第239話 猫の首に、鈴を付ける(参)
方策、そのみっつめ。
もう、その内容は読めるかもしれませんが?
――――みっつめの方策。
『親子の内訌が決着した後の介入』
見ていて途中で気が付いたかも知れないが、
この三つの方策順番は先の"何時"と"何処で"で
提示した戦略対応の内容に準じている。
この方策の目的は、大まかに言えば"漁夫の利"。
内乱が終結して勝ち残った者に、
傷つき弱った美濃の勝者に対して干渉を行うもの。
対岸の火事を完全に他人事でのんびり見物し、
火が消えた後で火事場泥棒に踏み込むのだ。
一概に介入と言っても種類は多い。
一応の親族の身分を盾に復興に関わる政治介入。
軍事的・政治的弱さを傘に着て交渉する外交介入。
弱体化した相手をそのまま踏み潰す武力介入。
どれを選ぼうが構わないが、共通することは
『選んだ時点で端から美濃侵攻の意図がある』
という点である。
求められるものは、
①美濃の内乱を維持させること
②両者及び周囲への情報撹乱
③深刻に悪化する三郎サマとの関係の改善
これも①から見てみよう。
やけに可怪しな事を言っているであろう?
それも当然のことだ。
先にも言ったが、この方策は"漁夫の利"を狙う。
――――だが、ね?
織田家だけがソレを目論むのではない。
今の世は目の前に弱った獲物が転がっているなら、
他所の家だってソレに喰い付く時代だよ。
少なくとも近江の"佐々木六角"は確実。
何れ越前の"朝倉"やその意向を受けた"浅井"も。
最悪の場合は、甲斐の"武田"すらも触手を伸ばす。
そうなれば多数の思惑と欲望に踏み躙られ、
喰い荒らされる美濃は地獄と化す。
それでは折角の戦略前提は無意味。
それこそ得る物の少ない本末転倒の有り様だな。
それ以前に、他国の介入が始まった時点で
美濃の内乱は国の防衛の為に自然と縮小する。
策自体が台無しになる。
この方策を成功させるには、他国の介入を
ひとつ残らず妨害・阻止しなければならないのだ。
思う以上に、ハードな任務だねぇ?
お次は②について。
これも一部が①と連動している。
美濃の内部に対しては、外部情報を遮断。
無様な内訌に集中させておく。
逆に外部に対しては、重度の情報錯乱を与える。
正確な情報と誤情報とを1:9ぐらいで発信させ、
何が正しい情報か全く分からない状態にするのだ。
誰だって良く分からないモノには手を出さない。
敢えて火中の栗を拾うのはバカのやる事だから。
そうして介入を防ぐ。
ただし、これはこれでかなり難しい。
……………………………………③。
是迄と比較して、明らかに違う表現であろう。
これは、この方策の本質のせいだ。
この策は"漁夫の利"を狙うモノ。
即ち、恣意的に美濃国内に親子による
内乱を起こさせる事を意味している。
史実を見ての通り、織田家の介入が無いままに
美濃で内乱が起きた場合の結果はひとつだけ。
道三どのは、絶対に負ける。
理由は極めて単純な道理。
不当な下剋上で国主となった専制的な暴君より、
その息子の方が圧倒的に"マシ"だから。
どう足掻いても斉藤道三は死ぬ。
事実上、『見殺しにせよ』と言っているのだ。
………明らかに三郎さまの"激怒案件"である。
前提として、この方策を実行するためには
その荒れ狂う三郎さまを説得しなければならない。
末期の極度に擦り切れた精神状態の時期や
"織田包囲網"時の様な極端に余裕の無い時期なら、
『それも已む無し』と説得も容易かろう。
しかし、今は精神にも時節にも余裕が有る。
その状態で許すワケも無し。
方策を実行するためには、三郎さまに無理矢理
非道を受け入れさせるしかない。
―――――――そして、そうなれば。
ソレを提案した私達と三郎さまとの関係は、
悲劇的なまでに埋められぬ溝が出来る事になる。
それにこの三人が耐えられるかな?
