第119話 戦い終えて
血生臭い場所を恐れる精霊にはちょっと荷が重いので、モリア村界隈の観察はニャン丸に任せ、モンブランを労って送還すると、フロリアとトパーズは岩山に戻った。
遺跡の洞窟の前の広場まで登るのに、かなりの精神的肉体的な疲労を覚えていたフロリアは、騒音を覚悟の上で風魔法で体を舞い上がらせて、広場に着地するという方法をとった。
多少の音がしても、それを気にする人間はもう居ない筈である。
実際には普通の人間よりもかなり耳の良いデリダが「なんか音しない?」とジャンに聞いたのだが、「気の所為だろ」と返されて、それっきりになったのだった。
2人はモリア村の村人たちから離れた場所に移動していた最中で、これから一晩、野営ができる場所を探しているところであった。
広場から逃げたオーガのうち、確かに2頭は彼らが倒したのだが、まだ残りが4~5頭は近くにいるものと思われる。
野営中にそれらのオーガとかち合ってしまったら、極めて危険である。フロリアとトパーズが、その残りを片付けたことを知らない彼らは、いっそ夜通し歩いて、アルティフェクスに戻るという選択肢も検討した。
しかし、現在の疲労度、そして不思議とオーガの気配がもはや感じられないこと(魔法使いのように探知魔法が使えるわけではないのだが、訓練を通して手練の猟師に匹敵するほどの魔物に対する感覚は優れていた。だからこそ、この時点ですでに何日も野営を続けられていたのである)から、もう一泊することにしたのだ。
任務の失敗が確定した今となっては、急いで帰ったところで仕方ない、という理由もあったのだが。
「まずは俺が不寝番をする。夜中の2時ぐらいに起こすからな」
「うん。寝ぼけないでよ」
「任せておけ」
火を焚くことは出来なかったが、6月に入り、北国のこのあたりでも夜間に凍えることはなかった。
***
村人は、数時間は一箇所に固まって恐怖に震えていたが、次第に叫び声や怒声、剣をふるう音が聞こえなくなってきて、火災もやや収まってきたことを受けて、男衆が数名で様子を見に行くことになった。
1時間ほど経って、村長達が固まっているあたりに男衆が戻ってきて報告するには、すぐ近くにオーガが2頭殺されていたというのがまず第一の知らせであった。
村人達は息を呑んだが、「いや、でえじょうぶだ。おっ死んでたよ」という報告に安堵のため息を漏らした。
不可解なのは、オーガは剣や槍、矢で殺されたわけではなく、近くに血にまみれて転がっていた手斧と鍬によってトドメをさされたらしいということであった。その他、かなり鋭利な刃物状のもので顔や腕を斬られていたとも言うが、戦闘のプロではない村人たちにはどういう戦いの結果、こうなったのかを分析することが出来なかった。
村は、いくつかの家が燃えていたのだが、すでにある程度は燃え尽きていて、これ以上は延焼はしなさそうだ、ということであった。
町と違って、土地の余裕はあるので、もともと各戸はある程度離れて建てられていたし、この場所で家を建てるときには資材は石を切り出して積み上げるか、日干しレンガを積んで壁にするか。
近くの森と言っても、まばらに低木が生えている程度で、木材の柱など使っている家はない。せいぜいが屋根を茅葺きにするぐらいで、その屋根が燃え、屋内の家財が燃えたら、あとは燃えるものが無いのだ。
もちろん、家を燃やされた村人は大ダメージであるが、村そのものとしては大部分が無事に残ったと言っても良いであろう。
オーガ達が当初は統率された兵団であって、本能の赴くままに目の前の家屋に突撃するような状態ではなかったこと、そして統率が外れた段階では、半分以上の仲間がいきなり倒れ、一刻も早く逃げる状況で、やはり家屋には目もくれなかったことが幸いした。
しかし、大きな問題もある。
それは村の中央部にある大きな広場、一番大きな村長宅の前に広がる場所が戦場となり、さらにレベッカ最後の巻き添え自爆によって、40名前後の兵士達が死亡していること、オーガもこの場所に10頭ほどが倒れている。
この世界は死体を放置すると、ときにアンデッド化する事がある。
魔物であっても、人間であっても。
「そりゃあ、明日の朝から片付けにゃならねえな」
「だけど、そんな人手はなかなか用意できねえ」
「だからってやらずに放っておくわけにも行くめえよ。それに井戸もやられちまっているし、水をどうしたものか」
「とりあえず、足の達者なものを明日の朝一番で、アルジェントビルに送るべえ。代官様のお沙汰を受けなけりゃ」
