第105話 逃亡2
股間を濡らしたままチンピラはよたよたと岩山を降りていく。
後ろから2人の兵士に追い立てられて。
坂というよりも崖のように切り立った場所もあって、彼らはそうした場所では、両手も使って少しずつ降りるようになる。
兵士はそうした場所だと、軍装をして武器を携えていることもあって、交代でチンピラを監視しながら、もう一人は帯剣を外し、かぶとを脱いで、ソロリソロリと降りるようになる。
しかし、チンピラは仲間の死を眼前で見せつけられて、心が折れてしまったようで、逃げる素振りも一か八か反抗する素振りも無い。
「ったく、この程度の山を降りるのにいつまで掛かるのだ。フロリアでももうちょっと早く降りられるぞ」
トパーズは次第にイライラしてきた。
トパーズが人間であれば、このまま後をつけて、兵士たちの主力――恐らくはモリア村に居るのであろう――の様子を確認するところだったのだろうが、あいにく獣である彼は飽きてきたら、さっさとおしまいにすることを選ぶのだった。
ようやく急坂が終わり、先程チンピラたちが登る時に撤去した「立入禁止」の柵のあたりまで来たところで、トパーズは「おい」と声を掛ける。
猟師の格好で。
それまで人の気配がまったく無かったところにいきなり人間(に化けたトパーズだが)が出現したことで、兵士たちはひどくうろたえつつも、そこはさすがに無駄口を叩かずに戦闘態勢に入る。
「何だ、お前は? どこから湧いて出やがったんだ」
「どこからでもよかろう。お前たち、気に食わなくなったから、ここで片付けることにしたのだ」
「何?!」
兵士たちはぎょっとした表情になって、剣を抜く。
「驚くことは無かろう。お前たちだって、そこのヤツの仲間を問答無用で殺していたではないか」
兵士は互いに目配せすると、もはやチンピラは放置して、トパーズを左右から挟み撃ちにするように迫る。
「ふむ。まあ、チンピラたちよりはマシかな」
トパーズはそんなことを考えながら、まずは右から斬りかかる兵士の脇をすり抜けるように交差した瞬間、腕を振る。同時に鋭い風魔法が空気を切り裂き、剣を握った腕が裂け、剣を落とす。人間には不可能な速さで切り返すと、もう1人の兵士に迫り、今度は相手の顔の前で腕を振り、やはり顔面がスパッと切れて鮮血が散る。
数秒もかからずに兵士2人の戦闘力を奪うと、チンピラに「おい、お前。仲間を呼んでこい」と命じる。
チンピラは声も出せずに、トパーズにガクガクと首を振ると、背を向けて、走り出す。
兵士たちの息の根は止めない。
そのまま、トパーズも山を降りる姿を見せる。
これで、兵士は岩山を駆け上がって、仲間に報告し、仲間はトパーズを追って、山を降りてくるだろう。
亜空間にこもるフロリアを心配していないとは言え、やはり気にはなるのだ。
山から降りてみると、チンピラは一旦、モリア村の方に行きかけていたが、途中で立ち止まり、物陰に潜んで様子を伺っていたようだが、すぐに村を迂回する。数日前にフロリアとトパーズが岩山に登るために迂回したルートだ。
「なんだ。村の仲間を呼ばぬのか?」
チンピラでも数が揃えば、山に登っている兵士たちとそれなりに戦えるのでは、と思っていたトパーズは意外に思い、自分で村に近づく。
「ふむ。気配が違うな。魔法使いも居る」
村の中の気配を探知魔法で探ると、村人たちとは違う気配が20前後。チンピラでもない。しかも、その中には魔法使いの気配も2つある。
フロリアやアシュレイとは比べ物にもならないが。
そうか、兵士の仲間が村の中に居座っていて、岩山に登ってきたのは一部だったのか。
どうやら、あのチンピラはそれに気がついて、村に入るのを止めたらしい。
「なかなか、勘が良いではないか」
――そしてもう一つ。探知魔法を最大レベルまで広げたため、村の外、岩山とは反対側に多数の死にたての死体、兵士らしき気配が数名分あるのにも気がついた。
こちらも気になる。
村は魔法使いも居ることだし、捨て置いて、死体の方を見に行くか。
いつか、アシュレイは話していた事がある。魔法使いと言うものは兵士にはあまりならない。魔法使いは錬金術師に分類される"モノ"を作る魔法使い、自分自身が魔法を使って様々なことを行う魔法使い、この2つに分類される。
そして、兵士たちと行動を共にするのは、基本的に自分自身が魔法を使うタイプだ。しかし、攻撃魔法使いとなると滅多に軍に所属しない。
「安月給だし、非魔法使いの上官に危険な任務ばかりやらされるからね。軍人になるのはよほど変人。それよりも、冒険者になって自由に活躍しながら、大金を稼いだ方がずっと良いのよ。
一流の攻撃魔法使いなら、軍も無理やり言うことを聞かせられないしね。だから、兵士と行動をともにしている魔法使いは、攻撃以外の魔法やスキルで雇われているのか、よほど弱い攻撃魔法しか使えないかのどちらか。
でも、アリステア神聖帝国では、その理屈は通用しない。強い攻撃魔法使いが兵士になっている。だから、もしトパーズがいつか、あの国に戻ることがあったら、十分に気をつけてね」
たしか、そんなことを言っていた。
多少の攻撃魔法使いが相手でも、負けるつもりはなかったが、あちらから突っかかって来ない限りは喧嘩をするつもりもない。
多少、引っ掻き回してやろうと思っただけだが、やぶ蛇になるのも面白くない。
***
モリア村では、マルケス私兵団と行動をともにしている2人の魔法使い、ブルーノコッポラとレベッカのうち、レベッカは岩山から降りてきた強大な気配に気がついていた。
魔法使いではあっても、錬金術師であるコップラは何も感じてはいないようだが、この気配はただ事ではない。
老婆と言われるような年齢になる迄、様々な魔法使いと関わり、魔物もよく知っているが、そのいずれとも違う。
「人間じゃ無いのは確かなようだね。こちらを伺ってたようだから、探知魔法も使えるのかい?」
魔法を使うような上位の魔物も居ることは知っているが、これほどの知性を感じさせる魔物はレベッカの知る限りでは存在しない。
「だが、こいつらに教える義理もないかね。聞かれたら、答えりゃ良いだろう」
苦しいばかりであった人生に見切りをつけて、死に場所を探しているレベッカは、無理やり連れてこられたマルケス私兵団に何の忠誠心も愛着も無かったのだった。
***
村の前まで迂回してみると、死体はできたてだが、穴に埋められているようだった。
「お行儀の良い連中だ。13~15体といったところか」
死体になってしまったので、さすがのトパーズにも人間の死体ということしかわからない。生きていたら、全てチンピラだと気がついただろうが。
村に2人の兵士が入っていくのも遠くから視認した。1人は怪我をしているようで、もう1人がそれを支えている。
村から離れていく方向だが、街道を外れて、どこの町にも繋がっていない、疎林が続くあたりにへんな雰囲気がある。
「へえ。……こちらの方が面白そうだ」
トパーズがその方角に向けて、角度を狭めて、思い切り探知魔法の腕を伸ばすと複数の人間の気配、そして魔狼の群れの気配を感じた。
「魔狼か。大したことない相手だが、まあ良い」
トパーズはその方角に向けて一心に走り出した。
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