行しろ。俺はこいつを片付けていく」
と、シモンを睨みながら、後ろの部下に命じる。部下たちは2手に分かれて、一方はレオポルトに「隊長、お気をつけください。その剣士は途方もなく強いです」と言うと、走っていった。
「マレク! 騎士たる者が何と情けない姿を晒しておるのだ! 人質になるぐらいなら、潔く舌でも噛め!!」
「ひっ。た、隊長、助けてください。死にたくない」
「馬鹿め!」
レオポルトは手に持っていた短剣をいきなりシモンたちに投げつけ、シモンがそれを避けた拍子にマレクが手から離れてしまった。怪我をした腕でマレクを締め上げていたのだが、やはり力が入りにくかったのだ。
マレクの方も、昨夜の折檻で戦える状態になく、情けない声をあげながら、四つん這いになって逃げる。
それを追おうとしたシモンに、フロリアの操剣魔法が再び襲いかかり、その対応に追われたシモンはみすみすマレクを取り逃がすことになった。
「まて、小娘」
レオポルトはフロリアを制止すると、「そいつを斃すのは俺の仕事だ。手出しするな」と言う。
フロリアは少し不思議そうにレオポルトを見るが、言われた通りに剣の攻撃を一時中断する。ただし、数十本の剣が切っ先をシモンに向けて、宙に浮かせた状態で取り囲んでいる。
「この男には部下をたくさん殺されたし、伯爵様ご一家にも迷惑を掛けておる。騎士隊長たる俺が斃さずにバルトーク伯爵家の面目が立たぬわ」
「素手でどうするつもりだ」
シモンがようやくレオポルトに返答する。
「ふむ。貴様など借り物の剣で十分だ」
ちらりと後ろを見て、部下に剣を借りようとしたレオポルトだが、「ああ、それなら私が貸しますよ」とフロリアが言い出す。
そして、収納から鞘に入ったままの剣を一本出して、レオポルトの胸の前あたりに浮かべる。
「それは魔剣ですけど、操剣魔法用じゃなくて、普通に戦闘用の剣です。あの人の持つ魔剣の魔法を相殺できます。それとあの人、もう身体強化魔法はそろそろ魔力が尽きる頃だし、あとは単純に剣の腕が強いほうが勝つ勝負になっています」
「ほう、それはそれは」
レオポルトはニヤリと笑って、目の前の剣の柄に手をかけ、鞘を払った。
魔力のない者にもはっきりと判るほど、魔剣独特の凄みを帯びた波動がレオポルトの腕を伝ってくる。
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