第106話 逃亡3
魔狼の群れが居る方向に向けてトパーズは一心に走った。
本気を出したトパーズの走りは素晴らしい速度で、影に潜むこともせずにその身を晒して疾走したのだが、誰かがそれを見ても正確に何が通り過ぎたのかを認識出来ないほどであった。
「魔狼が30匹まではいないか。それに、兵士だろうが、2名倒れているな。1人は生きているが、長持ちはしそうにないか。そして、……ああ、木の上か。こいつは元気そうだな」
近寄ることにより、探知魔法の精度が上がる。
チンピラを追っていた3人のセルジオ小隊の兵士は、野良犬程度と思っていたところにまとまった数の魔狼の襲撃を受け、撤退を開始。
しかし、怪我をしたセルジオ小隊長にその怪我をさせた張本人を取り逃がしました、と報告するのに躊躇し、逃げ遅れてしまったのだった。
結果、魔狼と戦いつつ、撤退するという難しい状況に陥る。
武装した兵士であれば、魔狼であろうと1対1ならば簡単に遅れは取らない。決して油断は出来ない相手だが、盾は魔狼の牙や爪を防ぐし、剣は魔狼を斬り裂ける。
しかし、魔狼の本当の恐ろしさ、厄介さは集団で襲いかかってくることにある。
基本的に、魔物は通常の野生動物よりも大きく早く強く頑丈である。その代わり、仲間と連携して得物を狩ることはしない。オークあたりは数頭で群れて行動していることが多いが、戦闘になればそれぞれがバラバラに戦うだけなのだ。オーガキングが率いるオーガの群れのように、上位種が統率して命令を下す場合は別だが、魔物の戦闘は個別に戦うだけなのである。
だが、魔狼とゴブリンだけは例外である。
彼らは上位種が居ない場合でも、同等者中の第一人者をリーダーに据えて、その命令に従い、集団で戦うのである。
兵士たちも、魔狼達の波状攻撃、複数の方角からの同時攻撃に対応しきれず、1人倒れ、2人倒れ、最後の1人もそろそろ立っていられなくなっていた。
目が霞んできた頃、黒い塊がすごい勢いで飛び込んできたかと思ったら、魔狼の「キャン」という悲鳴。
あっという間に、5頭以上の魔狼が倒れている。
生き残った兵士は片膝をついて、霞む目で周囲を見る。
黒い塊は、巨大な犬? いや猫科のなにかか?
その魔狼よりもさらに一回り大きな黒い獣は、さらに数頭の魔狼を倒したかと思うと、すぐに、他の集団――1本だけ立っている木の周囲を囲んでいる――をめがけて行ってしまう。
まだ、無傷の魔狼が3頭ほど残っているのに。
その無傷の魔狼が、黒い獣を追おうとしたかと思うが、思い直したようで、生き残りの兵士に向かって襲いかかる。
すでに立てなくなり、剣を振るう力も残っていない兵士はなすすべもなく、仲間と同様に魔狼の牙の餌食になってしまう。
トパーズはその頃には、木の周りの魔狼をほぼ駆逐していた。20頭以上を倒し、最後に一回り体格が大きく、後ろに控えていたボス魔狼を倒したところ、生き残り達は「キャン、キャン」という悲鳴を上げて逃げていく。
「大した運動にもならなかったな」
一応、魔法抜きで身体能力のみで戦うという縛りプレイをしたのだが、別に苦戦もしなかった。トパーズのあまりの速度と動きに、魔狼は付いてくることが出来ず、一番肝心な連携をとることが出来なかったのだ。
それに風魔法を這わすことをしていない、単なる爪の一振りで息絶えてしまうのも不満だ。これならば、ヴェスターランドのアオモリの魔狼の方が強かった。
トパーズは木の上で、幹にしがみついてガタガタ震える男を見上げる。
「これも、さっき逃してやった男の仲間か。兵士の方もこいつらもバラけていてよくわからんな。
まあ、良い。木に登ってまで倒す程のこともなさそうだ」
そして魔狼の死骸を収納すると、立ち去ったのだった。死骸は別に放置しても良かったが、またフロリアが魔石を欲しがるかも知れないと思ったのだ。
***
ジャンがひょこっと頭をもたげて、周囲を見渡す。
「どうやら大丈夫見たいだな」
ジャンとデリダを追ってきた兵士たちをまいたようだ。
「だけど、すぐに戻ってくるかもしれないわ」
「ああ、もう街道には戻らずにモリア村を目指そう」
そして、2人はまずはモリア村とは90度もズレた方角に向かって歩き出す。
彼らの後をおった兵士たちが戻ってきても、行き合わない方角だ。かなりの大回りだが仕方ない。
意識しなかったが、魔狼が出た方角とは別方向に進んだのは彼らにとって幸運だった。岩山から逃げ延びたチンピラの方も、この方角から町を目指しているのだが、幸いにもジャンとデリダのルートと交差することはなかったのだった。
「で、モリア村の中にも入れそうに思えないけど?……」
「うん。できるだけ情報収拾をするんだ。俺たちの任務は、別にこの国の兵士や地廻りとも戦うことじゃない。フロリアを見つけ出して、一言、陛下からの伝言を伝えるだけ。それで当人が望めば、同行してヴェスターランド王国まで一緒に帰る……それだけだ。だから、あくまで無理はしないで、変に兵士たちを刺激するような行動は取らない。それで兵士がいきり立って、フロリアに危険が及んだら、何のための任務か判らなくなるからな」
ジャンは、すでに何度も確認しあってわかりきったことを、ここでもう一度、繰り返した。
デリダに言い聞かせるというよりも、自分自身のために。事実上の初任務だけに、ともすれば手柄欲しさに無茶をしてしまいそうな自分を感じていたのだ。
***
フロリアの足跡を追って岩山を登るステファン小隊はすぐに広場となっている場所に到達した。
「遺跡ってのは、ここらあたりに入口があるんだったな」
「あそこじゃねえですか、小隊長」
日の下で見回すと、すぐに洞窟の入口がわかる。別に隠してある訳ではないので、不思議はない。
ステファン小隊長は、隊の半分を自分についてくるように命じ、残り半分はこの広くなっている場所の精査を命じた。
「ほお、隠すつもりはないみたいだな」
小隊長は、洞窟の入口の地面に微かに残る足跡を見ながら呟く。
「子どもと、あとこれは獣か?」
小隊長はリベリオ団長から、フロリアの情報はある程度聞いている。なんでも、ヴェスターランド王国のなんとかという町でオーガの群れと戦った際には、強力な獣を数十頭も召喚したのだと、それを実際に見聞した老神父の報告があったそうだ。
"オーガとサシでやり会える従魔か"
「おい、従魔もいるな。十分に気をつけろ」
兵士たちは、剣の柄を握る手に力を込める。
時間がなかったので、この場所で発見された古代遺跡について、マルケス私兵団では通り一遍の情報しか持っていない。
確か、30年近くも前に見つかった古代遺跡で、久々の発掘なので、けっこう大規模な調査団が編成されて話題になったのだが、結局めぼしい魔道具も発見できずに終わったのだったな。
「そんなつまらねえところに、小娘が何の用事があるってんだ?」
先頭を行く兵士は松明を手にして、洞窟内を明るく照らす。
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