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鵬、天を駈る  作者: 吉野
7章、『○○○○○○○○』
231/248

第231話 戦略上に於ける、『不戦』の意義




時間があいて申し訳ない。


"次の章"の切り出しが全然浮かばなくて。


スタート、どうしようか?







間もなく、暑さが主張を始める季節となる。


植物たちが、作物たちが懸命に背を伸ばす頃。


ひとまず農作業のせわしなさが落ち着いて、


じわじわと戦の火の手が上がり始める頃。


―――そろそろ、こちら(織田)も"不戦の自縛"を


解いても良い頃であろうな。





―――――およそ一年と少しばかり。



しばらくの間、織田"尾張守"家の主戦略にいて


『長期の不戦(戦わず)』を選択した所以ゆえん



コレには幾つかの"短期戦略的要素"がある。




ひとつとして。


『腹が減っては戦はできぬ』


先ず、戦と切り離す事の出来ない兵糧の問題。


3年前の北伊勢攻略における、8ヶ月近くもの


超長期の密やかな用兵。


翌年の約1年に及ぶ北畠に対する南伊勢攻略戦線と


その締括しめくくりの大河内での伊賀衆と九鬼家合同による


北畠家の伊勢からの追い落とし。


(この合同軍の兵糧は全て織田の拠出)


一連の『村田式』戦術戦争は、準戦略級とすら


いえる程の只管ひたすら長い軍事運用を行う。


目先の損得で争う小物共にはひどく効果があるが、


反面で常軌を逸した消耗を伴う。


幾ら濃尾平野の南半分を占める織田家といえども、


コレではフツーに家中の兵糧備蓄が尽きる。


倉のたくわえが減れば、再びめねばならぬ。


即ち"長期の不戦"はこの兵糧補充の意味がある。


既に去年の時点で"高砂"の建国と砂糖黍栽培は


始まっており、それらの利益による海外産の


米や小麦等の購買(輸入)開始が予定されていた。


不戦はそれを待つための時間稼ぎでもあったのだ。


新たな兵糧在庫を潤沢じゅんたくに積み上げるための。




ひとつとして。


()の無いのは首の無いのと同じ事』


今度は銭の問題。


これも兵糧と同様だが、斯様かような巨大戦費を


単なる武家如きにまかなえる筈が無い。


その原資は商人達からの拠出金であり、


あるいは準武家である村田からの協力金である。


コレ無くして今の発展は成し得ない。



ところで、この"村田"は少しばかり特異な


商業形態をしている。


稼いだ計上純利益のうち、およそ8割前後を


公共投資と商業投資として市井しせいに投入。


市中に出回った銭を再び商いにより回収する。


実質的に村田の手許てもとには本来手にしていた


利益の3割から4割程しか残らないのだ。


こんな体制は営利組織としては異常のひと言。


近代のNPO(非営利団体)並だ。


この異様な経営サイクル(過剰すぎる市場還元)こそが、


事実上に尾張近隣で一人勝ちしている村田屋が


ほかの商家に倦厭けんえんされない理由である。


しかし、その村田ですら。


尾張・西三河の再開発に伊勢の大規模開墾。


更に神宮遷宮への特大投資が重なれば、


流石にその資金捻出が覚束無おぼつかなくなってくる。


"()()戦費なんぞ出してる余裕は無い"。


そういう結論に達するわけだ。


つまり、こちらも時間稼ぎ。


"高砂"を新拠点とする新たな国際貿易、


新たな資金源が確立するまでの予算縮小である。


まあそもそも戦なんて、究極の無駄遣いだ。


しないだけで予算全体に余裕が出るからな。




ひとつとして。


『過ぎたるは及ばざるが如し』


村落を束ねその収穫に一喜一憂する土侍つちざむらいにとって、


戦とは過度にハイリスクハイリターンであるから。


確かに村から足軽を拠出することによる報酬や


軍功・戦功による恩賞(臨時収入)などを期待できる。


一方で村の働き手を一定の期間持ってゆかれる。


しかも最悪の場合、彼等は帰ってこない。


実はリスクとリターンが釣り合っていないのだ。


では一年間、出兵が無かったら?


