第7話 殿様、来る
前話からの続きとなります。
―――――ひとまず、いろいろあったが引き続き18日。
夕方前に安祥の城に先触が訪れた。
「……明日、父上が来られる?!」
書簡に目を向けていた三郎五朗様が声をあげる。
その場にいた方々も驚かれた様子で
三郎五朗様を見た。
―――― 織田 信秀―――――
尾張は勝幡城を拠点とした武将。
彼は尾張守護"斯波家"の
守護代"織田大和守"のさらに家臣である
清洲三奉行"織田弾正忠家"という、
高い身分の者では無かった。
しかし織田弾正忠家は当時の武家としては
先進的な思考を持ち、
城下の"津島"の町の経済力をもって周辺の武家より
一日の長を得る。
信秀は策をもって今川より那古野の城を奪い
力を付け、東は三河を今川・松平と、
北は美濃を斎藤家と争う大名として尾張に
名を馳せた傑物である。
その勇名をもて語られる。
曰く、『尾張の虎』と。
翌19日、日が明けて暫し。
丘の向こうより武者の一団が見え始める。
とは言うものの、鎧兜を纏ってはいない。
織田の大勝により安祥の一帯が現在、
安定しているためだ。
「お待ちしておりました。殿!」
「ご足労、感謝します。父上」
出迎えとして城の前に立った
三郎五朗さま(織田信広)に
平手の五朗左衞門(平手政秀)さま、
そして勢揃いしたそれぞれの郎党らが
頭をさげる。
無論、私も。
「うむ。大勝の報告、聞いておるぞ。
……………話は城でしようか。」
話は腰を落ち着けて………となるようだ。
ドカドカと足裏を叩きつける様に強く踏みしめる音が館の廊下より次第に近づく。
部屋にあがるなり、
「今川との一戦、聞き及んでおる!
奴らの大軍を蹴散らし、あの忌々しい雪斎めも
討ち取ったとな。」
そう告げられながら上座まで歩み行き、
"どっか"と腰を落とした。
居並ぶ者達を見回した後、
「まずは、五朗左衞門!」
「はっ。」
平手様が頭をさげる。
「後詰めの任、よくぞ果たした!
大儀である!!
恩賞については那古野に戻り次第伝える。」
軽く手を振る殿の合図と共に
刀が一振、側仕えの者により持って来られる。
「まずはこれを与えよう。」
「有りがたく頂戴いたします。」
平手様が受け取り、再び頭をさげた。
ひとつ頷いたのち、続いて殿が
目を向けられたのは。
「三郎五朗。」
「はっ!」
三郎五朗様が答えられる。
「長らく今川に押し込められながらも城を
守り切ったこと、みごとであった!
近隣の国衆どもも情勢を見てこちらに
靡くことだろう。
それから………………
よくやった。」
わずかに声に労りがこもる。
「……………はっ――――――は…い。」
頭をさげた三郎五朗様が声を滲ませる。
彼の部下も何人か、感極まって
涙を見せるものもいた。
小豆坂の負け戦の後、置いてゆかれるかの様に
守将として安祥の城をひとり任されて1年半……
父より認められたその想い、いかほどか。
平手様――――――貰い泣きですか?
史実において信秀がここに居るのは
あり得なかったりする。
むしろ本来1月後、安祥は落城しているのだから。
マメ知識
『先触』
本来の意味は身分の高い"貴人"が移動する時、
目的地に前もって届けられる書簡や使者の事をさす。
彼ら貴人が連絡無しに訪れると目的地で警護や
もてなしの面で確実に問題が発生するため、
元はといえば貴人の部下が行った『気遣い』。
後に先触そのものが"しきたり"となり、
行わないと『逆に相手に失礼である』という
概念にすら至る。
転じて、現在では事前連絡のような
『前もって知らせること』、予知・予兆のような
『未来に起こる予感』といった意味で使われる。
なお本来、貴人の行動には確実に先触がゆくため…
某『8代将軍の時代劇』のように政権トップが
お忍びで市井に先触なしで下る
ということは『絶対に』あり得ない。
なぜならそれを許した護衛の首が飛ぶから。
物理的に。
『後詰め』
増援・援軍のこと。
そもそも戦国時代の戦は戦略レベルで
『後詰め』が来ること、送ることを
大前提としており、
籠城する者はこれが来ないと
落城もしくは討死するしかなくなる。
無論、送らないなら寝返られても仕方ない。