第126話 アンデッド
何時間経ったのか。
コッポラ老人はようやく目を覚ましたのだが、ただでさえエンセオジェンの効き目が残っている上、ザントマンによって無理に眠らされたため、朦朧としていた。
その朦朧とした状態もどれぐらい続いたのかわからなかった。
とにかく老人はやっとのことで、そろそろと動き始める。
洞窟の中に1人取り残されているのだが、フロリアが使っていた光魔法の魔道具もしまったようで、真っ暗闇である。
老人は霞がかかったような頭で、「あ、そうか。これはまわりが暗いのだ」とようやく気がついて、自前の光魔法を放つ。
弱く不安定で、すぐに消滅してしまうのだが、どうにか通路の様子が判る。
老人はよたよたと歩き出す。エンセオジェンを飲まされる前に蔓草の拘束は解けていて手足は自由に動かせたのだった。何度も転んだが、洞窟の入口近くのゴツゴツと岩がむき出しの部分ではなく、平滑な通路で小石も落ちていなかったのは、コッポラ老人にとっては幸いであった。
闇雲に進むと遺跡の奥に入り込んでしまう危険もあったが、老人は特に根拠もなく選んだ右手が正しい方角で、出口に向かってあるき始めたのであった。
洞窟のけっこう深いところまで潜っていたのだが、老人は意外に余力を残していたようであった。しばらく歩いたら、しばらく休み、何度も光魔法が切れて、その度に再び魔法を発動したり……。
そんなことをしている内に、コッポラ老人の頭の中ではフロリアとアシュレイ(サンドラ)の記憶が入り混じって、2人をいつしか同一視していた。
トパーズが変化したアシュレイの姿を20数年ぶりに見たのも、記憶の混濁に拍車をかける原因になったのかもしれない。
そしてようやく洞窟の外にたどり着いた時には、まだ日が高かった。
洞窟に連れ込まれて一日経ったのか、それともほんの僅かな時間で出てきたのか……。
コッポラは日の下でしばらく息を整えると、とにかくあの娘は他の者に奪われてはならない、と改めて思った。あの娘さえいれば、工房でゴーレムをたくさん作る生活に戻れるのだ、と考えていた。
何十年も経ったが、儂の元に戻ってきたのだ。これからはあの娘をどんどん使って、もう一度、儂の名を世界に轟かせるのだ。
ああ、もちろん、かわいがってやるのを忘れてはいかぬな。ちゃんと儂のもとに戻ってきたのだから、たっぷりとかわいがってやる。娘と一緒に……。
娘? サンドラに娘など居たか? まだ10歳をちょっと過ぎたばかりぐらいの容姿なのに、大きな娘など居る訳が無い。
くそ、どうも頭がぼんやりする。
なんかよく判らぬが、とにかく、サンドラを奪われてならぬ。サンドラを追って、兵士がたくさん毎日、山を登っていた。
どんなに苦労して山登りをしたって、サンドラは渡すわけにはいかぬ。あれは儂のものなのだから。
うぬ? 一体、何時山登りなどしたのだったか?
そういえば、サンドラはどこにいるのだ? なぜ、儂に黙っていなくなるのだ? ここはそもそもどこなのだ?
――そうして、岩に腰掛けて、ブツブツ呟くコッポラ老人の背後から、ズルズルっと音を立てながら這い寄ってくるモノがあった。
人間の形はしているが、両足が脛から下が欠けていて、片腕も欠けている。
その状態で岩山を這い登ってきたらしく、皮膚のあちこちが破れ、内蔵がはみ出している。
ソレが這った後には、血の跡が延々と続いていた。
その死んだ瞳に、コッポラ老人の背中が映った。
もはや意識はなく、ただ本能的に人を見ると襲いかかる――そうした状態になったアンデッド。
数日前にトパーズが片付けた召喚術師、ロングと呼ばれた男の成れの果てであった。
岩山の下で、両足と片腕を失い、地面に倒れたところで、逃げるオーガが行き掛けの駄賃で息の根を止めていったのだが、その後で誰もロングを処理しなかったため、アンデッドになってしまったのであった。
モリア村の村人たちは、村内の死骸はかなり時間を掛けて埋めていたのだが、離れた場所でオーガの群れを操作していたロングの死骸は見逃されていたのだ(ロングの従魔のオーガジェネラルはトパーズが収納していた)。
脚を失い、ズルズルと地面を這いながら、これだけの岩山をどうやって登ってきたのか?