確かに臨時収入は無い。


しかし働き手が常に確実に保証されるため、


人手の不足に嘆くことはない。


そして人手が充分なら日々の細々した雑用も


僅かに余った土地で雑穀や野菜を育てることも、


町へ出稼ぎに出て小銭を稼ぐことも可能となる。


何より、家族が戦地(死地)に赴いて居ない。


家族・親族が生死の狭間(生きるか死ぬか)に在る事は、


残された家族に重度のストレスを与えるのだ。


これらの要因から開放される事により、


村落の年間における生産性と共有財産は


確実に改善するのだ。


―――たった一年ほど、戦を自粛しただけで。


下手な賭けに出るよりは日々の積み重ねの方が


遥かにマシだ。





―――――最後に。


きじも鳴かずば撃たれまい』


戦地での略奪や金銭・知行(土地)などの恩賞。


戦というモノは、武家にとっても臨時収入である。


実のところ一部の武家連中は借金漬けであり、


"借金返済期日が近付くと稼ぐ為に戦をする"


という頭の悪い自転車操業をする者もいたとか。


されども、戦をするにも銭が要る。


これでは本末転倒。


まるで一攫千金を狙うギャンブル中毒者だな。


――――この武家の臨時的な収入源を一年前後、


意図的に遮断する。


ソレが何をもたらすか。


内政適性の無い、というか無計画に散財する


盆暗ボンクラ国人たちが"銭が無い"とわめき出すのだ。


………この、好景気ににぎわう尾張国内で。


名乗り出た(迂闊にも鳴いた)()は、己が筋金入りの無能であると


自ら証明する(撃ち抜かれる)事となるのだよ。


即ち、コレは選別。


現時点で政務に不適()な者たちをり分け、


穏便に棲み分けを始める……とかね。


別に領地没収をするワケでは無い。


例えば領地としての人数や範囲は多いものの、


実際の実入りが少ない場所に領地替えするとか。


り方など、幾らでも有る。



………まあ世の中にはかの"呂奉先"の様に、


"君主としても人格的にも最低クラスであるが


もし有能で裏切らない副官を付けてしまえぱ


武官としても将軍としても当代最高峰となる"


という極端過ぎる才を持つ者が。


"特定の条件下でのみ破格の才覚を発揮する"


歴史的傑物が埋もれている事もある。


画一的なふるいけでは逆に仇となるだろうさ。



所謂いわゆる、『ざまぁ』をされてはたまらないからなぁ。







伊勢攻略の終わった翌年、1552年。

中小の小競り合いはあるものの、この年には

織田家は大規模な戦をまったく行っていない。

"戦勝ではなく内政による繁栄"とでも言うが如く

領内の農地や町の開発を徹底的に優先したのだ。


これにより、織田尾張守家は

総石高120万石以上を有していたとされる。

また伊勢にて一気に増えた織田家直轄領でも

開墾と整備が進み、大幅な増産がはかられる。

一説には当時の織田尾張守本家が持つ石高は

単独で35万石近く有ったとすらいわれている。


この一年間の雌伏の期間こそが、

後の織田の飛躍の下支えとなったのである。







    第 7 章


 『 尾 州 織 田 家 の 政 略 』








織田家単独で約35万石。


これがどれほど馬鹿げているかと言いますと?


織田家を襲名した当時のノッブが有していた


"大名家として有していた総石高"が約30万石。


"尾張全域の総石高"ですら57万石前後です。


その大部分が部下に与えられていた、と考えると。



・・・ハッキリ言ってケタ違い、圧倒的ですよね?


