第244話 尾張外交、種々雑多(壱)
『種々雑多』
"しゅじゅざった"と読む。
読んだ通り"数多くの種が雑多に在る"状態。
種類・サイズなど、様々な物が入り混じって
多量に有ることを指す。
農業メインで生きてきた日本人にとって
"作物の種がメチャクチャに混在している"
とか、本気で深刻な大問題。
この言葉が創られた当初では、"実はキレそう"
な心理描写とかも内包してたりして?
―――――さて。
織田尾張守家を取り巻く外交模様を今一度、
改めて見回してみようか。
身近でゴタゴタが生じている以上、必要だ。
先ずは喫緊の最重要課題である、対美濃。
ココでは今、国主親子が(今はまだ水面下で)
骨肉の争いを繰り広げているわけだが。
現在の美濃と尾張の関係は、妙な事になっている。
今の美濃には便宜上、父親のヘビ殿とその息子殿
という二つの頭が在る。
尾張側としてはその何れか、若しくはその両方と
外交を為す必要があるのだが。
………為さねばならぬのだが。
―――何が問題か?
とりあえずはヘビ殿の事情から。
前にも触れたが、美濃におけるヘビ殿の形勢は
基本的に不利である。
もともと彼が美濃国主に至った諸々の経緯が
不実極まりない為、これは変え様の無い現実だ。
だからこそ尾張側はその構図を改善しようと
ヘビ殿に対して銭での援助を行った訳なのだが。
しかし、もうこれ以上は出来ない。
彼に対する尾張からの資金援助の名目は
『義理の父への当然の手助け』
コレは外聞上、極めて正当であるから外交的には
贈る事・受け取る事に何ひとつ問題は無い。
但しそれ以上を行った場合、之はヘビ殿にとって
外交的な"借り"となってしまう。
ヘビ殿としては何であれ援助その物は欲しいが、
そうなれば事後に尾張側へ返礼が必要となる。
美濃の内政に踏み込まれる隙を作りかねないのだ。
―――故に、ヘビ殿は"これ以上"を受け取れぬ。
どれ程に不利な危機的状況であろうとも、
後は自力で乗り切るしかないのだ。
他方で息子殿の事情。
尾張側が行ったのは、あくまで『義父への見舞』
これを表立って咎める事は出来ない。
抗議をしてしまうと"織田と外交的に敵対した"
事実を公的に認める事となってしまうからだ。
"ソレ"を認めてしまえば同盟は破棄。
尾張側は公然とヘビ殿に肩入れを始めるだろう。
堂々と兵を雪崩込ませて。
そうなれば一丸となれぬ自分達は一気に不利に。
勝つまでは、同盟は未だ必要。
―――故に、息子殿は放置するしかない。
"これ以上"を招かぬために。
このまま自分達が勝ち残るために。
そして、尾張側の事情。
通常、他国の騒乱に対して一方にのみ肩入れを
すれば他方は必ず敵対してしまう。
これは当然、必然だ。
前回の1件が外交的に何の影響も無かったのは
それが"道義上の当然"という範疇だったから。
力を通し押せば、反発が起きるのは道理。
暗黙の了解、そのギリギリを攻めたからである。
強引に攻め過ぎると、争っていた筈の親子が
手を結び美濃全てが敵になりかねないのだ。
―――故に、織田も"それ以上"が出来ない。
ソレを、誰も求めていないから。
ただ黙って傍観する事しか出来ない。
コレが美濃に纏わる外交模様。
美濃と尾張とは、変則的な"三竦み"の状態にある。
"親子"と"同盟"という関係を最初に壊した者が、
真っ先に他二者から袋叩きに遭う。
―――故に、誰も大きく動けない。
ただ睨み合いばかりが続くのみ。
誰も、大きくは動けない。
―――話題は変わって。
美濃以外の近隣大名家との関係は、これまでと
大して変わりはしない。
紀伊とは依然、付かず離れずの宙ぶらりんな関係。
紀伊・尾張ともに今は眼前の問題に注視したい為、
お互いに争うだけの意義も価値も無い。
ダラダラと中途半端な友好外交を続けている。
南近江も別に変わらず。
立場上、畿内をガン見しなければならないのに
プライドの問題で南近江が尾張側に一方的に
突っ掛かって来ていることも。
織田側がソレを面倒臭がっていることも。
そして、六角旗下が戦を密かに止めたいことも。
南近江は、何も変わっていない。
伊賀や志摩、大野についても変容は無し。
既に尾張商圏にガッチリ組み込まれている彼等は、
敵対や裏切りをすれば即座に干上がる。
その関係は最早変えようが無いとも言える。