普通であれば、けっこう音を立てているので、このアンデッドが近づくと普通の人間であればすぐに気がつくところであった。
しかし、コッポラ老人は半ば正気を失い、自分だけの世界しか見えておらず、ブツブツと呟くのみで、アンデッドの立てる音にも異臭にも気が付かなかった。
アンデッドは老人の後ろから、健在な方の腕で老人の服を掴む。
「ぐ、ぎゃあああ」
驚いたコッポラ老人は悲鳴を上げて立ち上がろうとしたが、アンデッドのリミッターの外れた怪力を振り払う事ができず、無様にヘタって地面に倒れる。
アンデッドは声にならない唸り声を上げて、コッポラ老人に噛みつこうとする。
「や、やめろ。なんなんだよお。ヒイィィィ」
老人がバタバタと、アンデッドを押しのけようとするが、委細構わず、コッポラ老人のふくらはぎにズボンごと噛みつく。
「ッグギャアアァァ!!」
コッポラ老人はパニックを起こして、アンデッドから離れようとするが、それも出来ない。片手しかなく、動作が遅く、意識が混濁しているアンデッドなど、普通の人間であれば捕まる前に振り切ることは難しくはないが、コッポラ老人にはそれが出来なかった。
結局はこの2体が絡み合うように、洞窟の前の広場に転がっている、という状況になってしまった。
実際には、数分程度の格闘であったが、コッポラ老人にとってはひじょうに長く感じていた。
せっかく栄光の日々が帰ってくるというのに、このまま死んでしまうのでは、とコッポラ老人が焦っていた時。
「おい、アンデッドだぞ!!」
「排除しろ!」
背後で鋭い声がしたか、と思ったら、ガチャガチャと金属音がした。
「よし。下に誰かいるぞ。アンデッドだけ始末しろ」
「はっ!」
彼らはアルジェントビルの衛士隊であった。毎日、謎の傭兵らしき者たちが岩山に登っていたという情報をモリア村で得て、調査のために登ってきたのだった。
そうしたら、アンデッドが誰かを襲っていたので、退治した、という訳だ。
衛士隊は、アンデッドの排除も仕事のうちなのだが、そもそもアンデッドなどしょっちゅう出現するようなものではない。
どうしてもおっかなびっくりでの対応になるが、それでも歩くことも出来ないアンデッド程度なら手間取ることもなく、頭を潰して処理したのだった。
「おい、……どっかの爺さんか。こっちもアンデッドかと思ったぞ。何だってこんなところに居たんだ?」
部隊長のラザーロは、アンデッドと揉み合っていたコッポラ老人の姿に眉をひそめる。この老人の方もどす黒い血に汚れ、言われるようにアンデッドと大差ないような状態だった。
「そういえば、全滅した傭兵隊に婆さんが1人と爺さんが1人いたってことだったな。あんた、傭兵隊の生き残りか?」
モリア村で聞き取りした情報をもとに衛士の1人がコッポラに尋ねる。
「名前は言えるのか?」
ヒーヒーと、苦しそうに息をするだけで質問に答えられないコッポラ老人に、ラザーロは肩をすくめる。
朦朧とした頭であっても、フロリアに対する執着は残っていて、できるだけ他人に情報を漏らさないようにという思いは健在であった。それで、何と言い逃れようかと頭を悩ませるコッポラ老人であったが、霞のかかった頭では思いつけない。
だが実際には言い訳など不要なのであった。衛士達は、聞いてみただけで老人がまともに話の出来る状態に見えなかったので、無言で喘いでいる姿を見ても隠し事をしているとは思わなかったのである。
「ま、とりあえずは、この爺さんは下におろしておけ。時間が経って落ち着けば、なにか聞けるだろう。落ち着くまで生きていればだがな」
ラザーロは、部下の内の数名に老人をモリア村までおろして、村で世話をさせろ、と命じた。
残りの衛士はラザーロに率いられて、岩山の捜査を続けることにした。
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