まどろみオブザデッド
ぼんやり死んで、ぼんやり生きる。
たぶん、そんなお話。
星ひとつない。
上も下も、どこもない。
底なしのような、どん底のような、真っ暗やみ。
遠くで何かがざわめき始めた。
(ああ、この感じ)
自分がいま、眠りの中にいて、それがもう終わりかけてい
ることに気がついてしまった、この感じ。
(やだ、やだ)
必死に眠気にしがみつく。
(お願い。あとちょっとだけ、こうしていさせて……)
音も形もなかった、もやもやとしていたざわめきは、しだ
いに大きくなって。
ついには、砂漠の街の、白昼夢のパレードのような存在感
を持つようになった。
(やだってば。おねがい、どこか行ってよ。そっとしておい
てぇ……)
でも、そう念じれば念じるほど、ソレはだんだんこちらに
近づいてくる。なんて、いじわる……。
ついには、辺りがお祭り騒ぎの大音量になってしまった。
いま目を覚ませば、明るく楽しい一日が待っている──。
そんな気がしてくる。
(ううん、そんなわけないない。今日も起きたところで、ど
うせしんどい一日が待っているだけですよ。意識を捨てて
眠っていられる時間が、一番の幸せだもん)
陽気に踊る弦楽器。
高らかに歌う木や鉄の笛。
シャンシャンと気持ちをかき乱す、たくさんの鈴。
音、音、そして声、さらに音。
こちらは眠っていたいっていうのに。
ギィコギィコ
ヒョロリ、パブー
シャンシャンシャンシャン
ガヤガヤ、ワァワァ
あぁ、もう。もう……!
(うるさいってば!!)
たまらず目を開くと、みんな、煙のように消えて
しまった。
(……)
ずっと高いところで、魚影がのびのびと入り乱れて、いく
つもの渦模様を描いていく。
その向こうにゆったりとかまえる、水面越しの丸い光、太
陽が、燃えるように青白い。
その景色を、暗い水の底で、独りで仰向けになって見上げている。
(いつもの日課、はじめ)
目が覚めたら必ずすること。自分が何かを確認する。た
だ、それだけ。
(私は……ええと、僕だっけ?)
「ボク」で良いかな。ボクの名前は……あれ?
(嘘でしょ。ボクの名前、なんだっけ?)
ボクは人間だ。人間で、そして、
(えーっと……他に何かないかな、思い出せること)
何かの記憶がよみがえる。
朝から煮えたぎる夏の空気。汗だくになって握る自転車の
ハンドル。青空にかすむ白い月。
人間の平均寿命がいよいよ200歳に近づいて、赤道上空
のどこかにつくられる予定の、国際基地の名前が決まったら
しい。
風車つきの白い教会と、海に鳴る鐘楼。誰かのハンカチが
黒炭みたいなアスファルトに置き去りになっている。
……つい最近か、何年も前のことか、はっきりしない。
(もうどのくらい、こうしているんだろ)
時間の感覚が死んでしまうくらい、この水底で、眠っては
起きてを繰り返していた。
体は指一本動かないので、水底から遠い景色を眺めながら、
こうして考え事をするくらいしか、やることがない。
(こんな状態のボクを、人間って呼べるのかな……)
たぶん大事なのは、ここに来る前の記憶なんだろう。
(ここに来た理由は……あはは、だめ)
思い出せる気がぜんぜんしない。
眠るたびに、ただでさえ少ない記憶がじんわりと滲んで
薄れているみたい。
『一 年生』
……ああ、やっと、頭の中にボクの名前らしいものが
浮かんだ。
(どう読むんだったっけ)
文字だってことは、分かるけれど。
(ああ、うわぁ、これはちょっと)
まずいことになっているねぇ。
この調子だと、いつか考えることまで忘れてしまうかも。
そして、ついには、ボクがボクだってことも、分からなく
なって……。
背筋が震えた。
(ううん、だめ、だめ。こんなこと考えていたら気が狂っち
ゃう。物事は前向きにとらえるものだよ)
前向きに、逃避しなくちゃ。
(ほ、ほら、こういう暮らしも、じつは悪くないかも
しれないよね?)
水の中なのになぜか苦しくないし。いろんな魚がいて、
見ていて飽きないし。人付き合いのこととか将来のこと
とか、人生の宿題に追われることだってない。
心は波風立たず、平穏の中でじっとしている。
(いっそこの際、昆布やワカメにでも生まれ変わったと
割り切ってしまうのはどうかな?)
なんだか胸の中がモヤモヤするけれど。
(だ、大丈夫、大丈夫。前向き前向き)
現実を仕方なく受け入れることも、きっと、現実を変える
ために努力することと同じくらい、大事なことのはず。
(昆布かワカメか。ウミブドウやモズクも捨てがたい
よね。でも水深が結構あるみたいだし、手堅く紅藻か
渇藻類なのかな。だったらもう欲張って、海藻の王様
アカトサカ……って、どうしてこんなに海藻に情熱的なの、
ボクは)
くよくよ考えていた、その時だった。
『うわぁ……っ! ねぇねぇ、何だか生きてるみたいだよ!』
『おー、中身はどこかでそうかもな』
ゆらりと、ふたつの人影が目の前に泳ぎ出て、そんなことを
言った。
『じゃあ、死んでるの?』
『ヤドカリの捨て家を死体って言うなら、まあ、死んでいる
ってことで良いんじゃねぇの?』
『ホトケサンかー』
『何だそりゃ』
二人ともぴっちりした潜水服のようなものを着て、
ヘルメットのような丸い物をすっぽり被っている。
ヘルメットは不透明で、中の様子が分からない代わりに、
表面に何だか見覚えのある顔を映していた。
重たそうな黒い髪。その下から覗く、濡れたサンドイッチ
の幽霊みたいに青白い、ぼんやりした顔。
……これが、ボクの顔?