飢餓に怯える嘗ての日々よりはマシとはいえ、
ソレが幸か不幸かは別として。
ソレを自覚しているかは別として。
経済的な同盟関係にある雑賀や土佐、そして薩摩も
また同様に引き続き良好な関係である。
雑賀以外は超遠隔地であり利害の接触が無く、
敵対を選ぶ要素が皆無であるのが最大の要因。
態々好き好んで関係を拗らせる意味も無いし。
典型的な"遠交近攻"だ。
三河と駿河についても相変わらず。
『多額の支援により勢いに乗った三河の者達が
ゴリゴリと三河統一を目指して攻め寄せる』
という、三河を舞台とした尾張と駿河との
代理戦争じみた様相も変わらず。
駿河の"尾張や西三河への殺意"がマシマシに
なったせいで短期的な戦術面での攻撃力が強く
なったものの、件の極道坊主が準備ナシで唐突に
退場したせいで長期的な戦略面が弱体化。
結果としてその勢いは大きく変わらなかった。
故に戦線は激化しながらも膠着したまま。
彼等との動きは、それ程に変わらない。
変わったのは、それ以外だ。
『(義)父を扶けるのは当たり前』
コレは時代を問わない道義的な"常識"です。
前回の資金援助はこの建前を名分としています。
だから義龍も断れませんでした。
荒れ果てた時勢だからこそ、大名家が動く為には
"正義"や"大義"が大事になってきます。
卑劣な外道の下には従いたくは無いんですよ。
責(攻)められると言い訳が効きませんから。
あと、天罰とか当たりそうだし。
実はこれこそが、美濃で道三を排除して義龍を
立てようとする動きの真の理由です。
美濃以外は変わっていません。
正しくは、変えていません。
マメ知識
『三竦み』
例えばA・B・Cという三者が居ると仮定する。
BはAに強く打ち倒すことができる。
CはBに強く打ち倒すことができる。
AはCに強く打ち倒すことができる。
この状態では、一人が行動して相性の良い相手を
打倒した瞬間に当の本人が残る三人目に敗北する
運命が確定してしまう。
つまり、"行動を起こすと負ける"
尚且つ、"動かなかった者が生き残る"
この状況では、誰も動く事が出来なくなる。
この状態が"三竦み"。
ジャンケンがこの理論を使った典型例である。
語源は"関尹子"。
本名は古代中国、秦の道学者"尹喜"。
函谷関を守る役人(関令)であったので、
"関尹子"と称された。
その名を借りて後世に創られたのが書物"関尹子"。
その中の"三極"で、蛇と蛙と蛞蝓の逸話がある。
※"子"は、"学問として一門を立てた人物"や
"男子の敬称"として使われることもある。
つまり関令の"尹喜"大先生、略して"関尹子"。
『遠交近攻』
実は"兵法三十六計"のひとつ。
"遠きに交わりて近きを攻む"と読む。
外交におけるスタンダード戦略のひとつであり、
春秋戦国時代にかつて"魏"国に仕えていた范雎が
"秦"国の"昭襄王"に提言した。
遠方の国と同盟して近所の国を攻め落とすという
方策であり、彼は王に信任されて宰相となる。
※昭襄王は、例のキング○ムの"昭王サマ"の事。
『代理戦争』
近代になって創られた言葉。
戦争や内乱に際し、それぞれの勢力が外部の大国
などから支援を受けている状態。
ソレが大国の意向の代理として戦っている様に
見える事からそう呼ばれる。
主に米ソ冷戦時代、アジアやアフリカ等の小国の
紛争に両国が何らかの形で関与をしていた為に
国際政治上の慣用句として成り立った。
『件』
コレは、本来の読み方である"件"が変化した物。
①先に述べた事柄を、相手が既に承知している
モノとして指し示す表現。
"さっきの"や"例の"などの意味となる。
②その行動・状態が人々に周知された
モノとしてその事柄を指す。
"件の"と用いて、"例の"・"いつもの"・"あの"
などの意味となる。
③何らかの"差障り"があって公然と表すことを
避ける時の表現。
"アレ"とか、"例のモノ"とか。
④江戸の幕末ごろに流行った"予言する人面牛"。
一般的には妖怪のジャンルとされており、
19世紀前後の日本各地で噂された。
牛から産まれ、豊作や疫病を予言し三日後に死ぬ。
モデルは中国の霊獣"白鐸"という説もある。
なお"件"という表現は平安時代から存在しており、
④は完全に後付けの設定である。
("件"は人+牛であるため)




