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「ただ、眠りたかった。」  作者: 月乃 爽。
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平凡に紛れる、私の平凡

平凡に生きてきた私のちょっとだけ波乱万丈気味なお話です。

世の中に潜む平凡を1冊の物語でお届けします。

※この物語は実話を元にした半分フィクションの作品です。大半の人物や団体はフィクションを織り交ぜています。



いつの日か眠れなくなった。

物心ついた時から深夜3時に夫婦喧嘩が聴こえていた。

母は夜中に帰宅していつも仕事先のラウンジのスタッフと電話をしては大きな声で愚痴を溢していた。


私はきっと待望の女の子で、生まれた時の写真はそれはたくさんあって、どれも親戚や両親の笑顔に包まれて抱き上げられていた。


母は見栄っ張りでとても女という性に理想の像と古典的な価値観を持っていた。幸い昨今では馴染みのない価値観へと変化を遂げているような、そんな理想を、母は抱いていた。


私はひとりっ子だった、幼稚園に通う頃には一人で留守番をしていたと思う、小学生に上がる頃には寂しいと言う気持ちや母に構われたい一心で玄関で眠りについて熱を出したりもした。


ピアノやテニスの習い事にも通わせてくれていた、でも私はその時ピアノなんかどうでも良かった。裕福ではなかったので私を完璧に育て上げる計画のために習い事にお金をかけていたのだろう、漫画やおもちゃは小学生で卒業しろと言われるようになった。


2年に上がる頃だった。

ピアノより、テニスで体を動かすほうが楽しく、毎週楽しみに通っていたが家計が苦しくなってしまったらしい。硬球のスクールで生徒が講師に怪我を負わせてしまった不慮の事故なども重なり、居心地の悪いままやめることになってしまった。


この頃から夫婦喧嘩が酷くなった。


料理人の父親は平日によくラーメン屋に連れて行ってくれた、私は父親が連れて行ってくれる、ボロボロで漫画雑誌のおいてある中華そばがベースのラーメン屋が大好きだった。

あとは決まってレンタルビデオ屋でアニメを借りて、休日にはカラオケに連れて行ってくれた。私はレンタルしたビデオのアニメをカラオケで歌い、父親はいつもいつも与作を歌っていた。


母親と出かける日も私の平日の留守番を支えるため決まってレンタルビデオ屋に通っていた。

私はずっとカートゥーンやアニメの有線とレンタルビデオに育てられていた。

それが寂しいことだと思うことは無かった、裕福ではないにしろ2021年の先取りのような充実なホームステイを過ごしていたんじゃないかと今では思う。


そう、私は留守番がとても上手だった、小学生の低学年時は成績だって良かったんじゃないかと思う。


でも…駄目だった、

夫婦喧嘩は減らなかった。

喧嘩はほぼ毎週起きるようになったし、ある日母は父親に向かってFAXのついた電話を投げた。


父はずっと「子供が見てる」「落ち着きなさい」と声を荒らげることなく母にも絶対に手を挙げずただ毎晩向けられる母からの罵詈雑言を受け止めていた。


私は、暗い部屋でただわけもわからずに怯えて、バレないようにテレビをつけて喧嘩が収まるのを待つようになった。なぜかリビングへ出るような真似はしなかったしなぜ喧嘩をしているのか私から聞くことはなかった。


物が割れて飛び交っても不思議と涙は出たりしなかったし、うるさいと怯えるようなこともなく、

私はただ喧嘩が起きるたび静かにTVの世界へ逃げていった。


そんな生活が続いていくに連れて、喧嘩が起きない日にも母が帰宅するときのヒールの音や電話で起きるようになってしまった。

自ずと私は、朝に弱くなった。


母親は深夜に仕事をしていたため、朝は私を起こすとすぐに寝付いていた。私が遅刻をするようになるのはそう遠い話ではなかった。私は次第に昼まで眠りにつくようになり、学校へ行っていない私に気づいた母の絶叫で目を覚ますのが日課になった。


今となっては何が原因かハッキリしてるが、子供の頃はさっぱりよくわからなかった、突然寝付けなくなったと思っていたし眠れない時間はアニメを観てしのいでいた。

学校に行く足がどんどん重くなり、授業中には起きられなくなった。


ここでもう一度言うが、私の母親は見栄っ張りだ、出かけるときはいつも発表会や入園式のような服を着せられた、習い事だって完璧な理想像の上だったのだろう、母は片言ではあるがバイリンガルであったため、勉強も得意だと豪語していた、そんな自分の娘が学校に行かない不良だと言うことが耐えられないと言うようになった。


私はそんな気も知らず自分がどうしてこんなに眠くてしょうがないのかそんなこともわからずただただ起きるという行為がどんどん嫌いになっていった。

怒鳴られる回数だって増えた、次第には父親の悪口と共に私は罵倒されるようになった。


正直、母は大黒柱というにふさわしい働きをしていた、収入や家計も母が支えていたんだと思う、結婚して子供もいるのに満足な収入が得られない父親にどんどん鬱憤が溜まっていたんだと思う。

母は母で習い事や自分と私の衣類を買うことでストレスを発散していたが、もちろんそんな余裕があるわけではなく家計に苦しむと父親に当たっていた。


私は、習い事なんて行かなくたって時々2人が食卓に揃ってくれるだけで嬉しかったのに。


生活はどんどん悪化していった、父も日に日に母からの罵詈雑言で疲弊し、母親も学校に行きたくないと言い始めた私にまいってしまい、その疲労は父親への憎悪を肥大化させていた。


私は料理人の父が作るご飯が好きだった。

両親は休日一緒にキッチンに立って大きなお重でご飯を作ってくれたことだってあった。

まるで夢だったみたいに嘘みたいに楽しくて美味しかった。


でもそこから先の記憶にあるのは一人きりの食卓と冷えたご飯に、スーパーの天ぷらが置いてある生活だけだった。冷蔵庫にはいつも私のために買い置いたスーパーのお弁当が置いてあった。


父は、泊り込みで仕事をするようになって

家にも帰らなくなっていき、顔を合わせるのは3ヶ月に一度、後に、父とどうやって会話をしていたかもわからなくなってしまうようになった。

人の生活って人から見たらわからないですよね。

友達や知人と話すたびにウケがとれるな〜とか空気が固まるなぁ私の生活って普通じゃなかったんだなっていうエピソードを詰め込みました。

前半は悲壮感にまみれた話になってしまうかもしれませんが、これは大事な一日との出会いを皆さんに感じていただくための序章だと思っていただければ幸いです。

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