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コスモ・パラソムニア  作者: ののひ
開拓船カールプ
6/15

ニレ・ヴァルナ=マービルテイルの口移し



「げほッ、ゲホッ……!」


 咳が止まらない。金属の床にへたり込んで、何とか呼吸を

整えようとする。


(あ、でも、体が動くようになっている?)


 自分の意志で動かすことは到底できそうにないけれど。


離へふぉフェハ(はなれろシェナ)!」


 吠えるような声がして、同時に床がぐわんと揺れた。


「みぎゃッ!?」


 すぐそばで短い悲鳴が上がった。風が通り過ぎて、少し

離れたところから衝突音。色々な密度の物ががらがらと

なだれ落ちる音がする。


(何が、起きたの?)

「……ぅ、ゲホッ……!」


 確認したいけれど、その余裕がない。吐き気まじりの

呼吸に耐えるので精一杯だ。

 目の焦点が少しでもずれようものなら、たちまち眩暈(めまい)

飲み込まれて気絶してしまう気がする。命綱にしがみつく

思いで、必死に床の一点を見つめる。


(知らなかった。呼吸がこんなに大変なことだなんて……)


 息を長く強く吸えば、胸と背中がずくずく痛む。息を短く

弱く吐かないと、大事な物が口からこぼれ出してしまいそう。


「おい、なあ、アンタ、おい」


 誰かが何か言っている。

 心臓さえ重い。倒れそうな上半身を支えるボクの腕は、

思っていたよりも細くて生白い。ガクガク震えて、気を

抜いてしまったら、たちまちへにゃりと崩れてしまいそう。

 顔に貼りつくぬらついた髪が恨めしい。むしって投げ

捨ててしまいたい。ちょっと恥ずかしいポーズになっている

脚を正すこともできない。なさけない。

 もう一度床が揺れたら、冗談でなくボクは死んでしまうかもしれない。

  

「おい。おい!」


 まだ誰かが何か言っている。


(そうだ、きっと椅子に座っていた金髪の人だ……)


 すぐ近くにいる。背中しか見えなかったこの人は、どんな

顔をしているんだろう。気になるけれど、こちらの顔を

上げる力が出ない。首をだらんと前に倒すしかできない。

 そういえば、大きな目の子は、どこにいったんだろう。


「おい答えろ。大丈夫か、おい」

「うあ……!?」


 後頭部に、たぶん棒の先端みたいな物がぐっと押し付け

られた。


(何か、何か答えなくちゃ)


 床に顔を向けたままで声を出す。


「だ……がひ……」


 うまくいかなくて、絞りだすような汚い音になってしまう。


「だ……だひ……だひぃ……ひぃっ」


 あ、駄目だ、無理。会話をするなんて、こんなに弱りきった

体じゃ難易度が高すぎる。


「うぁっ」


 肘が勝手にかくんと曲がった。肩から崩れ落ちてしまう。


(……頬っぺに当たる金属床、あったかいなぁ)


 水底で冷えきった体が、ほぐれていくみたいだ。もう

このまま眠ってしまいたい……。


「おい、しっかりしろ、おい。おい、大丈夫か、なあ」


 声はボクを心配しながら、威嚇してくる。1度は離れた

棒の先端が今度はこめかみに当てられた。眠っている場合

じゃなかった。


「らひ、ひょふ、れふ……」


 舌がまわらない。何だか声もおかしく感じる。


「喋ってんのか。喋っているつもりか、それ。まさか

 鳴き声じゃないよな。 

 モンスターみたいに鳴いてるつもりじゃ無いよな?」

「しゃへ……へっ、へえぇ」


 喋っているつもりだけれど、息が声にならない。腰から

二つ折りのうつ伏せになったせいか、呼吸はいくらか楽に

なったけれど、それでも無理だ。

 涙が止まらない。


「アタシの言葉が分かるんだな? 分かるって言え!」

「分か、分かひ、分かひま……」


 どうにか答えないと、とんでもないことになる気がする。

さっきから押し当てられている硬い物が銃とかだったら、

ズドンとやられてしまうに違いない。

 やぶれかぶれに叫ぶしかない。


「分がひまひゅ!」


 部屋が静まり返った。


「……」


 相手の反応が待ち遠しくて、恐ろしい。

 口の端からぬるい涎が垂れて、床と頬との境界を埋めていく。


「……よし」


 こめかみから棒の先端が離れた。

 よかった、助かった。バターが熱い鉄板の上で溶けるよう

に、ボクの体から力が抜けていく。


 ボサッ


 と、布が被さってきた。そそけ立った感触に背中を撫で

られる。

 くすぐったさに戸惑っていたら、両肩を掴まれて勢いよく

反り起こされた。布に守られた背中と頭が壁にぶつかる。


「ぅぎぇっ」


 なんでいちいち乱暴なの……。

 呻き声を上げたボクを、二つの目が真っ直ぐに見つめてくる。


「……」


 この部屋のたった一つの椅子に座っていた人は、はたしてやっぱり女の人だった。

 やんちゃな子供っぽさが残る綺麗な顔。鋭角に尻上りの

上まぶた。青い瞳は晴れた空を映す水面のようで、けれど

純度の高い炎にも思える。しっとり乱れた金色の髪が、

白い額に散らばっている。 

 頬っぺたに食べかすがついている。


「名前」


 上半身裸の金髪の女の人は、ボクの頬をむぎゅっと

挟んで、顔を近づけてくる。


「名前は言えるか、アンタの名前」


 名前。《一 年生》。

 

