第233話 宛の無い、再始動
リアルが忙しいっす・・・。
いや、執筆のウインドウ開く余裕すら無いって
ホントどうかと思う。
しかもプチスランプ中。
重なるときは重なるもんです。
さてはて、改めてターゲットの選定なのだが。
………実は、今は存在しない。
正しくは、現時点では出来ないと言うべきか?
では、改めて今の織田近隣諸勢力についての
考察をしてみようか。
先ずは東三河の"松平"だが、コレは論外。
美濃の"斉藤"もまた同様である。
同盟相手だからそもそも攻撃してはいけないし、
またその必要性も無い。
そもそも"松平"には東と北東 への盾という、
とても大切な大切な御役目がある。
対して"斉藤"には西と北そして東に対する壁と、
そして後ろ盾という重要な御役目がある。
よって彼等は下手に削る意味が無い。
――――――――――今は。
なんせ史実に於いて『斉藤』と『松平』は、
"味方面しながら、裏で平然と切り崩し工作する"
事で有名な二大巨頭だからな。
むしろコイツらには対策の方が重要だ。
次いでは、近江の"六角"と紀伊の"畠山"。
この2家に対して共に通ずる事は、
"今は触れるべからず"である。
現在のこの2家は畿内での大騒乱に、
正確には"三好家"と"室町"間の主導権争いに
巻き込まれその只中に在る。
つまり、今の彼等のホンネとしては
"織田の相手をしているヒマは無い"ということ。
此方に意を向けていない者の注視を態々
振り向けさせる必要など、これっぽっちも無い。
というか、下手に彼等に戦略干渉をすると
今後の畿内情勢が読めなくなりかねない
………というのもある。
―――まあ実際、この2家には長期的戦略により
静やかに毒を流し込んでいる。
畠山には"配下の経済的独立性"を。
六角には"己が暴発に至る局面"を。
対象が部下であるか自身であるかの違いこそあれ、
その先にある結末は共に"家中結束の崩壊"だ。
『待てば海路の日和あり』
彼等についてはその盤面の流れが動く事を
今はただ、待てばいい。
そして、一見すると織田家における戦略上の
ターゲットとして大本命に見える駿河の"今川"。
しかし、実は現状では手が出せない。
理由はとても単純、"経路に東三河が在る"故に。
松平所有の東三河に織田の兵力を駐留させる
だけの大義名分が存在しない。
まあ、ソレが有っても関係が拗れるだけだしね。
要は駿河まで軍と兵糧を継続的に送る術が無い。
援軍の期待できない勢いだけの軍なんぞ、
反攻された瞬間に士気が崩壊するのが目に見える。
最前線までつながる軍事経路が存在しないままに
新規の前線を押し上げるなど、只の愚の骨頂だ。
即ち戦略上、侵攻の条件が揃っていない。
―――これが理由のひとつ。
もうひとつの理由は、"名目が無い"こと。
今の松平がやや有利といえる情勢下において
特に理由もなく織田が今川を攻める行為は、
松平側の"面子"を傷付ける可能性がある。
『勝っている戦に勝手に援軍を送られた』
つまり良くて"火事場を狙われた"と、
悪ければ"松平の実力を低く見ている"などと
ヤな感じの判断をされかねないのである。
これは、別に考え過ぎではない。
勝っている上り調子の松平だからこそ、
"我等の連戦連勝を僻んでいるのか?"等と
そういう穿った見方をする可能性がある。
調子が上がっているからこそ、ね。
そこまで言われながら軍を進める気も無い。
即ち、進軍の"動機が無い"という事だ。
――動機もなければ、勝機もない。
よって今の駿河は、攻めるに値しない。
北近江の"浅井"や越前の"朝倉"は論外。
"斉藤"を挟んだ領土なぞハイリスク極まりない。
それ以前に、コイツラには役割がある。
浅井には六角との全面敵対を防ぐ緩衝としての。
朝倉には加賀の一向一揆に対する防壁としての。
