第150話 解呪
平民が普通に食べる食事に比べると、伯爵家の朝食は柔らかいパン、ちゃんと具が入っているスープなど、さすがに立派なものであった。驚いたことにゆで卵まで供されたのであった(この世界では卵は高級品だった)。
普通の平民であれば、よほど成功した商人か冒険者でないと食べられないような食事だが、フロリアにしてみると、スープにはもうちょっと調味料を効かせて、ベーコンと生野菜でも欲しいところであった。
食事が終わって一服すると、伯爵が
「バルバラめが白状しおったわ。あの女がなんとか蛇とかいう呪具を使ったのだったわ」
と忌々しそうに話しだした。
昨晩、レオポルドがバルバラを専門家のところに連れて行って、夜通し尋問した結果、様々な事がわかったのだそうだ。
さすがに専門家らしく、バルバラに魔法を使わせないように、集中を欠き呪文を唱えさせないようにして、締め上げたのだという。フロリアレベルとは行かなくとも、多少なりとも優秀な攻撃魔法使いならば、非魔法使いに好きなようにされることは無いのだが、バルバラは魔道具造りではそれなりの腕であっても、自身が魔法を使うことにかけては大したことはなかったのである。
彼女の使った呪具は、彼女自身が製作したものではなく、とある"筋"から調達したもので、起動させるのに魔法使いの魔力が必要であったのだという。一旦、起動したら対象が息絶えるまで、継続的にじわじわと苦しめていくというもので、ただちに影響が現れる訳ではないので、対象の側にいても疑われる可能性が小さい。
「その"筋"というのは?」
伯爵の長男が尋ねると、
「わからん。よほど強力な闇魔法の暗示を掛けられているようで、無理をすると死亡してしまう、とのことじゃ。その他、重要なことは片っ端から暗示で守られておるわ。
だが、想像はつく」
「"あいつら"ですか?」
「おそらくは、な。よほどフランチェスカが気に食わぬと見える。
――ところでフィオリーナ嬢。君は解呪が出来ると言ったが、その言葉に修正は無いか?」
「はい。もちろん解呪できます」
「そうか。それならフランチェスカの体調も心配なので、今朝のウチに出来るものならやってもらいたい」
「承知しました」
一旦、朝食の間からは退いて、1時間後に広間に集まることになった。何をするにも大げさなことだ、とフロリアは思った。
フロリアはもう一度手順をトパーズと一緒に確認し、新情報をスマホ(型の通信用魔道具)でベルクヴェルク基地のセバスチャンに送って、特に新たな手当が必要になったりはしないのを確認した。
「フロリア様。くれぐれもご無理はなさらずに、今回は思わぬアクシデントが発生して、解呪に失敗しても、呪いの対象者に余分の負担がかかる訳ではありません。
その失敗を分析すれば次には必ず成功できますので、ご安心を」
とセバスチャンは言うが、おそらく失敗したら、伯爵は次のチャンスをフロリアに与えないであろう。
控えめなノックの音がして、今度は広間に呼び出された。
伯爵一家(伯爵と直系の子どもたちだけで、昨夜の一族の人々は居なかった)に、家宰、家庭教師、執事が数名にメイドが20名ほど。さらにレオポルドが率いる完全武装した騎士が10名も居る。かなり物々しい。
「おい、小娘! しっかりとお役目を努めよ。万が一でも不始末をしたら許さんぞ」
と、部屋に入る前に、レオポルドが目を怒らせて、小声でフロリアを威嚇する。
これから緊張を要する仕事をする者に脅しを掛けるのが伯爵に聞こえると、流石にまずいと思ったので小声なのであろう。それならば、黙っていれば良いものを、とフロリアは思った。
伯爵に促されて、フランチェスカが前に進み出る。
「フィオリーナ。よろしくお願いします」
「フランチェスカ様。気持ちを楽に、落ち着いていてください。すぐに済みますから」
フロリアは途中でレオポルドあたりに邪魔をされないように、やみ蛇の簡単な説明と、その解呪方法に付いて、説明した。