……果たして、提案を出せるかな?
―――みっつめの方策の問題点。
それは主に、二つある。
ひとつは方策を察知された瞬間から、
双方の勢力との全面敵対が確定すること。
もう一つは、リスクマネジメントの問題。
実行リスクが巨大すぎるのだ。
―――――正直、割に合わないよ。
………………ま、こんなものでしょうかね?
提案しておいて何ですが、ハッキリ言って
みっつめの方策は愚策です。
取るべきではありません。
取るならば1つ目か、2つ目の方策。
ひとつめの方策は妥当な安全策と、
ふたつめの方策はやや冒険的な策とみて下さい。
後の選択はこれから決めましょうか。
…………ふむ。
どうしたね、又左?
何か、言いたそうだが。
"否定されて当然の策を、何故わざわざ提案した?"
―――――そうだな。
ひとつ、教えておこうか。
仮令、否定される事が分かっている策でも。
仮令、提案することで嫌われてしまう策でも。
軍師を志すならば、絶対に口に出せ。
否定も拒絶も恐れるな。
その程度の事に怯えて口を閉ざす者は、
軈て必ず己の主を殺す。
――――その、傲慢な愚劣でな。
…………………というか、まぁ。
そもそも献策という物は、まず最初に
相手や周囲から否定も拒絶もされない様に
巧く細工を凝らしてから提案するものだがな?
何せ一番、ヒトに嫌がられる行為だ。
予防するのは当然であろう?
それが、策士っていう因果な奴さ。
まあ、そりゃそうでしょうね。
この頃のノッブは身内をひどく大切にしてます。
そのノッブに対してこんな策を強要したら、
間違いなくブチ切れますよ?
献策としては、論外。
最初から選択外の提案なんですよ。
実は"漁夫の利"がいちばんアウトという罠。
………うん、いかんな。
予想よりも、遥かに長くなってしまった。
※なお今回の話の内容が、
『争う親子双方の共倒れを狙う』
という策を却下する理由。
"みっつめ"と中身が変わらないからです。
(むしろ、より悪質)
マメ知識
『触手を伸ばす』
間違っても如何わしい言葉ではない。
ここでの"触手"とは、漢字(漢文)をそのまま
読んだ"手に触れる"という意味。
直訳すると、"触れるために手を伸ばす"
という表現になる。
ここで"触れる"のは、"願望や野望"。
"望むモノの為に行動を始める"事をさす。
『火中の栗を拾う』
実はコレ、ヨーロッパのことわざ。
17世紀のフランスの詩人"ラ・フォンテーヌ"
の寓話で"猿と猫"からの由来。
イソップ寓話が正確なルーツらしいのだが、
話の存在が確認出来るのは17世紀が最古との事。
物語の内容は、
"サルにおだてられたネコが、暖炉の中から
焼けた栗を拾おうとした。
しかし出した栗はサルが次々につまみ食い。
ネコは無駄にヤケドしただけのタダ働きとなる"
・・・というもの。
本来は、"他人に騙されて、危険な仕事に使われる"
という意味となる。
現代では、"他人の利益の為にあえて危険を冒す事"
というニュアンス。
※1:あくまでも、危ない目に会うのは"他人のため"。
"自分の利益のための危険"ではない。
※2:正式名は"ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ"。
(1621年~1695年)
フランスのルイ14世の王太子の為に
"人生の教訓を学んでもらいたい"として
動物が主人公の物語を著したとされる。
全26話の寓話集。
※3:蛇足ではあるが、フランス語
"jean・de・la・fontaine"
これを英語的に表現すると、
"ジャン of the フォンテーヌ"
つまり"フォンテーヌ家のジャン"となる。
"ジャン"は、英語圏の"ジョン"。
もともとはいわゆる"ヨハネ"の変換であり、
子供につける名前としては非常にメジャー。
(日本の"太郎"みたいなモノ)
なお、フォンテーヌは英語では"fountain"
つまり"噴水"。