傷付ける意味がないのである。
序に、大和の寺社連中も問題外。
相手は藤原家ゆかりの興福寺やら東大寺やら。
更に大小の寺社仏閣が軒を連ねる。
ココを攻めるには多大な費用と期間と被害とが
確実に発生する。
しかも歴史があるから反発がエグい。
相手の勢力が強力かつ健全すぎるせいで、
リスクとリターンが全然釣り合っていないのだ。
…………やってられるか、そんなこと。
攻める事は『百害あって一利なし』だ。
――――とまあ、そういう事だ。
今の織田には、手を出していい相手がいない。
戦乱の世である以上は小競り合いについては
まあ仕方ないが、本格的なぶつかり合いは無理。
"時に非ず"
長期的には泥沼に足を突っ込む破目となる。
情勢が変わればそれもアリと変わるのだが、
無理に変えるだけの意味も意義も無い。
むしろデメリットの方が多いくらいだ。
よって、今はただ待つだけでいい。
"備え"を研く時だ。
……………因みに、だが。
あえて意図的に触れてこなかったが、
畿内の"三好"を攻めるのはダメだ。
話題に上げる価値すらもない。
現在の三好家は、絶好調にも程がある状態。
阿波・讃岐と淡路とに万全の土台を持ち、
国力的にも非常に充実。
武官として三好実休・安宅冬康・十河一存など
身内だけでも凄まじい層の厚さを持ち、
更に三好三人衆らがそこに続く。
文官としては彼の松永久秀が控えており、
文武ともに備えは堅牢。
近年にその一角たる遊佐長教を喪ったものの、
その体制は盤石のままである。
しかも未だその勢いは頂きに達してはいない。
六角・畠山の名族連合を正面から叩き返す三好は
文字通りに当代の畿内最強といえよう。
云うならば全盛期の晴信や景虎を相対するが如く。
こんなのと正面切ってまともに相手取ると、
双方共にズタズタのガタガタになった挙句に
"漁夫の利"を漁られて共倒れとなるだけだ。
孫氏の兵法でも、"勢い"は非常に重視される。
その勢いが乗りに乗っている相手に……だ。
フツーに考えて、敢えて激突するワケが無いわな。
ぶっちゃけ、この時期の三好家はヤバいです。
この時点で既に畿内のほぼ全域が影響下にあり、
元々持っていた四国北東部を合わせると
何と9ヶ国を領有するバケモンです。
しかもこれから更に増えます。
コレは全国的にも当時最上位ランクの国力。
そりゃ『日本史最初の天下人』とか言われます。
国内有数の恵まれた尾張や伊勢を有するとはいえ、
今の織田家が勝つのは相当難しいんですよね。
ブッチギリで敵対したくない勢力です。
コレが200話を大きく超えているのにも関わらず
三好家の話題が全然でてこない理由だったり。
マメ知識
『待てば海路の日和あり』
日本の海上交通は、江戸時代の最末期までは
沿岸部をチマチマと進むタイプ。
そのため、風や潮流の向きにとても影響される。
運が悪いと延々と港に足止めされることもある。
つまりコレは、
"待ってればいつか改善されるさ"とか
"我慢強く待ってればチャンスも来るさ"
何てニュアンスとなる。
『百害あって一利なし』
ある意味、そのまんま。
やってもデメリットばかりが山積みになるのみで
メリットがひとつも見つからない最低最悪の状況。
実際、数ある日本のことわざの中でも
ここまで全面ネガティブ丸出しなのは珍しい。
『意味と意義』
実はニュアンス的にはほぼいっしょ。
"言葉の内容や価値"のことをさす。
この両者の違いは、そのスタンス。
"意味"には言葉や行為そのものが持つ内容を。
"意義"はより個人的・思想的な内容となります。
つまり"意味"は大きく全体的な視野から、
"意義"は個人的な小さい視野からみたモノです。
"意味"は社会からみた一般的な見解を、
"意義"な個人的な損得からみた見解を。
まあ、だいたいそんな感じです。