『お肌、白くて綺麗だなぁ。本当に生きてるみたい』
二人のうち背が低い方の人は、女の人みたいだ。けっこう
年下かもしれない。
『アプニアは腐らないからな』
背が高い方の人も、やっぱり女の人だ。こちらは少し
ボクより年上っぽくて、ちょっとぶっきらぼうな感じ。
……アプニアって何だろう。ボクのことをそう呼んでいる
みたいだけれど。
『どうしてアプニアは腐らないの?』
『それはだな……ええと、何だっけ。まあ開拓入門書にでも
書いてあるんじゃないの? それか、ケケお嬢様あたりが
知ってるかもな。しかし、ここまで綺麗に死んでいるやつは
初めて見るなぁ』
死体のことを、アプニアって呼んでいるみたいだ。じゃあ
ボクは死んでいる? 眠ったり、起きたり、こうして
考えたりしているのに。
(そんなことあるわけ無いよね。でも……)
水の中で苦しくないだけじゃなく、思えばここに来てから
ずっと何も食べていない。生きているより死んでいるって
言った方がしっくりくる。
……嫌だけれど。
『綺麗なアプニアは珍しいの?』
『ああ。普通はどこか千切れていたり、食われていたり
するもんだよ。へへへ、こりゃあ良い値で引き取って
もらえるかもよ?』
背が高い方の人が、顔を近づけてくる。
『ごめんな。お前は地上に帰れない。他のお前たちと
同じように、ドロドロの光の粒になって、魔法の夢の空に
溶けていくんだよ……』
表情はヘルメットの奥で分からない。子供を寝かしつける
ように、優しい声だった。
『ほい、それじゃあ作業開始ー』
紐のような物がぐるぐると、小さなボールのような物が
ぽこぽこと、ボクの体に取り付けられていく。脚を揃えて
縛られて、くるぶしの内側同士がくっつく。
(不思議な気分。誰かに触られるのは、すごく久しぶり)
と、ボクの胸の奥で縮こまっていた何かが、じんわりと
溶けだすのを感じた。しだいに、その熱が顔までのぼって
きて、目の奥が優しく温められる。
(あ、これって……)
気がつくと、つめたい水の底で、ボクの目からあつい涙が
あふれていた。
(ボク、泣いてる……)
つぎからつぎに、じわじわと、涙は止まらない。
(ああ、そっか。そうだったんだ)
ずっと、誰にも見つけられずに、ひとりぼっちだったん
だもの。心細くて、怖くて、寂しくて、それがいつまで続く
か分からないなんて、つらくないわけないよ。モヤモヤの
正体は、これだったんだ。
心がくしゃくしゃになっている。もしもこんな状態じゃ
なかったら、顔もくしゃくしゃにして、ボクは汚い呻き声を
上げているんだろう。
『ホットケーサンー。ホットケーサンー』
鼻に引っ掛け気味の幼い声が、可愛く歌っている。
『おう、ホトケサンホトケサン。いったい何なんだよ
ホトケサンって。よーし、歌いながらで良いからお前も
手伝え。リフターガジェットの付け方、実践編だ』
『はーい。ホットケー、ホットケー、ホットッケー』
『なんだか甘いものを食べたくなる歌になったな』
ボクの体に何かを取りつける手が増える。背が高い方の
人と比べて、少し危なっかしい手つき。
『もうちょいゆっくり。歌っていても、作業は繊細、
精確に、だぜ?』
『はーい。(ホットケー……ホットケー……)』
歌声が囁くように小さくなる。
『歌は元気なままで良いんだよ』
『えー。難しい注文をつけるねぇ、ニレは』
『慣れていきな。掃除をしながら七日分の夕飯の献立を
考えられるくらいにはなっとけ』
(ああ、こんなときに……)
眠たくなってきた。
もう少しだけ起きていたい。この人たちの会話を、
聞いていたい。
そんな気持ちなんてお構いなしに、ボクのまぶたは
だんだん落ちていく。
『……あっ、目を閉じた! やっぱり生きてるんだ』
『揺らしたからそうなったんだろ。よし、上に信号送るぞー』
『はい、はーい! その前に提案です! このホトケサンを
お家に持って帰りましょう。シェナの部屋で
ペットにするのです。賛成!』
『お化け屋敷でもつくるつもりかよ。ハンタイだ反対!』
『えーッ!』
どうか、次は早起きできますように。そう思ったのは
いつ以来だろう。
[開拓冒険メモ]
■『マギャコ11式開拓冒険服』
開拓冒険者が着る安価な服。
防御力+3、魔法防御力+5。男女兼用。
地上での運用不可。
基本サイズは6種類、相談により融通がきく。
・火の中でも水の中でも活動可能(その際は
装着者か内外タンクの魔力を消費します)。
・中型武器まで扱える超小型空気圧縮魔器内臓。
・下級基礎魔法補助機能内蔵
(装着者の体質や、得意な魔法属性により差異あり)。
・基本的な多種環境下での採集作業用アイテムと接続可能。
・水中で会話できる魔法フィールド、基本半径50。
装着者の魔力に応じて増加。最大500。
・カローバ機能付与可能(専用ポケットに入る限りのアイテム)。
※公社戦利保険の契約が必要。
開発は開拓公社公認E級の新鋭工房、
底辺冒険者たちの強い味方、《マギャコガジェトロニクス》。
若年冒険者を中心に、デザインがクソダサい上に
体にピッチリしすぎで性搾取的であると苦情が
相次いだために、生産は早々に打ち切られた。
しかし、一部では《マギャコ11式改怒》や
最新の《マギャコ13式》よりも人気がある。