領内で絶対王政が出来るレベルです。



なお最後の条項、"雉も鳴かずば撃たれまい"ですが。


本来は"政治的無能を領地経営から排除する"


という目的なのですが、実はコレは


『有能な人物を安易に追放して後にざまぁされる』


という典型的な"なろう系ざまぁ展開"の要素を


密かに含んでいます。


結構に、ヤバいフラグだったりするんですよ。



そのため秀貞的にも、かなり気にしていたり。







マメ知識





『金の無いのは首の無いのと同じ事』




江戸時代の歌舞伎演目"恋飛脚こいびきゃく大和往来"中の台詞。


(別名"封印切")


オリジナルは近松門左衛門の人形浄瑠璃である


"冥途めいどの飛脚"で、これをアレンジした


"傾城けいせい恋飛脚"が更に歌舞伎に採用された。


人気小説がマンガ化され、更にアニメ化された様な


当時の最先端メディアミックス。


世間で噂となった実話ネタのアレンジ物でもある。



ストーリーは大和(奈良)の飛脚問屋の若旦那が


遊女に夢中になって金が足らなくなり、


幕府公金300両(約6000万円前後)を横領。


挙句に二人で夜逃げするという大概なモノ。


(それぞれストーリーに改変有)


その作中でライバルが若旦那を煽るセリフであり、


おおざっばに口語訳すると


"金がなけりゃ何も出来ねぇだろうが、バカめ!"


(金の無いヤツは死体みたいに何も出来ない)


なんてニュアンスとなる。



※この台詞は歌舞伎バージョンにのみ存在する。


原作の人形浄瑠璃ではこのライバルはむしろ善人。






『土侍』




土侍、もしくは地侍じざむらいと呼ばれる者達。


その正体はそれぞれの村落の村長さんである。


この時代は生き延びるだけでも精一杯。


しかも隣の村の連中どもが勝手に、


"ウチが不作で生活が苦しいから"とか


"そちらが豊作で羨ましいから"なんて理由で


略奪を仕掛けてくる世紀末にも程がある世相。


それどころかヘタすると、


"お前ら昔からムカついていたんだ"なんて理由で


襲撃とかしてくる有様。


(まあ、逆に自分達もやるのだが)


それ故に村長さんも自衛の為に武装化する。


その武装化した村の自警団代表たる村長さん、


それが土侍である。



だが武装化したとはいっても所詮は対村落レベル。


国人や大名などに攻撃されると一瞬で潰される。


そのために、土侍たちは"納税と出兵"を


対価として"他の村落や勢力からの防衛"を頼み


国人や大名と"契約"をする。


(ヤクザの"シノギ"に近い形態だと思えばOK)


ただし村長さん達もしたたかなもので、彼らが


"自分達を護れるだけの実力が無い"と見なすと


アッサリと他の勢力に鞍替えとかする。


かなーり、ドライな関係だったとか?




※厳密には、土侍は武家カテゴリーには入らない。


あくまでも農民の延長とされる。


その為に"秀吉の刀狩り"のターゲットとなり、


所持武力を没収されてしまう。






『雉も鳴かずば撃たれまい』




日本の国鳥である雉は、よく草地を歩く鳥。


しかも縄張りの主張の為によく大声で鳴くために、


非常に猟師に狙われやすい鳥である。


その間抜けっぷりから取られたと思われる表現。


このことわざの由来には大阪説と長野説が


あるのだが、どちらも対象が人柱となる物騒な話。


双方とも、迂闊な発言による悲劇である。






『呂奉先』




みなさまもご存知、三国志に名だたる


武力モンスターである"呂布"のこと。


"奉先"は彼のあざなです。


目先の利益にコロコロと言動を変える節操無し。


余りにも軽々しくヒトを裏切る軽率さ。


いざ君主となるとひどい優柔不断。


トコトン良いとこ無しとして扱われる彼ですが、


武力だけは圧倒的な怪物クラス。


彼の通り名"飛将軍"は、前漢の高名な名将である


涼州の"李広"がルーツです。


極めてアクションが迅速でかつ勇猛であり、


凶暴な北方民族の"匈奴"がひどく恐れたとか。


(このヒトはキン○ダムの主役、"李信"の子孫)


つまり武においてほぼ最上位ランクの評価。


文字通り、世界史最初の"極振りキャラ"ですね。



因みに彼の最悪すぎる評価は、当時重要視された


儒教の影響が強いそうです。


儒教って裏切りや親殺しをえらく嫌いますから。


(義理とはいえ親殺しを2度もしたのが決定的)





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― 新着の感想 ―
[一言] >『金の無いのは首の無いのと同じ事』 祖母がよく口にしていましたが、元ネタはこれですか! 今でも自戒の言葉のひとつです。
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