第104話 逃亡
「おい。そこで何をしているのだ?」
モリア村の外、山登り組以外のチンピラを自作の墓穴に放り込んでいって、最後の1人を片付けようとしていた、セルジオ小隊長は剣を構えたまま、ふと瞳を上げる。
物陰に隠れていた2人の気配を鋭く察知したのだ。
「大人しく出てこい! それとも刻まれてえのか?」
セルジオ小隊長の怒声に、他の兵士たちがその視線の先、デリダとジャンが隠れている岩陰に走る。
デリダはジャンを見ると、声に出さずに口の動きで「逃げる?」と尋ねる。
ここで逃げると、この先、モリア村に近づくのに難儀しそうではある。
しかし、この兵士たちを言いくるめるのは難しい。
せめて行商人の格好でも用意してくれば、モリア村に行く途中だと言えたのだが。
「逃げよう」
他の兵士たちが走ってくるまでの1秒に満たない時間の間にジャンは計算すると、素早く物陰から立ち上がり、後ろに向かって走りだす。
兵士たちが弓を持ってきていないし、槍も投げ槍では無いのは確認している。
デリダもジャンに続く。
「待ちやがれ!!」
兵士達も後を追ってくるが、身軽なジャン・デリダ組に対し、ここに出てきた兵士はいずれも軽装とは言え、革の鎧を纏い、かぶとを被り、剣を佩いている。
女性であるデリダにもどんどんと引き離されていく。
「畜生。馬を持ってくるんだった」
兵士達はそんなことを叫んでいる。
「あまり村から離れるとマズイ。ここでまこう」
ジャンの提案で、大きな岩を道が迂回して見通しが悪くなったところで、ジャン達は道を外れ、物陰に身を隠す。
「大丈夫? せっかく引き離したのに、気付かれたら逃げ場が無くなるよ」
「静かにしてろ。今度は、さっき気がついたヤツはいないから大丈夫だ」
2人は身を硬くして頭を下げる。
***
――10人程の兵士が、覗き屋を追跡していったが、まだ5人がここに残っている。 ステファン小隊長は、改めて1人残ったチンピラに対し、「待たせたな。それじゃあ、お前も仲間と一緒に墓穴に入れ」と改めて剣を構える。
チンピラは絶望的な表情は変わり無いながらも、このインターバルで小隊長に魅入られたように立ち竦むだけという精神状態からは脱していた。
先端が仲間の血で濡れたスコップを思い切り、小隊長の顔に向けて投げつけると同時に、後ろ向きになって走り出す。
数メートルの距離で飛んでくるスコップを、セルジオ小隊長は剣で受けるべきか避けるべきか、ほんの一瞬、躊躇してしまった。剣で跳ね飛ばすのが安全だったが、せっかくの高価な剣がこんなスコップなどで欠けたり、まかり間違って折れたりしたら、目も当てられない。
それで、避けることにしたのだが、彼の実力からすると考えにくいのだが、スコップの先端が彼の額をかすめるように当たってしまったのだった。
「クッ!」
声にならない声を上げて、セルジオ小隊長は片膝をつく。直撃ではなく、かすめただけだが、部下たちと違いかぶとをかぶっていなかったために、額を切って流血していた。
部下たちはすぐに怪我をしたセルジオ小隊長の手当をする組とチンピラを追う組に分かれる。
それで、3名の兵士がチンピラを追跡することになった。
「クソっ、油断した」
怪我をしたセルジオ小隊長はすぐに立ち上がろうとしたが、眩暈を覚え、再び片膝をつく。なんという体たらくか。
こんなことで、貴重なポーションを使う訳にはいかないが、地面を掘ったり、他のチンピラを殴って血がついているスコップの先で怪我をしたのである。
この世界でも、経験則的に感染症のことは知られていたし、大薬師如来と名乗る七大転生人の1人にも数えられる、有名な薬師による消毒薬のレシピが生まれ、これは大陸中で広く使われていた。 その軟膏を傷口につけ、眩暈が治るまで休むことになったセルジオ小隊長は、すぐに手当組の1人にモリア村に戻って、リベリオ団長に報告するように命じた。
本来であれば、他人の血がついた得物で怪我をしたのだから、軟膏程度の話では無いのだが、それに対応できるポーションとなると、彼には持ち合わせが無かった。リベリオ団長なら持っているだろうが、部下のために使うには貴重品過ぎるのであった。
逃げたチンピラは意外に足が早く、追跡組はなかなか追いつけなかったが、それでも次第に追い詰められつつあった。
街道は、ジャンデリダ組を追った兵士たちが前方にいるので、彼らが戻ってきたら挟み撃ちになる。
したがって、街道以外の道なき道を走る必要があったが、普段鍛えておらず、履物も町中用。
すぐにペースが落ちてきたのだった。
追跡している兵士たちは心得ていて、声をだすことで無駄に体力を消耗するのを避けるため、無言で追ってくるのだった。
チンピラは足がもつれそうだが、どうにか走り続けていたのだが、前方から、吠え声が聞こえた。複数の吠え声。
挟み撃ちを避けた筈が、野犬か狼か魔狼かわからないが動物の群れと兵士の挟み撃ちになってしまったのだ。
「何なんだよお! このあたりには野獣とかいねえって話じゃなかったのかよお」
チンピラは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、叫ぶ。
畜生、どうすりゃあ良いんだよ。死にたくねえよ。こんなことで死にたくねえんだよ。
そのチンピラの視界に一本の立木が頼りなく立っているのが入ったのだった。
チンピラは、モリア村では無いが、アルジェントビルの近くの小さな村で育ち、早く両親を無くして、食い詰めて町に流れてきた男で、村での悪童時代にはよく木登りしたもので、狼や犬はあまり木登りが得意でないことを知っていた。
後ろの兵士たちが先に到達したら、木にしがみついたチンピラは石でもぶつけて落とす、格好の的になりそうだが、もう他の方法を考える気力も無かった。
10年振りぐらいの木登りは、靴が合わないこともあって登りにくい。
一番下の枝にしがみついて、地面を見るが、この程度の高さでは狼のジャンプが届くだろう。両足の靴を脱ぎ捨てて、もっと高い枝を目指す。
兵士たちも犬の遠吠えは聞こえている。
チンピラが犬の餌になる前に確保して、引き返したいところだが、少しマズイかも、と思っていたところで、荒れ地に一本だけ立った、ひょろ長い木の上にチンピラがしがみついているのを発見した。日が落ちていたら見逃したかも知れないが、今の時間帯なら見逃す訳がない。
兵士たちはバカにしたように笑う。
「おい、おりてこい。せめて楽に殺してやるから」
このまま放置しても、野犬の群れからは逃れられないであろうが、首を持ち帰らないとセルジオ小隊長に怒鳴られる。
と思いきや、やっと視界に入った群れは野犬でも狼でもなく、狼よりも2周りは大きく、強く、そして狡猾な魔狼の群れであった。
「くそ、野犬じゃねえのかよ」
「けっこうな数が居るな」
3人の兵士たちは剣を抜いて、迎撃体制を取る。
魔狼達は、ボスの命令一下、木の下を囲んで、チンピラを狙う組と、兵士たちを追い詰める組に分かれる。
この組織だった動きに、兵士たちの顔は歪む。
「仕方ねえ。あいつは捨てて、逃げるぞ」
しかし、魔狼の攻撃を躱しつつ退却するのはかなりの難事であった。
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