要するにやみ蛇とは呪いというより、対象者に魔力的に巻き付いて、その生命力を少しずつ奪い取る機能をもった魔道具なのである。魔道具なので機能が集中した頭部を抑えて、対象者から引き剥がして、魔力を通さないように作った捕獲用の巾着袋に入れてしまえば、それで終了なのである。
フロリアはトパーズを呼び出すと、フランチェスカの眼の前に座らせる。
トパーズの顔を見た途端にレオポルドが「お嬢様!」と叫んで、前に出ようとするが、伯爵の「控えよ!」の一喝で大人しくなる。
フロリアは、魔法金属の鋼糸にセバスチャンが特殊な効果を付与した特製鋼糸を収納から出して、自分の手の中で魔力を通し、その先端が数個、スルスルとフランチェスカに向かって伸びていくようにした。
鋼糸はフランチェスカの体の周囲を数センチぐらい隙間を開けて探るように這うが、周囲の人々には、光を反射してキラキラしているものがあるのは判るかも知れないが、フロリアが何をしているのかまでは良く分からないだろう。
「動かないでください」
とフロリア。
恐怖のためかフランチェスカは青ざめているが、フロリアの言う通り身じろぎもしない。
やがて鋼糸は、フランチェスカの右肩のあたりに集中したかと思うと、中空の見えない何かに絡みつく。そして、鋼糸の先端がフランチェスカの体から"それ"を引き剥がしていくと、それまで誰にも見えず、誰にも触れなかった、黒くて長いロープのようなものが虚空から浮かび上がってきた。そのモノは、禍々しい蛇のように見えた。
フランチェスカの体から蛇の胴体が引き剥がされるようにも見える。そのロープとも蛇とも付かない"何か"は、蛇のようにうねって逃げそうとするが、頭を鋼糸に抑えられているので、あえなくフランチェスカから剥がされてしまう。そして、その頭の部分を鋼糸の上からトパーズが前脚で抑えて、聖獣の魔力を流し込む。
やみ蛇は急に動きが鈍くなる。
「トパーズ。そのままお願いね」
そして、フロリアは収納から捕獲用の巾着袋を出して、やみ蛇の頭部にすっぽりと袋の口を被せる。
どんな仕組みになっているのか、やみ蛇はなにかの力に引きずり込まれるように、どんどん袋の中に入っていき、それと同時に頭を縛っていた鋼糸は自然と解けて、フロリアの手の中に戻っていく。
どう見ても、やみ蛇ほどの長さのものが入るとは思えない大きさの袋だが、最終的には尻尾の先まで袋の中に完全に入ってしまった。。
フロリアは、巾着の口を紐でぐるぐる巻に縛ってしまう。袋の端をもって持ち上げると、中がずっしりと詰まっているように変形する。
中でやみ蛇が暴れているのか、袋が多少ボコボコと変形しているが、破れるような気配はない。
「これで終了です。フランチェスカ様、ご気分はいかがですか?」
フランチェスカはホウっと大きく空気を吸うと、
「だ、大丈夫です。なんともありません。これまで私の体にはあのようなものが巻き付いて居たのですか?」
「はい。魔道具とは言え、呪術用ですから人の目には見えづらくなっていたのです。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、人がやみ蛇をみても、そこにやみ蛇が居るとは分からないように魔法を使っていました」
実際には、見た者の網膜にはやみ蛇は映っていても、それを脳が認識しなければ存在を感知できない。フロリアは、それをこの世界の住民にもわかりやすいように噛み砕いて説明した。どこまで聞いた相手がその説明を理解できたかは不明だが。
ともあれ、解呪は済んだとは言え、しばらく安んで、気力体力を回復させたほうが良い、とフランチェスカに言って、伯爵も「おお、その通りだ」と賛成したので、フランチェスカは自室に引き上げることになった。
「その前に」と伯爵は持ち出してきた鑑定水晶で娘を鑑定すると、「確かに疲労状態とはあるが、呪縛状態という表示は消えている」とほっとした様子で言ったのであった。
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