「ひ、にほ……」


 にのまえ。……本当にそれで合っているのかな。

 自信が無いけれど、言うしかない。この人の言うことに、

ちゃんと答えないといけない。じゃないとズドンとされる

かもしれないし、それに、根拠は分からないけれど、乱暴に

されてもこの人に従うことに抵抗感とか嫌な感じがしない。


「に、ほぁ、へぇ……」

「うん?」

「にの、まへ……にほ……え、にの、え。にのまえ。

 にのま……え……!」

「にのまえ。ニノマエでいいのか? ああ、いい、無理に

 頷こうとすんな。ニノマエだな、分かった。後は?

 名前はそれだけか?」


 まだだ。名前。にのまえの次……


《年生》


 え、何これ。どう読めば良いの。

 ねんせい。ねんなま? ねんう、としなま、何これ。

としき、ねんな……ねにゅー? 


「と……ね、な……ぁ、あっ……」

「分かった、ごめん、無理すんな。とにかく、アンタは

 生きているな?」


 涙まで流して喘ぐボクを見かねて、金髪の女の人が

言った。生きている、そう答えたいのに、言葉が胸の奥から

上がってこない。


「あ……は、ぃぇ。い、ひへ、ぁ……っ」

「うん、生きてるな」


 金髪の女の人が力強く言った。


「生きてるよ、生きてる。生きているんだアンタは。

 なあ?」

「はひ……はひ、ぃ……!」

「よし」


 ボクの肩を掴む手が離れた。背中が壁をずり落ちていく。

 ほとんど無理やり答えさせられてしまったけれど、

返ってきた「よし」という短い言葉が頼もしい。


「立てる? 無理そうだな」


 金髪の女の人がしゃがみ込む。分厚い手袋を噛んで、

串焼きの肉を千切るみたいに外してから、ほっそりした

両手をボクの頭に添えて持ち上げる。


「口、もう少し開けろ」

「……へ?」  

「開けなよ。応急手当してやるからさ」


 この人に任せれば大丈夫。そんな気がする。不安は

消えないけれど、言われるままに口を開く。


「初めてだったら、ごめんな」

「はえ?」


 女の人がおもむろに首を傾けたかと思うと、いきなりボクの口にかぶりついてきた。

 口の中に、湿った熱い息が流れ込んでくる。


「………!? ~~っ!?」


 これが応急手当……キスだ!

 首から上が一気に熱くなる。

 キスされてる。というより、食べられる骨付き肉みたいな

気分だ。野生のキスだ。野生のキスって何だろう。

 舌に舌を絡め取られて、下口蓋に押さえつけられる。口の

奥に熱い息が送り込まれてくる。フルーティーでこってり

したソースの香りがする。

 金髪越しに、空っぽになった椅子の背もたれが見える。

大きな窓の向こうに、明るい夜の海と空がひろがっている。

それが全部滲んで、キラキラしてくる。

 フルーティーでこってりしたソースの香りがする。お腹が

すいた。キスしてる。うわぁ。 

 お腹の底まで息が届いた。体じゅうがグルグルする。指の

先までくすぐったい。優しくて、安心する。意識が蜜に

なっていく。キスしてる……。

 と、唇が離れた。


「あ……」


 とろんとした声が漏れた。ボクの声だ、気持ち悪い。


「うん。まあ、このくらいしとけば大丈夫だろ」


 金髪の女の人が小さく頷いて言った。

 ボクはそれどころじゃない。


(キスされた)


 たぶん初めてだった。あっさりすぎて、感触を思い

出せない。呆然と唇を撫でる。濡れている。


(……あれ?)


 空気がおいしい。

 そんな余裕を持てるくらいに呼吸が楽になって、ボクの

体に力が戻っていた。唇が冷えていくのを感じながら、

金髪の女の人が立ち上がるのを見上げる。

 彼女は背中を向けて、椅子の方へ歩き出していた。

 

「おい、シェナ、こいつの体を暖めといてくれ」


 シェナ……?


(あっ。あれかな)


 部屋の隅の、どう見てもガラクタの山から、褐色の脚が

二本突き出ていた。  

 




■マービル


深い森に住む、人間によく似た姿の妖精。

口移しで元気を分け与え、行き倒れた旅人を助ける。

心豊かで、中には助けた人間と恋に落ち、子供を

つくったものもいる。

大昔、心無い人族や魔族の軍隊によって乱獲され、

今では純粋なマービルはトレーデン大陸いずこかの

原生林に、わずかに残るのみという。


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