第6話
***
悪魔へ
「親愛なる~」なんて付けないわよ。
別に親しくないもの。
これを読んでいる時、私は生きていないでしょうね。
でも、アンタがいつも目的について訊くから……一応手紙に残しておくわ。一応よ。
私の目的は《死と女》。ルーカスという作者の絵画を一目見るためよ。
どう驚いた?
たったそれだけの為に旅をしている。別に救いを求めてとか、そんなんじゃないわ。あの絵は曽祖父が所有していたもので、ある時お金に困って手放したそうよ。それから曽祖父、祖父、私の父はこの絵の出所を探していた。表に出ないでずっとブラックマーケットで売り飛ばされてたらしくて……。
東の国のある美術館にあると分かったのは偶々だった。任務の途中、ネット回線が生きていたパソコンで調べていたら、この美術展のページを見つけたのよ。すごいでしょ?
ただ生き残るためだけに戦っていた私は、生き甲斐がどんどんあやふやになって来た。だから実物を見ようと思い立ったの。
曽祖父や祖父、そして父が見たものを私も見たい。
ただそれだけ。
その道中、悪魔と出会ったわ。
一人旅より幾分楽しかった。話し相手としてね。
それじゃあ、元気で。
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悪魔は彼女の遺した手紙を読んで──笑った。
こんなに笑ったのは、いつぶりだろう。
「時よ止まれ」と口にした博士との賭けに勝った時だろうか。
あの時と異なるのは賭けに負けた事と、視界が歪んで見える事だった。
いくら狂言回しとして活躍する今日であっても、こんな感情が自分の中にあったことに悪魔自身が驚いていた。
「ああ。……なるほど。ようやく僕にもこの言葉の意味が分かった気がします。『望んでいたものを手に入れたと思い込んでいるときほど、願望から遠く離れていることはない』ゲーテの言葉でしたか」
ただの娯楽、遊戯だった筈なのに。
この胸の苦しみを愉悦と片付けられるというのに──悪魔は噛み締めていた。
「ああ、様々な感情が溢れ出てくる。……人間は《この感情》になんと命名していたでしょうね」
***
二〇××年十二月二十四日、志部谷
天使と悪魔の戦争が激化し、それは人間をも巻き込み地上を煉獄へと導いた。どちらも人間が引き金であり、人間がより状況を悪化。
それゆえに人は罪を犯すとその肉が腐り落ち、身も心も腐敗した存在──腐った死体となって世界に溢れ出した。
有象無象。制限なく溢れるのはそれほど人間が罪深い存在なのだろう。それを狩るのが──修道女の務めとされた。
「……って、それよりシスター」
「なによ、悪魔」
ゾンビを容赦なく制圧するシスターは、藍色の紳士服に身を包んだ悪魔に声をかける。
「ここから一駅先に波良十九というクレープが美味しい店があるらしいのですよ。ぜひ、一度食べてみたいと思いましてね」
「あー、じゃあ一人で行って来たら」
取りつく島もない。
即答され、悪魔は仰々しく項垂れる。
「いいじゃないですか~。クレープぐらい一緒に食べてくれたって」
「なんで悪魔と呑気にクレープ食べないといけないのよ。あと、たぶんアンタはクレープって、お皿で出てくると思っているでしょう?」
「ええ!? 違うのですか?」
「違うわよ。この国では巻いてあって、片手で食べるらしいわ」
「じゃあ、なおさら食べに行かなくては。これでも私、グルメなんですよ」
どこからかナプキンを取り出す。そのうちフォークとナイフも取り出しそうな勢いだった。
「……なんで今日は一人称が『私』なのよ?」
「ん~、時間を巻き戻したことによる変化? いや気分?」
「意味不明ね。まあいいわ。勝手に一人で行ってらっしゃい」
「え、ちょ──あ。貴女の探している絵画なら、録本貴に無いですよ」
「!?」
悪魔らしい囁きに、シスターの顔色が変わった。
眉を吊り上げて、睨みつける。
「……なんでアンタがそれを知っているのよ?」
「悪魔ですから」
「そう」
「ちなみに、絵画の場所を移したのも私です」
「は?」
けらけらと笑う悪魔に、シスターは銃へと手を伸ばす。
「ヒント、あげても良いですけど……」
悪魔が何を言わんとしているのか、シスターはなんとなく察した。いや、だから最初にクレープが食べたいと言い出したのだろう。
「……はあ。わかったわよ。クレープを食べに行けばいいんでしょう!」
「そうです。その通り」
悪魔はどこかホッとしたように笑った。