このモリア村はアルジェントビルとアルティフェクスの双子都市のうち、アルジェントビルの系列に入って、支配と庇護を受けている村であった。したがって、これまでに所属不明な私兵団が村で我が物顔で振る舞っていた時には、誰かをアルジェントビルに使いに立てて、代官から役人なり衛士なりを派遣してもらい、排除すればよかったのである。しかし、リベリオ団長は自分たちがどこの所属かはっきりと言わず、むしろアルジェントビルを統括する貴族の派閥に属していると取られるような言動をとっていた。
その上、村にやってきた時点で、村にいたチンピラ共をいきなりほぼ皆殺しにしてしまい、これで村長はじめ村人達は怖気づいてしまっていたのだった。
そしてもう一つ。
うっかり町の衛士たちを呼ぶと、その害はちょっとした無法者よりもずっと大きかったりするので、迂闊に助けを求めることなど出来ないのだ。
だがさすがにこの規模の人死にが出たのに、町に知らせない訳にはいかない。
***
亜空間に戻ったフロリアはとても疲れていて、いつものようにお風呂に入るのも億劫なほどであった。
トパーズは涼しい顔をして、「これでゆっくり洞窟を調べることができるな」と言っているが、フロリアはとてもすぐに、自分の目的のために動き出す気分にはなれなかった。
モンブランの目を通して見た、モリア村の惨状。
スタンピードも体験していて、大量の魔物の死骸を目の当たりにした経験もあるフロリアではあるが、人間が40名以上にオーガ10頭以上の死骸。人間の方は、フロリアとしては別に知り合いでもなんでも無いし、むしろ自分を追い回す厄介な相手であったのだが、意識のうちの大きな部分を占領していたことは変わりない。
トパーズも四肢を切断して危険な状況に放置することで、実質的に1人殺しているが、それを責める気にもなれない。トパーズはフロリアの意思でオーガジェネラルと戦うために山を降り、その流れであののっぽの召喚術師とも戦ったのだから。
「やっぱり私が殺させたようなもの」
あのおばあさんの魔法使いは、フロリアが亜空間をほんの少し開けて、外部を覗いていたのに気が付いていたのに、それを見逃してくれた。
そして、数時間も経たないうちに、同行していた兵士たちを巻き添えにするような戦い方、実質的には無理心中に近い戦法をとって死んでしまった。
何を考えて居たのだろう。その戦法は有効でオーガの群れを半壊させている。いや、その少し前にトパーズがオーガジェネラルを倒して、オーガ達の統括を解いて、あの場所から散らばり始めて居なければ、全滅していたことだろう。
それでも、仲間の兵士たちを巻き添えにするなんて……。おばあさんはそれほどまでに兵士たちが憎かったのか? このアリステア神聖帝国では魔法使いは神隷と呼ばれ酷い扱いを受けているのは、すでに判っていた。おばあさんも、もしかして人生を通してずっとひどい目に遭わされていて、最期ぐらいは仕返しをしたかったのだろうか?
「お師匠様も、この国でおばあさんみたいに扱われていたのかな?」
フロリアの思いはそんなところまで、巡っていく。アシュレイの名前が出たことでトパーズは寝床から頭を上げてフロリアを見ると、「ちゃんと風呂に入ってから寝ろよ」とだけ言ってまた寝てしまった。
「うん」
フロリアは床に服を脱ぎ散らかすと、家事精霊のブラウニーが用意してくれていたお風呂に入る。
しばらく湯船に使っていると、少し落ち着いてきて、他のことを考える余裕が出てきた。村人に向かったオーガを倒した2人組。
この人達もどうやら自分を探しているのだということは、前にシルフィードが情報収集してくれたので分かっている。その時に、"暗部"とか任務とか、意味がわからないけど、あまり良い印象の無い言葉があったので、接触しないように気をつけていたのだった。
"でも、今日の行動を見たら悪い人たちじゃないみたい。どうやら、モリア村の近くで野営するみたいだし、明日の朝、会いに行って見ようかな"
トパーズが知れば反対するかも知れなかったが、フロリアは大量の人の死を見て、気持ちが酷く揺らいでいたのだった。この気持ちを誰かに吐き出したかった。
いくら優れた魔法使いでも、所詮はまだ12歳の少女である。そして、いくらトパーズが優れた保護者であっても、やはり人間同士の触れあいが必要なのであった。
しかし、このフロリアの考えは実行されなかった。その日の夜、フロリアはかなりの高熱を出したのである。
この回で血なまぐさい泥試合の章はおしまいです。
次の章ではいよいよ本格的に遺跡の調査です。




